読了あるいは読書家の死

川詩夕

#読了

 #読了。

 伝播する呪いのように付随する記号と作品の批評をWeb上に書き連ねてPost。

 飛び切りのスピードに乗ってそれらの批評に対し共感の共鳴が上がる。

 顔も名前も偽りだらけ、目には見えない細い糸で繋がっている程度の仲間と呼べるのかさえ疑問が残る界隈。

 その正体はWeb上のNpcであって現実の世界には実在しないものなのかもしれない。

 しかし、それら共感の共鳴なしでは到底現実を生きられそうにない精神状態に陥っている。

 もはや本を読むという事が目的ではなく、その先にある自己肯定される共感の共鳴を獲るという事を目的とし躍起になっている。

 それら全てをあいつに指摘されるまで自分では全くと言っていいほど気が付かなかった。

 思い返してみると通勤や仕事合間の休憩時間、自宅での家事の合間、日常生活全ての行為に対して読書が付随しているという状況だった。

 生きるという行為、生命力が徐々に薄まっていたのかもしれない。

 子供の頃は漫画しか読んでいなかったけれど、高校一年の時に小説を読むようになった。

 きっかけはクラスメートの一言で、そいつは本の虫と呼ばれていた。

「漫画も良いけどさ、小説を読んだ方が良いよ」

「文章だけの本って苦手なんだよね、読んでると眠たくなるし」

「世界の見方が変わるよ」

 そう言われて勧められたのが日本で一番売れている純文学作家の神戸を舞台としたデビュー作の小説だった。

 その日の学校の帰り、書店でクラスメートから勧められた作家の本を手に取りレジへと向かった。

 それから一週間ほどかけて購入した本を読み終えた。

 小説についての率直な感想は『意味が分からない』という事で、クラスメートに対してもそう述べた。

「そうなんだ、その小説は読んでないから何とも言えないな」

「え? どういう事? 読んでない本を勧めたの?」

「一番売れてる純文学作家だから勧めただけだよ、深い意味なんてない」

 やれやれ、とでも一言返せば良かったのだろうか。

 その日からは書店へ足を運んだ際、初めて読んだ作家の本を一冊ずつ購入するようになった、とはいえ今まで小説というものを読まず嫌いをして過ごしてきた為に件の作家以外は一切知らなかった。

