もう誰もそれに座らない
人間は知らないことなのですが、無機物も夢を見るのです。
ボロボロになるまで繕われたぬいぐるみも、打ち捨てられた古いオルゴールも、愛された物はみな夢を見る。ぎいこぎいこと音を立てる、古い古いロッキングチェア。椅子もまた、夢を見ていました。
いつも穏やかに微笑んでいるおばあさんが、朝の白む空気の中で編み物をしている夢。自分に腰掛けながら、おばあさんはいつも幸せそうでした。
そんな、幸せな夢を椅子は見ています。ぎいこ、ぎいこ。……ダムに貯められた水が静かに揺れるたびに、椅子は音を立てます。
おばあさんが住んでいた小さな集落は、もう水の中。誰も来ることはありません。誰も来ることはできません。椅子はもう、人を座らせることはないのです。
けれど、古いロッキングチェアは、ただ夢を見ます。
幼い子供が楽しげにはしゃいでいる夢を。女の子が自分に座り、難しい顔で絵本を読む夢を。少女が泣きながら自分の上で膝を抱える夢を。女の人が、嫁入り道具に連れて行ってくれる夢を。
……そうして、おばあさんの夢を見ます。何度も、何度も、人間で言う走馬灯のように。
ふと、ぎい……と大きな音を立てて。誰かがそれに腰掛けたような音を立てて、椅子は水圧に負け、砕けてしまいました。それでもなお、もう誰にも座れない椅子は夢を見ます。
……ああ、そうだ。思い出したように、ロッキングチェアは軋む音を立てました。水の底の青は、白む朝の空気の青さによく似ている。
微睡む中で、椅子はまだ、おばあさんに腰掛けてもらっています。
無機物に天国はないのだとしても。
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