第7話 二度目の夏――運命に抗って

 何もかもが、記憶のとおりに進んだ。

 きっと、この先も同じことを繰り返すのだろう。そう思ったユーフェミアは、宿をとる段になって、宿の主人が申し出てくれた景色のよい角部屋ではなく、廊下の反対側の部屋を選んだ。同じ部屋に泊まって、また寝入りばなに窓を蹴破られてはかなわない。

 (はあ…なんか、逆に疲れたなあ)

寝台に仰向けに横になりながら、ユーフェミアは、こと、起きるべきことを思い出していた。

 目の前に腕をかざし、ヘビに噛まれて飛び起きた時の痛み。死の恐怖よりも先に、驚きと混乱が感情を支配した。

 あり得ない出来事。今でも信じられない。

 けれど、こうして「やり直し」させられているからには、あの時、自分が死んだのは事実なのだろう。

 どうやって時間を遡ったのかは分からないが、これが夢ではないとすれば、この先でもう一度、同じ場面がやって来る。なんとかして、自分が死ぬという事態だけは回避しなければ。

 (…そもそも、あの毒蛇、って何だったの? おかしいわよね。普通、家の中に出てきて噛むなんてしないはず…)

死の直前の記憶を何度思い出してみても、わけがわからなかった。まるで、何者かが明確な殺意を持って自分を殺すつもりで、強力な毒蛇を送り込んできたような狙いすました一撃だった。

 もしかして、あれがクリーズヴィ一族にかけられた”呪い”の正体ではないのかとすら、ユーフェミアには思えた。

 (”呪い”よりはまだ、”謎の毒蛇使いの暗殺者”のほうが信憑性がある。実体があるしね。でも…そうだとしても、どうして私がクリーズヴィ家の人間だって分かったの? それに暗殺者って何者? うーん…ぜんぜん現実的じゃないけど…現実に起きてることだしなあ…)

考えていても分からないことだらけだ。彼女はしまいに、ため息をついて腕を枕元に投げ出した。

 (困ったな。死にたくない、けど…どうすればいいんだろう。ここまで来て、何もせずに帰るなんて出来ないし…。)

どうすればいいかは分からないが、やるべきことは分かっている。


 二度と同じ失敗を繰り返さないこと。

 ――絶対に、死なないこと。


 (もし誰かに狙われたのだとしても、どうして、島に来たばかりの私のことが分かってたかが一番の問題よね。フェンサリルに着いて初日だったし、まだ、アトリさんとヘグニさんくらいにしか名乗っていなかったのに…)

誰かが言いふらした? だとしたら、ヘグニでは無いはずだ。一緒に小屋に戻ってからは、一度も外出していないし、あの老人には自分を殺す理由はない。むしろ、死なれては困ると思っていたはずだ。

 それなら、候補はアトリしかいない。貨物馬車の中で自分の素性を喋ったのだから、ユーフェミアが何者なのかは知っていた。

 もしも彼が直接関与していなかったとしても、停車場で別れたあとで誰かに喋った可能性はある。アトリはあのあと、貨物馬車で丘の上のリゾートホテル”黄金のチェス亭”まで行ったはずなのだから。

 ただ、これは、呪いをかけているのが個人だとすれば、という話しだ。

 もし千年もずっと続いているのなら、さすがに個人の恨みなどではないかもしれない。土地にかけられた呪い? それとも、呪いを受け継ぐ一族でもいるのだろうか。

 (今度はなるべく素性を隠してみよう。…それと、毒蛇に噛まれて死ぬってことは、物理的にヘビを避けられればいいはず。)

とはいえ、あの隙間だらけの小屋では、蛇の侵入を完全に防ぐことは難しいかもしれない。

 考え込んでいたユーフェミアは、ふいに思い出した。

 (あ、そっか! フェンリスだ。あの子犬が吠えたから、ヘビに噛まれる前に目が覚めたんだわ。あの子を寝室に入れてやってれば、死なずに済んだのかも…。うん、きっとそう)

ユーフェミアは、解決策を思いついたことに安堵した。

 (よし、今回はあの子といっしょに眠ろう。それならヘビには殺されないわね。毒グモとか、そういう類にも…たぶん)

そこまで考えてから、ため息をついた。

 (…だけど、なんで私が命を狙われなきゃいけないの? お父さんの故郷に帰ってきただけなのに、こんな…)

