拝啓、破滅の世界へ

ふみお。

第1話  始まりはテンプレ通りに

強い意志を宿した彼女の黒い瞳は、真っ直ぐに俺を見つめた。縋るように、でも決して諦めの見えない声色で、ゆっくりと口を開く。


『世界の均衡は、崩れ始めてる』


『私たちに_______残された時間は、少ない』


『お願い、みんなが笑顔になれる』


『最高の【アレルダ】を取り戻して』



時刻は早朝4時。まだ夜の延長線上にある都会の街にて大量の業務を終えた俺はくたびれたスーツのオッサンと膝を並べながら電車に揺られていた。


向かいにはいかにも夜職終わりのお姉さんがスマホに忙しなく指を滑らせており、入り口の方ではやさぐれたカップルがイチャついている。


カバンを抱いて眠りこけながら中途半端なハゲ頭を俺の肩に乗せているオッサンを横目にコイツも苦労してんだななどと思ったところでオッサンが涎を垂らし始めた。最悪だ。


ぼんやりと視線を移すと、今度はちょっとやめてよお、と腰をくねらすやさぐれ女とバッチリ目が合った。ヤベェと視線を逸らす前に女が男に耳打ちする。先程までこちらに背を向けていた男が振り返り、「なに見てんだオッン!」と吠えた。その声に隣のハゲ頭がビクリと目を覚まし、向かいのお姉さんがチラリとこちらを見る。オッサン?俺が?


ガタンゴトンと重い音を響かせながら電車がトンネルに入って、向かいの窓に自分の姿が反射した。


ボサボサの髪に隈の酷い目元、スーツのくたびれ具合はハゲ頭とそう差はない。

とても26歳には見えない風貌がそこにあった。俺はこんなにも老けて見えていたのか。3日間ろくに鏡も見ず会社に寝泊まりしていたため全く気づかなかった。かなりショックである。


呆然と窓を見つめる俺と額の脂汗を拭うハゲ頭を見て、やさぐれ女が「オッサンきもーい」と笑った。お姉さんの視線は再びスマホに向けられていた。


なんだか虚しくなってきたところで電車が駅に着き、プシューと音を立ててドアが開く。

カップルに続いてハゲ頭が慌ててホームへ降りて行った。強く生きようなオッサン。


誰かが乗ってくることもなく発車した車内で次の駅名を知らせるアナウンスが響く。


お姉さんと俺のみを残した車内はシンと静まり返り、降りる駅が五つは先であることを確認した俺は、先程までのハゲ頭と同様セールで買ったカバンを抱いて目を瞑った。


ガタンゴトン、ガタンゴトン


帰ってからなに食うかな。空だよな冷蔵庫。… 3日前に飲み残したコーヒーどうしたっけ俺。


ガタンゴトン、ガタンゴトン


今日何曜日だっけ。一昨日新人が飛んだのが日曜日だったなぁ… 火曜日か。火曜日更新の漫画何か追ってたっけ、つか何週間かアプリも開いてないな。


ガタンゴトン、ガタンゴトン


そういえば実家にもずっと帰ってないな。父さん元気にしてっかなあ… 母さんの墓参りも行かないと。ミーコも元気かな。


ガタンゴトン、ガタンゴトン


週末は… 何かあった気がする。仕事以外で… なんだったかな…


ガタンゴトン、ガタンゴトン

ガタンゴトン、ガタンゴトン

ガタンゴトン、ガタンゴトン


あ。


ガタンゴトン、ガタンゴトン


結婚式だ、妹… みゆきの。


ガタンゴトン、ガタンゴトン

ガタンゴトン、ガタンゴトン、ガタンゴトン、ガタン


爆音が鳴った。


突如視界が大き揺れる。違う、車体が傾いた。


腕の中からカバンが落ちて、自身の体が床に向かって前のめりに倒れ込む。


大きな音と共にガラスが飛び散る光景が、やけにゆっくりとして見えた。


あれ、なんだこれ。


事故?怪我はまずい、次の納期が… みゆきの結婚式も。


ガラスの破片に電車の無表情な光が反射し、眩しくて目を細める。


( あ、コーヒー… 冷蔵庫に入れたんだった。)


床に頭を打ちつける直前に見たものは、窓に反射する滑稽な自分と、黒タイツに包まれた脚だった。





うん…?声がする、人がいるのか…?

