神が授けた悪臭

青山 翠雲

第1話:鬼の住処

 「澤出さわで先生、残り時間10分となりました。秒読みはどうされますか?」

 「残り5分からお願いします。」


 額に汗が滲んでくるのを感じた。それは、この難解な局面のせいだけではなく、加えて、対局相手の奈良よりも先に持ち時間の消費が早く、1分将棋に突入してしまいそうな展開による比重の方が大きかった。


 「鬼の住処すみか」と言われる「B級1組」は、強豪ひしめく難関として恐れられていた。このB級1組は13人いる棋士がそれぞれ12戦して上位2名は、将棋界でTop10名しかなれない憧れのA級棋士となることができる。棋士の紹介でも必ず「A級在籍〇期」などと紹介されるなど、一種のステータスシンボルともなっているし、「A級棋士」になることは、タイトルを一つ取るのに匹敵するほどの収入効果があると言われていた。要は名棋譜を残していただくに足る名棋士との意味合いから、1局あたりの対局料がぐんと高くなるのである。


 したがって、夢のA級棋士目指して、13名のB級1組在籍棋士たちは、全身全霊を懸けて順位戦での勝利を目指して対局に臨んでいた。


 2034年度B級1組最終戦は、女性4人目の棋士として頭角を現し、今期初めて「鬼の住処」まで駒を進めていた澤出香澄さわでかすみ27歳と鬼の住処の番人ともぬしとも異名を取る奈良勉ならつとむ36歳との対局で、勝った方がA級昇級という大一番を迎えていた。


 澤出七段もこれまで厳しい三段リーグ、人数ひしめくC級2組、C級1組、B級2組を勝ち抜いてきているだけあって、大一番には強い方だと思っていたが、さすがにA級がかかった大一番は舞台の大きさがこれまでとは違った。元々、便秘がちな体質ではあったが、今日でもう4日間も出ていなかった。それには、直近2戦どちらかを勝っていればA級入りが決まっていたものを、澤出自身が勝った!と思ったその刹那、「詰めろ逃れの詰めろ」の絶妙手が対局相手に出て速度が逆転。一手差で敗れる羽目となり、その対局の尾をひきずりながらの次局では、攻め込めば即詰みがあったにもかかわらず、自玉の守備に一手かけてしまったがために、相手玉を崩す穴を塞がれてしまい、その後は持ち駒の多寡の差により、じりじりと攻め込まれて、遂には土俵を力なく寄り切られて割った。あとで対局を振り返ると、勝勢99対1から優劣バーが一気に相手に傾く様を見た時は傷口を再び抉られ塩を塗りたくられたような疼きを覚えた。そんなことが続いたため、自律神経は乱れ、ヒドイ便秘に苛まれていた。

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