寝ろこんだまま、さっき観光案内所で貰ってきたパンフレットに視線をやった。

 内容はすでに一度読んで知っている。だが、付録としてついている地図は役に立ちそうだった。

 それに、改めて眺めてみると、ヘグニの話にあった伝承に関わると思しき観光名所も幾つか書かれている。「巨人族の戦陣跡」、「和睦の砦跡」、「協議の広場」…「黄金の玉座跡」。

 ヘグニは、神の玉座は火の山のふもとにある、と言っていたが、実際にはその辺りには大きく抉れた火口があって、近づけなくなっているようだった。

 「毒ガス噴出注意。案内人なしには立入禁止」

 そんな注意書きがされている。火口のすぐ側には湖と、湖に面した丘があり、その丘の上にあるのが、例の「黄金のチェス亭」なるリゾートホテルらしい。

 (そういえばヘグニさんは、土地を勝手によそ者に売った人いがいたって話しをしてたっけ。ということは、このホテルの経営者は島の人の人なのかな?)

”リゾートホテル”などというものは、あの、寂れたフェンサリルの住民では思いつきそうもない。

 何しろフェンサリルは、ひどく寂れて、…ひどく閉鎖的な場所だった。外界をまるで意識していないどころか、変化を拒絶し、時代の流れから完全に取り残されたような土地だったのだから。

 (今回の買い物は、食料もそうだけど、あそこでしばらく暮らせるくらいの物資は必要ね)

財布の中身を確かめて、ユーフェミアはそう思った。

 そろそろ、午後の遅い時間になっている。買い物に出かけるなら、日が暮れる前には出かけたほうがいい。

 思い切って寝台の上に体を起こすと、ユーフェミアは、手早く身支度を整えた。

 買い物に出ること自体は前回と同じ。ただ、買う品の種類は、少し増えるだろう。

 所持金を使い切ってしまうことになるかもしれないが、構わない。このさき生き残れないなら、お金などいくら持っていても意味がないのだから。




 けれど、品揃えの乏しい島の店では、揃えられるものはほとんど無かった。

 手に入ったものは、懐中電灯、缶切りのついたお得用ナイフとトイレットペーパー。それに、日持ちのする缶詰くらいだ。

 数日分の食料を買い込んで、荷物を抱えて宿に戻ってきた時、ちょうど宿の入口で、警官らしき人物が宿の主人である老人と話していた。

 「ああ、お客さん。ちょうど、いいところに」

 「…え?」

この展開は、前回には無かったものだ。買い物に時間をかけたせいで、宿に戻って来る時間がずれたからなのか。

 黒い口ひげを蓄えた警官が、にこやかに話しかけてくる。

 「実は、お嬢さんと同じ船に乗っていた男のひとりが、東島エストールで指名手配されて逃亡中の殺人犯のようなんです。乗船中、何か見聞きしたことはないかですかな?」

 「いえ、特に…。というか、私以外の人たちは四人組だと思っていたんですけど…」

答えながら、心の中で思う。

 (なるほど。この時点でもう、あの人は追われていたってことね)

まだ見つかっていないということは、町のどこかに潜んでいるということか。夜になって追われて宿の部屋に飛び込んでくるところまでは確定しているが、今は一体、どこにいるのだろう。

 「その残りの三人だが、どうも、あの男の素性を知っていたわけではないらしいんだよ。」

警官は、困ったように頭を掻いた。

 「中央島セントラルの船着き場で初めて出会って、話があって意気投合したので一緒に来た、だそうだ。まったく、若者たちは無謀なものだな。」

 「えっ、友達とかじゃなかったんですか?」

 「そうらしい。事情を聞くために派出所に来てもらったが、まあ、問題なければ明日には解放されるだろう。三人とも中央島セントラルの大学生のようで、学生証を持っていた。夏休みの旅行、といったところだろうな」

 「……。」

確かに、あのニッキーという少女は、「一ヶ月くらい大自然を満喫しようと思って来た」と言っていた。

 意気投合した大学生仲間の、一ヶ月の旅。家庭事情から進学という選択肢を諦めたユーフェミアにとっては、羨ましい限りだ。

 ただ、「意気投合して」というところは、少々引っかかった。

 船内での態度を見る限り、あの黒髪の男は、あまり他の三人には馴染んでいない様子だった。会話が弾んでいる風でもなかったし、むしろ、無理やり同行させられて、うんざりしているという様子に見えたのだが…。

 「それで、あんたは…? あんたも、学生さんかい」

 「あ、えっと」

自分に疑いがかかるとは思っていなかったユーフェミアは、慌てて、どう答えるべきかを考えた。

 父のこと、祖父のこと…いや、それは言えない。クリーズヴィ家がこの島でどんなふうに思われているのか、すでに”前回”の記憶で知っている。呪われた一族の最後の生き残りが帰ってきた、などと、万が一にも噂にされては困る。

