第4話

ケイル村に豊穣の大地が蘇ってから、数週間が過ぎた。

村は収穫祭の準備で活気づき、人々の笑顔が絶えない。俺とシルフィの穏やかな日々も続いていた。


だが、最近、シルフィの表情に時折、影が差すことに俺は気づいていた。

収穫を手伝っている時も、森へ散策に出かけている時も、ふとした瞬間に遠くを見つめている。


その夜、暖炉の火を見つめながら、俺は切り出した。


「シルフィ。何か悩みがあるなら、話してくれないか」

「……え?」


シルフィは驚いたように顔を上げた。


「俺でよければ、力を貸す。もう、俺たちは一緒に暮らす仲間なんだから」


その「仲間」という言葉に、シルフィは瞳を潤ませ、そして、ぽつりぽつりと話し始めた。

彼女が故郷の森を離れ、一人で旅をしていた理由を。


「私の故郷の森が……病に蝕まれているんです。どんな薬を使っても浄化できず、木々は枯れ、動物たちは姿を消しました……」


シルフィの故郷の森は、強力な瘴気……一種の呪いによって、緩やかに死に向かっているのだという。


「長老様が古文書を調べ、唯一の希望を見つけました。それが、この地のどこかに咲くという『月光草』。その花だけが、森の呪いを解くことができる、と」

「月光草……」

「はい。でも、その生育地は、非常に強力な魔物によって守られていると聞きます。私一人の力では、とても……」


だから、彼女は危険を冒して一人でこの地までやってきたのだ。

俺に助けられたあの日も、月光草の情報を求めて森の奥へ向かう途中だった。


「レイトさん。どうか、あなたのお力を貸していただけないでしょうか」


シルフィは深く、深く頭を下げた。

その震える肩を見て、俺の答えは決まっていた。


「顔を上げてくれ、シルフィ」


俺は彼女の肩にそっと手を置く。


「仲間が困っているんだ。断る理由がないだろう? 一緒に行こう、月光草を探しに」

「……! はいっ!」


シルフィは、涙を浮かべながら、満面の笑みで頷いた。

誰かのために、自分の意志でこの力を使う。それは、俺にとって初めての経験だった。




翌日、俺たちは村長から月光草の生育地と、そこに巣食う魔物の情報を得た。


「月光草は、この先の『嘆きの森』の最深部に咲くと言われておる。しかし、そこには森の主、ナイトメア・トレントが……」


ナイトメア・トレント。

古の樹木が魔物化した存在で、物理的な攻撃が効きにくいだけでなく、幻覚や恐怖といった精神攻撃を得意とする厄介な敵だ。


「精神攻撃……つまり、状態異常の専門家か」

「うむ。多くの冒険者がその呪いに心を折られてきた。レイト殿でも、さすがに分が悪いのでは……」


心配する村長に、俺は不敵に笑って見せた。


「いえ、むしろ逆です。そいつは、俺にとって最高の獲物ですよ」


嘆きの森は、その名の通り、不気味な静寂と濃い瘴気に満ちていた。

森の最深部、月光だけが差し込む開けた場所に、その魔物はいた。

樹齢千年を超える大樹のような巨体。無数の枝が、まるで不気味な腕のように蠢いている。

――ナイトメア・トレント。


「……ッ!」


シルフィが息を呑む。魔物が放つ強烈なプレッシャーに、足がすくんでいるようだ。

ナイトメア・トレントが、その枝の一本をシルフィに向けた。


『――恐怖に染まれ』


低い声のようなものが、直接脳内に響く。

シルフィの体がガクガクと震え始めた。強力な『恐怖』の状態異常だ。


だが、俺は冷静だった。


「おあいにく様。専門家(・・)の前で、その手は通用しない」


俺はシルフィの前に立ち、片手をかざす。


【状態異常反転】


シルフィを蝕んでいた『恐怖』の呪いが、一瞬で光に変わる。

反転したその感情は――『勇気』。


「え……? 体が、熱い……。なんだか、何でもできるような気がします!」


恐怖を克服し、力強い瞳を取り戻したシルフィ。

さて、ここからは俺の番だ。


「他人の得意分野に手を出したこと、後悔させてやる」


俺はナイトメア・トレントに向け、次々と呪いを放っていく。


――【状態異常付与:腐敗】

――【状態異常付与:枯渇】

――【状態異常付与:石化】


植物系の魔物にとって、天敵とも言える呪いの三重奏。

ナイトメア・トレントの動きが、目に見えて鈍くなる。その巨体を構成する樹皮が、ボロボロと崩れ落ちていく。


『グ……オオオオオオッ!?』


断末魔の叫びを上げ、森の主は、ついにはその巨体を支えきれずに崩れ落ち、ただの枯れ木へと変わった。

一撃も交えることなく、戦闘は終わった。


「……終わった、のか?」


俺は呆然と呟くシルフィに向き直り、悪戯っぽく笑った。


「言っただろ? 相性が良かったんだ」


ナイトメア・トレントが消えた祭壇のような場所に、月光を浴びて淡く輝く一輪の花が咲いていた。

月光草だ。俺たちは、ついにそれを手に入れた。



王都――騎士団本部


「――以上だ。貴様ら『光の剣』には、心底失望した」


騎士団長の冷徹な声が、謁見の間に響き渡る。

その前に立つアルド、ダイン、セシリアの三人は、屈辱に顔を歪めていた。


「今回の任務失敗、および騎士の名誉を著しく損なった罰として、貴様らのパーティランクをAからCへ一時降格とする!」

「なっ……! Cランクだと!?」

「静まれ、アルド! これは決定事項だ」


Cランク。それは、駆け出しの冒険者と変わらない地位だ。

これまで彼らが見下してきた者たちと、同じ立場に落ちることを意味する。


「次に与える任務で成果を出せねば、パーティは即刻解散、勇者の資格も剥奪する。心して聞け」


騎士団長が言い渡した次の任務は――『オークの集落の掃討』。

彼らにとって、それはプライドをズタズタにされるような、屈辱的な任務だった。


「……承知、いたしました」


アルドは、歯を食いしばりながらそう答えるしかなかった。

謁見の間を退出した後、三人の間には重い沈黙が流れる。


「……どうして、こうなった」


最初に口を開いたのはセシリアだった。


「すべて、レイトが抜けたせいだ……。いや、あんな無能がいた時から、このパーティは蝕まれていたんだ!」


アルドは、未だに責任を他人に押し付けることでしか、自分のプライドを保てなかった。

その瞳には、かつての輝きはなく、焦りと憎悪の濁った光だけが揺らめいていた。


彼らが真実に気づき、絶望するのは、まだ少し先の話である。


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