渡りの大地の浄化者
RAITO(らいと)
第1話
第一話
その日、なぜか呼ばれた気がした。
「ナオ……」――誰の声かはわからないけれど、ナオはふと立ち止まった。
駅前の坂道の先には、長い石段が続いている。
いつもなら素通りして帰るだけの道だった。
石段の両脇には草が伸び放題で、苔むした狛犬は今にも崩れそうだ。
登り切った先には、誰も訪れた気配のない古びた神社が佇んでいる。
ひび割れた石畳、色あせた赤い鳥居、奉納されたまま崩れ落ちた絵馬。
人気はないはずなのに、どこかで誰かが息を潜めているような、妙な気配を感じた。
「ちりん、ちりん」
鳥居をくぐる瞬間、鈴の音が鳴った。
誰かが落としたキーホルダーの鈴のように、小さく、それでいて妙に澄んだ音。
懐かしく、うれしく、でも胸の奥をかすかに締めつけるような、少し悲しい響きだった。
――次の瞬間、空気が変わった。
参道に差す夕陽が白く滲み、木々の影が溶けるように揺らめく。
鳥居の奥に広がる景色は、見慣れた境内ではなく、波紋のように揺れる光の帯。
その光は、最近なぜか繰り返し見る夢の断片と同じ形をしていた。
思わず手をかざす。
チカッと眩い光が弾け、視界がグニャリと歪み、目をギュッと閉じる。
目を開けると、さっきまでの神社も坂道も消えていて、周囲には見知らぬ森が広がっていた。
柔らかい土の感触、甘く香る空気、木々の影が揺れるさま。
体がふわりと浮くような感覚に、ナオは思わず膝をつく。
「ここ……どこだ?」
ふと上を見上げると、さきほどの光の帯が揺らめいていた。
手を伸ばすと、光は波紋のように広がり、森の空気を揺らしたかと思うと、はじけて消えた。
「わけがわからない…だってさっきまで神社にいたよね…」
ナオはしばらく立ち尽くしたまま、目の前の森を見つめていた。
枝の間から漏れる光は柔らかいが、影が深く入り組んでいて、どこに道があるのかさえわからない。
息を整え、どうすることもできないと悟ったナオは、ゆっくりと歩を進めることにした。
歩き始めて数分、景色は大きく変わるわけではない。
木々の間から差し込む光も、さっきと同じように揺れている。
変わり映えのしない森の景色に、ナオは漠然とした不安を覚え始めた。
「……ここ、本当に大丈夫なのかな」
しかし、立ち止まって考えていても仕方がない。
「……とにかく進むしかないか」と、あきらめたように視線を前に向ける。
小さな胸のざわつきを押さえ込み、手足を一歩一歩動かして森の中を歩き出した。
森は思った以上に深く、木々の影が濃く入り組んでいる。
風が葉を揺らし、ガサガサと乾いた音を立てて耳に届く。
心臓の鼓動が早まり、胸の奥に小さな不安が広がる。
足元の土は柔らかく、踏みしめるたびに微かに沈む感触。
歩いても歩いても、景色は変わらず、道らしい道も見当たらない。
ふと、うめき声のようなかすかな音にやや大げさに身構えた。
「今、何か聞こえたような…」
茂みの向こう、恐る恐るのぞき込む。
これまでの疲労と不安が混ざり合って、膝が笑っている
「あ、これなにかあっても逃げられないな」と妙に冷静だった。
のぞき込んだ先には、小さい生き物のような何かが横たわっている。
どうやら先ほどの声の正体はあれみたいだ。
茂みの奥で、光の粒子がわずかに明滅していた。
ナオはそっと身をかがめ、目を凝らす。
そこにいたのは、手に収まるほどの小さな生き物だった。
ころんとした体は光を宿しているように白い肌に、髪のように見える部分は淡く輝くパールホワイト。
「……苦しんでいる?」
よく見ると髪の毛がちぎれたように黒く蝕まれている。
咄嗟に駆け寄ったナオは、小さな生き物を抱きかかえる。
「どうしよう、助けなきゃ、でもどうすればいいのかわからないよ」
ナオは思わず手を小さくかざした。
心臓がドキドキする。どうしてかはわからない――でも、助けたいという気持ちだけが確かにあった。
すると、手のひらからかすかな温かさが広がるような感覚が走る。
光の粒子のようなものが、ナオの手先から生き物へと流れ込むのが見えた。
黒く蝕まれていた髪の部分が、ゆっくりと薄い白に戻り、細かな光がまた宿り始める。
ナオは息をのむ――自分の手から、確かに何かが流れたのだ。
「……大丈夫、もう痛くない?」
ナオの問いかけに、小さな生き物はゆっくりと頷き、目をぱちぱちと瞬かせる。
小さな生き物は、ふわりと体を伸ばすと、突然ぴょんと飛び上がった。
くるくると空中で回りながら、短い手足をいっぱいに広げ、新鮮な空気を目一杯吸い込む。
そして、楽しげに「ひゃっほー!」と奇声を上げた。
ナオは思わず目を丸くする。
「え、えっと……君、しゃべるの?」
「しゃべれるよ! アタシ、ミルプカプルリス・ポヨヨルルルラ・フニフニチョコポコ・ルルンピカリン!」
ナオは口をポカンと開ける。
「……な、長い! 覚えられるわけないよ!」
生き物はふわふわと体を揺らしながら、にっこり笑った。
「えへへ、だから普段は“ミル”って呼んでね!」
ナオは少し肩の力を抜き、苦笑いしながら答えた。
「……ナオだ。よろしく、ミル」
こうして、ここから、僕たちの旅が始まったんだ。
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