 「少し前に高校を卒業したばかりで、…実は、歴史とか神話に興味があって…。」

苦し紛れにひねり出したのは、そんな言い訳だった。

 「遠い親戚が、フェンサリル村にいるんです。それで、泊めてもらって、少し遺跡とか見て歩きたいなーって…。」

すると、警官ではなく宿の主人のほうが反応した。

 「ほう、お若いのに歴史に興味がありなさるんか」

 「は、はい。フェンサリルって、大きなお城? ありますよね。むかしの領主か何かの屋敷だったところ。」

 「ああ、クリーズヴィのお屋敷だね。最後の族長ゴジが亡くなってから、もう何年にもなるが…ただ、あそこは観光地じゃないよ」

 「分かってます。でも、遠くからでもいちど見てみたくって。絵になる場所でしょう? 他にも、火山とか…戦場の跡とか…」

 「歴史に興味があるのはいいことだが、あまり一人では出歩かないほうがいいぞ」

警官が、横から釘を刺した。

 「この島には、しょっちゅう濃霧が出る。むかしは冬だけだったのに、最近じゃあ季節構わずだ。ひどい時には半日近く真っ白なままでね。足元が見えない時に動き回って怪我をする者も多い」

 「ええ、気をつけます」

 「それじゃ、本官はこれで。もし怪しい者を見かけたら通報願います。」

言い残して、警官は去ってゆく。

 「まったく。ならず者がこの島にねえ」

宿の主人はため息をつき、カウンターの奥へと戻っていく途中で、ふと思い出したように足を止めた。

 「ああそうだ。お客さん、あんた、フェンサリルに遺跡を見に行くなら、あそこの村にある歴史博物館に行くといい。」

 「え?」

それは、初耳だった。あんな、見るからに寂れた村に博物館がある――?

 「村役場の隣にあるらしいんだよ。博物館、なんて名前はついてるが、まあ、大したものは置いてないんだろうけどね。島嶼連合ユニオンからの支援で、もう随分前に島の自治政府が作ったものだ。」

 「面白そうですね。行ってみます」

答えながら、ユーフェミアは、行かなければならない場所を頭の中にしっかりと書き留めた。

 (まず、お城…お屋敷。それと、村に行って、その博物館っていうのも確かめてみたい。…生き残れたら、だけど…。)

そう、まずは「生き残ること」だ。

 一族にかけられた呪いというのが、一度だけの不幸で終わるのか、何度でも襲ってくるのかは分からないが、父の故郷が用心すべき場所だと分かった以上、今度は決して、あんな間抜けな死に方はするまい。


 荷物を抱えて部屋に戻ると、ちょうど、日が暮れるところだった。

 (本当は早めに休みたいところだけど、…どうせ、騒ぎで起こされちゃうのよね…)

予定では、このあと警官に追われた逃亡者が、廊下の反対側の角部屋の窓を蹴破って逃げ込んでくるはずなのだ。

 寝台に腰を下ろし、思案していたユーフェミアは、ふと、父の手紙のことを思い出した。

 (そうだ。今のうちに、中身を見てみよう)

前回は、夜が明けたら読もう、と思っていた矢先に毒蛇に噛まれて死んでしまったのだ。父が出そうとしていた手紙の中身が何なのか、今度こそ確かめたい。

 ユーフェミアは、鞄から取り出した古い封筒を慎重に開封していった。封がされてから、少なくとも十五年は経っている。糊は既に劣化して、さほどの苦労なく剥がすことか出来た。

 中からは、数枚の便箋が出てきた。開いてみると、どこか懐かしいような、不思議な感覚に囚われた。

 (――これが、お父さんの字…)

手紙は、他人行儀な書き出しから始まっていた。


 ”父上、エイリミ・クリーズヴィ殿

  不肖の息子、ヘイミルより


 故郷を出て、はや五年近くが経とうとしています”


 ここでユーフェミアは読むのをやめ、首を傾げて考え込んだ。

 (五年…?)

確か、両親が出会ったのは、父が中央島セントラルに出てきてすぐの頃だったと聞いている。

 それからほどなくしてユーフェミアが生まれた。父が事故で亡くなったのは、ユーフェミアが三歳になったばかりの頃だったはず。

 (じゃあ、この手紙って、お父さんが亡くなる直前に書かれたもの…?)