…なんだっけ、そう、会社から帰って、電車で…


「__________ウ、…ねぇ。」


「ねえ、…起きてるでしょ」


揺さぶらないでくれ、まだ寝ていたい…


「こら。…早く起きて…」


…?俺を起こしに来るのなんて、


「ユウ…?」

「…誰よそれ」

「…?!」


目を開けた視界には、黒髪ロングの美少女がいた。


彼女の大きな黒い瞳に俺の姿が反射する。


間抜けな顔をした俺の姿にじわじわと意識がはっきりしてきた。


どこだここは。


…待て。この頭の下の感触。

まさか。

まさか。


_______________________膝枕されているのか俺は。


「…ねぇ、なにか…覚えてない…?」


髪カーテンを耳にかけながら少女は問うた。

その瞳は不安げに揺れながらも、何かの期待を抱くように俺から一切目を逸らさない。


恐らく彼女が求める答えがあるのだろうが、生憎俺にこんな美少女との面識はなかった。


「…すみません、どちら様でしょうか」


俺の答えに彼女の表情は分かりやすく落胆する。

初めて逸らされた瞳と泣き出しそうな表情に胸がキュッと痛んだ。


「……」

「……」


沈黙が気まずい。とにかくこの状況で膝枕を続行していただくのは違うなと惜しむ気持ちを押えながらおもむろに上半身を持ち上げ、俺の動作に察して俺と向かい合って座るように彼女も体制を整えた。


「…あの」


パァンッ!と大きな音が響く。

彼女が自身の頬を両手で叩いた音であった。

俺が何かを言う前に彼女はふぅー…と長い溜め息を1つつき、意を決したようにこちらを再びまっすぐ見つめた。


「時間がないから手短に言うね、アラキリョウ。…あなたは死んだ。これから貴方のところで言う…ええと、異世界に送るから、そこを助けてほしいの。曖昧でごめんね、でも向こうへ行けば必然とやるべきことが見えてくるはずだから。…たぶん。」


…は。


「…異世界…?」


「こんなこと簡単には受け入れられないでしょうけど、…あなたは選ばれてしまったから」

「…うちには帰れないんですか?」


伏せられたまつ毛がその答えを示した。


「……そうか…」

「…ごめんなさい。…聞き入れてくれるかしら」


まず頭に浮かんだのは家族のことだった。

俺が実家に帰ると必ずりんごのケーキを作ってくれた母に、普段は無口ながらも俺が家にいれば夜には少しいい酒を開けてくれた父、今年で16歳になる愛猫ミーコ、それから俺より7つ下の妹であるみゆき。

年が離れていたのもあってか、妹は俺によく懐いてくれていて、俺が社会人として家を出るまではよく一緒に出かけたりもしていた。

そんな妹の結婚式が今週末にある。…あったのだ。

…見たかったな、みゆきの晴れ姿。俺が死んだと聞いたらきっとあいつは泣くだろう。父も母も俺を愛してくれていた。…俺の僅かな遺産はちゃんと家族に渡るだろうか。みゆきは笑って結婚式を迎えられるだろうか、…父も母も、どうかあまり気を病まないでほしい。


顔を上げて、再び彼女の姿を見た。

罪悪感や申し訳なさが入り交じった彼女の顔色に、初対面ながらも何故かやはり心がチクリとする。


彼女の言動からして、俺がここへ来たのは偶然なのだろう。彼女に非はないと見える。

そう判断した俺は先程彼女がそうしたようにふぅ、とひとつため息をつき、彼女の瞳を真っ直ぐ見つめて答えた。


「異世界転生の話は受け入れました。その世界であなたが望むように動きたいと思っています。」

「……!!ありがとう…!…本当に!」


絶望に染まりつつあった彼女の瞳に光が宿る。泣き出しそうなほどに喜びを見せるその表情を見ただけで俺の決心はより一層硬いものとなった。


「だからこそ俺のやるべきことが不明瞭な点が不安なのですが」

「…ごめんなさい、今はまだ本当に時間がなくて」

「時間…?」

「絶対また繋げてみせるから、その時はきっと」


ガクン、と足場が傾いた。見開いた視界に驚いた表情の少女が映る。


咄嗟に伸ばした手は宙を掻き、最後に見た少女の表情は悔しさを堪えるように見えた。

同時にぼやけた視界の中ではっきりと聞こえたのは、やけに耳に残る少女の声。


『世界の均衡は、崩れ始めてる』

『私たちに_______残された時間は、少ない』

『お願い、みんなが笑顔になれる』


こちらを見つめた黒くて大きな瞳が頭から離れなかった。

全身に感じる浮遊感に意識が遠くなる。


『最高の【アレルダ】を取り戻して』




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拝啓、破滅の世界へ ふみお。 @Mayokake_kingyo1739

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