第一章 灰の記憶 2
十五年後。
リオは狩人になっていた。
ギルドが発行する許可証には、討伐実績が並んでいた。三級危険種、十七体。二級危険種、九体。一級危険種、三体。傷一つない完璧な記録。
「また単独か、リオ」
ギルドマスターのグレンが、受付カウンター越しに呆れたように言った。白髪混じりの髭を撫でながら、彼は依頼書に判を押す。
「他の狩人たちと組む気はないのか? お前の腕は認めるが、単独行動は危険だ。今回の標的は二級のヴォルフバーン。群れで行動する肉食種だぞ」
「問題ありません」
リオは短く答えた。灰色のフードを目深に被り、背中に担いだ大剣を調整する。その剣は彼の背丈ほどもある巨大なもので、刀身には無数の傷が刻まれていた。
グレンは溜息をついた。
「……お前は、何と戦ってるんだ? モンスターか? それとも、自分自身か?」
リオは答えなかった。ただ、依頼書を受け取り、ギルドホールを出て行った。
背後で、若い狩人たちの囁き声が聞こえた。
「あれが〈灰の狩人〉か……」
「本当に単独で二級を? 化物だな」
「いや、化物と戦う化物、って方が正しいんじゃないか」
リオは気にしなかった。彼らが何と言おうと、それは彼の人生には関係なかった。彼にとって重要なのは、ただ一つ。
狩ること。
討伐すること。
そして、いつか——
〈星喰らい〉を殺すこと。
森は静かだった。
リオは木々の間を音もなく進んだ。足元の枯れ葉を踏まないように、体重を分散させながら。風の向きを確認し、自分の匂いが標的に届かないようにする。
ヴォルフバーンの群れは、谷間の洞窟を巣にしていた。昼間は休息し、夜に狩りをする。今は日が高いから、巣にいるはずだ。
リオは崖の上から、洞窟の入り口を見下ろした。
「いた」
洞窟の前で、二頭の成体が横になっていた。見張りだろう。体長は三メートルほど。黒い毛皮に覆われ、背中には骨質の棘が並んでいる。牙は人間の腕ほどもある。
リオは大剣を抜いた。金属が擦れる音が、静かに響く。
彼は跳んだ。
崖から、真下の見張りへと。
風を切る音。ヴォルフバーンが気づいて顔を上げる。だが、遅い。
リオの剣が、一頭の首を断った。
血が噴き出す。倒れる巨体。もう一頭が咆哮を上げて飛びかかってくる。
リオは体を捻り、その突進を躱す。そして、すれ違いざまに剣を横に薙いだ。刃が脇腹を切り裂く。ヴォルフバーンが悲鳴を上げて転倒した。
洞窟の中から、さらに三頭が飛び出してきた。
リオは動じなかった。
これは、いつもの狩りだった。
計算された動き。無駄のない太刀筋。感情のない戦闘。
一頭が襲いかかる。剣で受け止め、体重を乗せて押し返す。その隙に別の一頭が背後から迫る。リオは剣を手放し、腰の短剣を引き抜いて振り返りざまに喉を刺した。
残る二頭。
リオは大剣を拾い上げ、構えた。
ヴォルフバーンたちが、低く唸った。だが、その目には恐怖があった。仲間が次々と倒されるのを見て、本能が警告しているのだろう。
逃げろ、と。
だが、リオは逃がさなかった。
彼は走った。二頭が逃げる前に、間合いを詰める。そして、跳躍。上段から振り下ろす一撃。一頭の背骨が砕ける音。
最後の一頭が振り返り、必死に牙を向けてきた。
リオの剣が、その頭蓋を貫いた。
静寂が戻った。
血が地面を濡らし、死骸が転がっていた。五頭。依頼は四頭以上の討伐だったから、十分だろう。
リオは剣を鞘に収めようとして、ふと気づいた。
洞窟の奥から、微かな音がしていた。
彼は警戒しながら、洞窟の中へと足を踏み入れた。松明を灯し、薄暗い通路を進む。血と獣の臭いが濃くなる。
奥に、巣があった。
そして、そこに——
幼獣がいた。
三頭。まだ目も開いていない。母親の死骸に寄り添って、弱々しく鳴いていた。
リオは立ち尽くした。
幼獣たちは、彼の存在に気づいていない。ただ、必死に母親の体温を求めて、すでに冷たくなった体に顔を押しつけていた。
リオの手が、剣の柄に伸びた。
これも、仕事だ。幼獣を残せば、やがて成長して人を襲う。それが、狩人の常識だった。
だが。
彼の手が、止まった。
幼獣の一頭が、弱々しく鳴いた。母親を呼ぶような、切ない声で。
リオは、何かを思い出した。
遠い記憶。灰に包まれた世界。母の腕の温もり。そして、二度と聞くことのできなくなった声。
彼は剣から手を離した。
そして、静かに洞窟を出た。
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