『16barsの鼓動』第三章(改定完全版)

 夜。

 ことねの部屋の机には、いつものノートが広げられていた。

 文字で埋め尽くされたページを、ことねは何度も見返す。


「……声にすれば、変わるのかな」

 彩葉の言葉が、頭の中で繰り返される。


 スマホの録音アプリを起動。

 震える手でマイクに顔を寄せる。

 書き殴った言葉を、リズムも何もわからないまま口にしてみる。


 ――しかし。

 息が詰まり、声が裏返り、リズムはバラバラ。

 音になった瞬間、言葉は力を失ってしまった。


「……ダメだ。やっぱり私には無理」


 ことねは顔を両手で覆った。

 ノートの文字が、ただの落書きに見えてしまう。


 そのとき、窓の外からドン、ドン、と低いビートが聞こえてきた。

 覗いてみると、アパートの前の道で、猫丸がなぜかスピーカーを持ち出して遊んでいた。

 横にはみのたと、尻尾を振り回すべすの姿。


「おじさん、夜な夜な何やってんの……」

 窓を開けると、猫丸がこちらを見上げてにやりと笑った。


「言葉はな、声にしなきゃ武器にならねぇ」

「……」

「ノートに閉じ込めるだけじゃ、誰にも届かない」


 ことねは言葉を失った。

 どうして自分がノートに書いてることを、この人は知ってるんだろう。


「おばちゃんも言っとくけどねー」

 みのたがにこにこと手を振る。

「声にするって、勇気の儀式みたいなもんだよ。失敗も成功も、まずはやってみなきゃ始まらないの」


「わんっ!」

 べすが勢いよく飛びついてきて、ことねの頬に「べろりんちょ」。


「ちょっ……! だからやめてってば!!」

 必死で顔を拭うことねを見て、猫丸は笑った。


「粗くてもいい。声に出した時点で、それはもう“生きた言葉”だ」


 ことねは窓を閉めた。

 スマホを手に取り、もう一度録音を始める。

 震える声で、ノートの言葉をラップのように吐き出す。


 ――まだ下手くそ。

 ――でも、心臓が熱く鳴っていた。

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