出そうと思って忘れていたか、迷っているうちに事故に遭い、結局、投函できないままだったのかもしれない。

 彼女は、急いでその先の文面に視線を走らせた。


 ”遠い島へ来て、娘が生まれました。そう、クリーズヴィ家の血を引く女の子です。いずれは家長となるべきとは分かっています。

  ただ私は、この子が呪いに囚われてしまうのが怖い。

  この島には”魔法”はありません。神代の時代の生き物も生き残ってはいません。全く違う世界です。

  ここなら、娘は”呪い”も”宿命”も知らず成長できると信じられます。

 

 娘には島のことは話さないつもりです。

 それでも、もし、彼女が運命に導かれて島へ向かうことがあれば…その時は、受け入れるつもりです。

 いつか彼女が貴方のところへ辿り着く時が来たら、その時はどうか、先祖代々のルーンの秘密を明かしてください。


 娘には、我が一族の祖先たちの名を取らず、妻の祖先から”ユーフェミア”と名付けました。

 この名前の目眩ましがきっと、この子が成長するまで、存在を隠してくれるでしょう。

 私はきっと、もう長くはない。運命の足音を聞いたのです。


 それでは父上、どうか、ご健勝であられますことを。”


読み終わっても、ユーフェミアは微動だにしなかった。 

 いや、出来なかった、と言ったほうが正しいかもしれない。

 どう解釈すれば、いいのだろう。これでは父は、ユーフェミアがいつか自発的に島に向かうことも、自分が遠からず死んでしまうだろうことも、予測していたようではないか。

 予言の力は、女性だけにあるものではなかった? それとも、単に「運命」とか「呪い」とかを信じていただけ?

 確かなことは、父の予感が当たっていた、ということだけだ。ユーフェミアがいつか島へ向かうことも、自分がまもなく死んでしまうことも。

 (私が、この島へ来たのは運命なんかじゃない。これは、私自身の意思。そもそも、お父さんのこの手紙を見つけたのだって、偶然なんだし…お父さんが無事に手紙を出せていれば、ここへ来ることも無かった…。それとも、すべての出来事が繋がっているとでもいうの? ほんの些細な出来事が、一つに繋がって…。まさか、それを”運命”とか”宿命”って呼んでるってこと…?)

自分は既に二度、同じ時を繰り返している。

 その二度目は、最初と寸分たがわぬ出来事ばかりではなかった。ユーフェミアが宿泊する部屋を変えたように、買い物で時間を取られて会うはずのなかった警官に会ったように、――自分の行動によって、変わってしまった部分もある。

 それは、運命を変えたことになるのか。

 それとも、結末は変わらないまま、異なる過程を辿っただけなのか?


 考えているうちに、いつしか夜になっていた。前回と同じように、外から、騒がしい捕物の声が響いてくる。

 「止まれ! 止まらんと撃つぞ!」

 「そっちへ行った、道を塞げ!」

怒号と発砲音。ほぼ同時に、ガラスの割れる微かな音が廊下のほうから聞こえてきた。斜め向かいの廊下の端にある部屋に、あの指名手配された男が飛び込んだのだろう。

 (そう、今回、私はあの人には会わない)

バタバタと廊下を走る足音。

 「抵抗するな! もう逃げられ…ぐはっ」

追っ手の台詞が途中で途切れ、重たいものが床に倒れる音がした。

 宿の主人の悲鳴。足音が階段を駆け下りて、どこかへ遠ざかってゆく。

 (…本当に同じね。ここまでは)

ため息をついて、ユーフェミアは手紙を封筒の中に戻した。

 今は、考えていても仕方がない。

 変えられない事実として、父は既に亡くなっており、手紙を読むはずだった祖父ももういない。

 一度死んだあとの”やり直し”は、この島に到着するところから始まった。――”島の外には魔法はない”と父は書いていた。それなら逆に、この島には”魔法がある”のかもしれない。

 少なくとも、この先の未来は変えられるはずだ。

 「ルーン」とやらが何なのかは分からないが、それは、フェンサリルで無事に初日を生き延びられたら、城の中ででも探してみよう。


 「運命」とか「宿命」などという言葉は、信じない。いや、気に食わない。

 学校ではよく、女の子たちが楽しげに占いやおまじないの本を広げては、「恋の運勢」だの「運命の人との出会い」だのについて語っていた。

 そんなものは、まやかしなのだ。良くしようと思えば良くなるし、何もしなければそのまま。避けようもない不幸はあるし、何もしなくても訪れる幸運もある。

 だが、もし、

 誰かに仕組まれた不幸や、誰かに決められた未来があるというのなら――


 そんなものに従うつもりは、微塵もない。

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