第9話 感想[間奏]
「『誰一人として悪を欲する人はいない』のソクラテスのパラドックスを知っているかい。悪を欲する人はいるではないか、というのは、道徳を基準にした話しであって、善悪を『ためになるかどうか』で判断したら、どうだろう。人のためになることをしている。それが、仕事というものなのだろうけれど、仕事で不正を犯す人もいる。でも、それは人のためにしたことなのかもしれない。そう考えた時に、人が人を罰することは、適切なのかしら。正しいことを、正しいと言える世の中は素晴らしいわよね。でも、この複雑になった社会において、利益をもたらす戦争を、犯罪と断定することができないなんて、皮肉ではないかしら。戦争を悪だと断定する人がいれば、国防のために必要なことだと断定する人もいる。色んな考えがあるわけだけれど、最後は、人が決めるわけよ。誰が、決めるのかしら。そこら辺が、曖昧になっていないかしら。臨機応変。それが、大事だとしたら、ひとつのことに固執するのは、やめた方が賢明ね。イデアと現実を混同してはいけない。真実を求めた先に、絶対的な私のような美しさが存在するように、その美しさに貴方が、他のことがなにも手につかなくなってしまうように、この世の真実の原型として定めて、それを現実として混ぜ込んではいけないのよ。善悪も主観で決めることはできないのは、ためになることは、客観的なのだということなの。ソクラテスの『誰一人として悪を欲する人はいない』はね、読む人の機知が試されているのかもしれないわ。それを、ソクラテスが言ったから真実だとか、そういった偶像崇拝になっているようでは、進化していけない。まずは考えることよ。現代を生きる私達が。明らかに、悪を欲する人は、いたんじゃないかしら。八十億人もいれば、ね。これは、また、絶対的な話しをしているのか、相対的な話しをしているのか、ということになるわね。欲している悪は、確かにいないかもしれない。ためにならないのは悪なのよ。しかし、ためになることも、悪なのよ。わかるかしら。私が言いたいこと」
哲学哲子は、学校の無人の教室で、僕に話している。
『誰一人として悪を欲する人はいない』。
なるほど、たしかに、そうかもしれないけれど。
そんなことに、そもそも、興味がなかった。
ためになるとか、ためにならないとか、そんなことに捉われれば、僕の存在が虚無になってしまう。
人が生きている意味、そんなものはない。
まるで、その答え合わせをしているような心地になる。
『誰一人として悪を欲する人はいない』けれど、誰かのためだということ自体が、悪の発端となる。それなら、まだ、なにもしない方がマシなのではないか。そんな、虚無感におそわれる。戦争とは、集団の利益を得るための行為であって、それはある意味、最大多数の最大幸福に従った結果だともいえるだろう。戦う姿が、カッコいいとか、素晴らしいとか、美しいとか、そういった感情を抜きにしても、
「意見の対立ね。別に、私はどちらでも構わないのだけれど。どうしても、主張が強くなってしまうのよね。そして、日本語の文脈が、感情論になりやすい。論理的であることより、書いてないことを読み取ろうとするじゃない。誰が言ったから、信用できるとか、そういうイメージばかりが先行してしまうのは欠点だと思う。一体感はうまれるけれどね。ねえ。でっくん。
どうやら、僕は、そんなにも恋をしているらしい。
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