灰の狩人と星喰らい

マスターボヌール

第一章:灰の記憶 1

空が、灰に染まった。


リオは母の腕の中で、その光景を見上げていた。六歳の目に映る世界は、いつもと違う色をしていた。青かった空が鉛色に変わり、太陽が黒い霧に飲み込まれていく。


「リオ、目を閉じて」


母の声が震えていた。それが何を意味するのか、幼い彼にはまだわからなかった。

村の広場では、大人たちが叫んでいた。誰かが鐘を鳴らし、誰かが泣き叫び、誰かが祈っていた。だが、その声はすべて、やがて訪れる轟音にかき消される運命にあった。


それは、遠くから聞こえてきた。


低く、重く、大地を震わせる咆哮。まるで世界そのものが悲鳴を上げているような音だった。リオの体が硬直する。本能が、何かが来ると告げていた。何か、取り返しのつかないものが。


「大丈夫、大丈夫だからね」


母はそう言いながら、リオの頭を自分の胸に押しつけた。温かかった。柔らかかった。だが、母の心臓が激しく跳ねているのが、幼い彼にも伝わってきた。


空から、何かが降ってきた。


最初は小さな粒だった。灰のような、雪のような。それが手のひらに落ちると、じわりと熱を持った。痛い。熱い。リオが顔を上げると、村中が白い粉に包まれ始めていた。


違う。白じゃない。灰色だ。


「母さん、これ——」


言葉の途中で、世界が爆発した。

轟音。地鳴り。悲鳴。


リオは母の腕の中で揺さぶられ、視界が回転した。何が起きたのかわからない。ただ、世界が終わろうとしているのだけは、確かにわかった。

煙の向こうに、それは現れた。


巨大な影。四本の脚。背中から伸びる、翼のような器官。そして、無数の目——いや、発光器官だろうか——が闇の中で明滅していた。それは村の端から現れ、ゆっくりと、だが確実に、すべてを踏み潰しながら進んできた。


「〈星喰らい〉……」


誰かがそう呟いた。その声には、諦念しかなかった。


母が走り出した。リオを抱えたまま、必死に。周りでは、他の村人たちも逃げ惑っていた。だが、どこへ? この小さな村に、あの化物から逃げられる場所などあるのか?


背後で、家屋が崩壊する音がした。石の壁が砕け、木材が折れ、人々の悲鳴が一つ、また一つと消えていく。


母が転んだ。


リオの体が地面に投げ出され、肺から空気が押し出される。痛みで目の前が白くなる。だが、母はすぐに立ち上がり、再び彼を抱き上げようとした。


その時、影が落ちた。


ゆっくりと、リオは顔を上げた。

そこに、それはいた。


〈星喰らい〉。


近くで見ると、その巨大さは圧倒的だった。まるで移動する丘のようだった。体表は硬い甲殻に覆われ、そこから紫色の光が脈打っていた。呼吸をするたびに、大気が震えた。


母がリオを庇うように、自分の体で覆った。


「逃げて——」


誰かが叫んだ。父の声だった。リオは母の肩越しに、広場の反対側に立つ父の姿を見た。父は槍を構えていた。村の狩人たちも、数人、武器を持って集まっていた。

だが、それは無意味だった。


〈星喰らい〉が首を巡らせた。そして、口を開いた。


光。


眩い、紫色の光が、父たちのいる方向へと放たれた。熱波がリオの頬を撫でた。そして、悲鳴が途切れた。


煙が晴れると、そこには何も残っていなかった。地面が溶け、石が砕け、すべてが灰になっていた。


「あ……あぁ……」


母の口から、呻き声が漏れた。だが、彼女は決してリオを離さなかった。ただ、震える腕で、息子をきつく抱きしめ続けた。


〈星喰らい〉が再び動き出した。今度は、彼らの方へ。

母の心臓の音が、狂ったように早くなった。


「リオ」


母が囁いた。


「お前は、生きるのよ」


その声は、不思議なほど静かだった。


母がリオを地面に下ろし、素早く村の端にある水路の方へ押しやった。


「入って。じっとして。何があっても、音を立てないで」

「母さん——」

「いい子ね。ずっと、いい子でいてね」


母が微笑んだ。涙で濡れた顔で、それでも微笑んだ。


そして、彼女は立ち上がり、〈星喰らい〉の方へと歩いて行った。


「こっちよ! 私よ!」


母が叫んだ。両腕を広げて、まるで鳥のように。


〈星喰らい〉の視線——そう見えるものが——母に向けられた。

リオは水路の中で、すべてを見ていた。


母が〈星喰らい〉の前に立った。小さな人間が、巨大な怪物の前に。

そして、光が放たれた。


母の姿が、一瞬で消えた。


後には、灰だけが残った。風に舞い、空へと昇っていく、白い灰。


リオは叫ばなかった。叫べなかった。声が、喉の奥で固まっていた。ただ、目を見開いたまま、母がいた場所を見つめ続けた。


〈星喰らい〉は、ゆっくりと去って行った。村を踏み潰し、すべてを灰に変えながら。その巨体が地平線の向こうに消えるまで、どれだけの時間が経ったのか、リオにはわからなかった。


やがて、静寂が訪れた。


村は、もう存在しなかった。


リオは水路から這い出て、灰に覆われた大地に立った。足元で、灰が舞い上がる。これは、家の灰なのか。木々の灰なのか。それとも——

母の灰なのか。


幼いリオは、その場に膝をついた。


そして、両手で灰をすくい取った。


それは、とても軽かった。風が吹けば、すぐに指の間から流れ落ちてしまうほどに。


「母さん」


ようやく、声が出た。


「母さん……」


しかし、答える者はいなかった。


空だけが、灰色のまま、彼を見下ろしていた。

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