 半年以上掛けて十冊程度の本を読み終えた頃の小説についての率直な感想は『相変わらず意味が分からない、物語りは平凡の延長線が頁の最後まで続くので退屈』だった。

 しかし、それから一年が経過したある日を境に、文学に対する意識ががらりと変化した。

 無意識のまま小説を読んでいると、唐突に文章の表現が美しいと感じるようになった。

 例えば月日の経過についての表現について、極端だが『星が瞬き風が移ろう』『陽が昇り鳥が立つ』等の比喩が胸の奥底を擽った。

 頁を捲る前の文章や句読点の配置にも惹かれ、挙句の果てには出版社別で使用されているフォントや紙質の種類まで分かるようになっていた。

 学校の休み時間、授業中も読書するようになり、気が付けば自分自身が本の虫となっていた。

 *

 数年が経過し、社会人となった現在でも飽きもせず本に夢中の日々を過ごしている。

 高校生という貴重な青春時代の大半以上は読書に費やした為、友人と呼べるものは二人しかいなかった。

 既にその内の一人とは疎遠になっており、もう一人は勿論親友と呼べる間柄でもない。

 そんなたった一人の友人から高校時代の同窓会への誘いの連絡が入った。

 まさか自分が同窓会に参加できるなんて思ってもみない出来事だった。

 高校時代の同級生はともかく、久々に友人に会いたいと思えた。

 教師たちは別にどうでもいい、恩師と思った事はたったの一度もないからだ。

 同窓会の会場が地元ではそこそこ名の知れたホテルだった為、黒色のジャケットを羽織りシックなコーデで向かう事にした。

 会場に着くと見覚えのある男子の顔ぶれが散見されたけれど勿論会話をした記憶等ない。

 女子に至っては誰一人として面影はなく、見覚えのある顔のものが全くいなかった。

「よう、久しぶり、元気にしてた?」

「元気だよ、そっちの調子はどう?」

「相変わらずって感じだよ」

「そう言えばさ、あいつの姿が見当たらないけど」

「あいつか、あいつは本を読みすぎて頭がおかしくなっちまったよ」

「おかしくなったってどう言う事?」

「警察に捕まったんだよ」

「どうして?」

「ネットの自殺サイトで自殺者を募って、一人の男と一緒にレンタカーの中で睡眠薬を大量に摂取して練炭自殺を図ったんだよ」

「そんなまさか……」

「あいつは途中で苦しくなって、車内に男を放置して一人で抜け出したんだ」

「助かったの……?」

「男は死んであいつだけ生き残った」

「…………」

「酷い話だよな、自分から自殺を募っておいて死ぬ直前に自分だけ逃げ出すなんてよ」

「でも生きてるなら……まだ良かったよ……」

「だめだろ、人が一人死んでるんだぜ? 自分だけがのうのうと生きてるなんておかしな話だ」

「そうだったとしても……」

「自殺幇助の罪で捕まったらしい」

「そうなんだ……」

「それも一度じゃないらしいぜ、何度も同じ事を繰り返してる」

「…………」

「誰から聞いたか忘れちまったけど、あいつ言ってたらしいぜ」

「言ってたって何を?」

「練炭自殺は楽じゃない、苦しくて苦しくて仕方がないって」

 会食は豪勢なビュッフェ形式だったけれど食欲は湧かなかった、友人の思いも寄らない話を聞いたせいだった。

 同窓会が終わり別れの間際に友人は言った。

「あんまり本を読み過ぎるなよ、あいつみたいに頭がおかしくなっちまうぜ」

 大丈夫だよ、そう一言だけ返した。

「あのさ、あいつの連絡先、知ってたら教えてくれない?」

 あいつの連絡先を教えてもらった後、友人から二次会へ誘われたけれど到底そんな気分にはなれなかった。

 それに、友人意外に話しをしたいと思う相手が一人もいなかった。

 あいつは何故自殺志願者を募るという行動に駆られてしまったのだろう。

 電車に乗り込み座席に座ると、無意識にあいつの名前をスマホを使いネットで検索をかけていた。

 いくつかのウェブサイトをチェックしていると、あいつが高校生の時に毎日身に付けていた見覚えのあるネックレスの画像が目に映った。

 ガラス玉の付いたネックレス、高校生ながら妙に安物っぽく見えると思っていたところが懐かしい。

 管理人のプロフィール欄にローマ字表記であいつの本名が登録されていた。

 ウェブサイト名は『変身』いかにもあいつらしい。

 短い独り言のような日記と自作の詩が不定期な時間帯で毎日のように投稿されている。

 投稿された詩を閲覧していると、ある日を境に明らかに文章の乱れが生じている事に気が付いた。

 終始一貫して幻想的な詩が中心であったが、やがて退廃的で棘のある表現が悪目立ちし、凡そ幻想とはかけ離れた現実的な詩へと変身を遂げている。

 あいつの身に何が起きたのだろうか。

 変身を遂げた詩が投稿された日から日記を注意深く確認する。

 10月3日『人生消費』。

 10月4日『愚者読書』。

 10月5日『本欲惰眠』。

 10月6日『縊死渇望』。

 あいつらしくない、まるで感情をそのまま吐き捨てているだけの文字が延々と続き、日記と称するにはいささか無理があった。

 帰路の途中、気が付くとあいつに電話を掛けていた。

 通話でのあいつの最後の一言は『いつでも構わない』だった。

 *

 駅近くの売店で購入した菓子を持ち、あいつの住むワンルームのアパートへと向かった。

「入れよ、遠慮するな」

 睡眠不足なのかあいつは目の下にクマを飼い酷い顔をして部屋へと招き入れてくれた。

 玄関の周辺に多くの文庫本が散らばっている。

 その本たちは読み終わった時点で用済みと宣告されているようで、本が可哀想に思えた。

「大したものでもないけれど良かったら食べてよ」

「悪いな」

 受け取った直後に立ったまま菓子の箱を乱雑に破り捨てると、お腹が空いているのかその場で菓子を頬張っていた。

「漫画だけじゃなくて小説を読んだ方が良いって勧められてからさ、今では息をするように本を読んでるよ」

「まだ本なんて読んでるのか」

「え?」

「無意味なんだよ」

「心が満たされるよ」

「珈琲淹れるから座れよ」

「ありがとう」

 上下共によれよれの黒のスウェットで身を包んだあいつの後ろ姿はまるで痩せ細った死神のように見えた。

「同窓会に来なかったんだね」

「くだらないんだよ」

「楽しかったけどね」

「お前さ友達いなかっただろ」

「…………」

「今日は何しに来たんだ?」

「友達ならいるよ、ほら、こんなにたくさん」

 SNSのアカウント開いた状態のスマホを手渡すと、しばらく無言のままタップとスクロールを繰り返して画面を見つめていた。

「くそみたいなアカウントだな」

「はい?」

「黙って読んでればいいものを作家の作品を批評し人格までも否定して、何様なんだよお前」

「えっと、つまらない作品をつまらないと言って何が悪いの? 嘘を吐いてお世辞で面白いと称賛しろって言うの?」

「作家は本を買って読んで欲しいとは望んでいる、お前みたいな奴に批評して欲しいなんて誰も思っていない、作品を扱き下ろされたその上SNSで拡散されて不特定多数の目にそれらが映るとどうなるかくらい理解できるだろ」

「くだらない作品を書いた事の責任だよ、作家の運命だね」

「本は人を選ぶ、お前の独り善がりな好みで良し悪しと作品を批評して作家の人格まで否定するなんて正気の沙汰じゃない」

「共感の共鳴の数は優に千人を越えてるんだよ、この事実を受け入れない方がどうかしてると思うけどね」

「気持ち悪いなお前含めて全員死ね」

 あいつはその後もくどくどと発言していたけれど、気が付くと息をしていなかった。

 どうやらあの痩せ細った首が折れる程に絞り上げてしまったようだ、今となっては本物の死神に見えて仕方がない。

 台所にあった程よい大きさのダンボールを見つけ、あいつの所有していた読んだ事のない本を次々とその中へと詰め込んだ。

 重たくなったダンボールを抱え込んだところでテーブルの上に部屋の鍵らしき物が目に映り込みポケットへ忍ばせた。

 部屋を出る際に施錠し、駅へ向かう途中近くに流れていた川へ向けてあいつの部屋の鍵を放り投げた。

 *

 一週間が経過した頃、月さえも眠る早朝に自宅のインターホンが鳴らされた。

「はい」

「警察の者です、お話したい事があるので扉を開けてもらえますか」

「少しお待ちください」

 返事を待たず一方的にインターホンを切った後、扉のチェーンロックをそっと掛ける。

 カチャと冷たい音が静かに鳴った。

 今日に至るまで本は一冊として売却した事はない。

 本を売却してしまうと今まで応援してきた作家を裏切ってしまう気がして、これまでの読書そのものを否定してしまう気がしたからだ。

 今後の事を想定すると、恐らく塀の中での読書は可能。

 読了Post以前にネットの使用は不可、故に共感の共鳴を得る事は不可能。

 無理だ、そんな孤独には到底耐えられそうにない。

 死んだ方がましだ。

 一先ず気持ちを落ち着かせる為に保温状態の電気ケトルを使って熱い珈琲を淹れる事にした。

 使い捨てライターで煙草に火をつけ紫煙を燻らせたところで再びインターホンが鳴らされる。

 本棚に整然と並ぶ本に火をつけて、積読の中から興味を唆る本を一冊手に取るとソファに腰を下ろした。

 珈琲の香りと煙草の匂いと本が燃える煙が入り混じる部屋の中、インターホンの音が狂ったみたいに鳴り続けている。

 珈琲を一口啜り、煙草を咥えて本の頁を捲り一行目の文章に目を通した。

 あいつの無感情な声で黙読されたけれど悪い気はしない。

 部屋の温度が上昇し、上半身が汗ばんでいる。

 咳き込む息苦しさは煙草と思えば妙に心地良く感じる事ができた。

 あと少しで本に殺されるだろう。

 #読了Postできずに。

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読了あるいは読書家の死 川詩夕 @kawashiyu

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