第9話 昇格試験前談3

 デイルが工事現場の依頼や薬草の採取をこなしていると、あれよあれよという間に試験前日となっていた。

 宿屋に置いてあったエリナから渡された剣は、結局デイルの手元にある。普通にリサに怒られそうではあるが、彼女が受け取らないのだから仕方ない。


 武器屋に赴くと、相変わらず奥からカンカンと鉄を叩く音が響いてきた。熱気と油の匂いが鼻をつき、炉の火の気配が外にまで伝わってくる。来客の気配を感じたのか、店主ヴァイスが顔を煤で汚したまま奥から出てきた。


「よう、兄さん。鎧だろ? 出来てるぜ」


 ヴァイスは奥から大きな布を抱えてきて、台の上に広げた。

 重厚な金属の鎧が姿を現す。鈍い銀色の表面には鍛冶師の槌目がわずかに残っており、それがかえって堅牢さを際立たせていた。鉄と油の匂いがむせ返るように広がり、打ち上げられたばかりの武器のように光を鈍く反射する。


「どうだ兄さん。寸法はしっかり合わせてある。重さはあるが、その体なら着こなせるはずだ」


 ヴァイスは誇らしげに腕を組む。

 デイルは黙って腕甲を取り上げ、ゆっくりと嵌めてみた。関節の可動は滑らかで、重さも許容の範囲内。動かすたびに革の軋む音が耳に馴染む。


「……良い出来だ。これなら明日も全力で挑める」


「へへっ、そいつはよかった。あとこいつもだろ」


 台の上にジャラリと置かれたのは鎖帷子だった。全身を覆うものではなく、脇下から肩口、股下にかけての隙間を守るよう仕立てられている。板金で覆いきれぬ急所を補うため、デイルが合わせて頼んでいたのだ。

 リベットの留めや編み目を確かめる。雑な箇所はなく、編み目のひとつひとつが均等に整っていた。


「仕事が早いな」


 一週間では鎧を仕立てるだけで手一杯だと踏んでいたデイルは、思わず感嘆の声を漏らす。

 ヴァイスは鼻を鳴らして言った。


「へっ、輪っか自体は在庫で山ほど持ってたんだ。あとは夜鍋して編み込むだけよ。フルサイズならもっとかかるが、この程度の部分鎖なら一週間もありゃ釣りがくる」


 朝一で鎧を受け取ったデイルはその場で鎧を装着し、腰の剣帯に借りた剣を差し、布で刃先を包んだ斧槍を肩に担ぎ上げた。鎧が擦れ合ってガシャンと音を立てる。


「兄さん、今日はこれからどうするんだい」


「薬草の採取依頼に向かう」


「そういや兄さん、まだEランクだったな。忘れてたぜ」


 そんな店主とのやり取りを経て、デイルはエリナの家近くの森へ薬草の採取に向かった。


 ーー


 薬草の採取もある程度回数を重ねたので、手慣れたものだった。しゃがみ込み、根元を刃で切り取り、泥を払って袋へと収める。作業自体は単調だが、鎧を着けたままの動きにはまだぎこちなさが残る。鉄の重みが肩にのしかかり、汗が首筋をつたう。


 腰の袋が徐々に重くなっていくのを感じながら、デイルはふと明日の試験を思った。

(対人戦……戦場以来か)

 あの時のマイブを除けば、だが――あれは戦闘とは言えない。ノーカンでいいだろう。

 摘む指先は落ち着いている。が久し振りの対人戦を控えると思うとどうしても体に力が入った。


 やがてヘルハウンドの群れにも出くわしたが、以前のように苦戦することはなかった。栄養不足の体で挑んだあの頃とは違う。重鎧を着込んだ身でも、鋼の刃は迷いなく獣を薙ぎ払った。


 だが、ヘルハウンドの肉は不味い。解体しても旨味はなく、その死骸を前にしても食欲など湧きはしない。本当は焼くなり土に還すなりした方がいいのだろうが、生憎デイルは魔法を持たない。ただ一瞥したのち、背を向ける。風が血の匂いをさらっていった。


 ーー


 薬草を取り終え、すっかり顔馴染みとなったエリナの家の扉を叩く。

 パタパタと駆ける音。扉が開き、中からノルンが顔を覗かせた。


「あ、デイルおじさん!」


 笑顔は太陽のように無邪気だ。小さな手が扉の端をしっかり握っている。

 奥から慌てた声が響く。

「ノルン! 危ないから勝手に扉を……あら、デイルさん。いらっしゃい」


 エリナが顔を覗かせ、いつものように穏やかな笑みを浮かべた。木造の家からは干し草と薬草の匂いが漂い、外の湿った森の空気と混じって心地よい。


「薬草だ。確認を頼む」


 袋を差し出すと、エリナが中を確かめる。その間、ノルンがクリクリとした目でじっとデイルを見つめて言った。


「デイルおじさん、変な格好」


「変か?」


「うん、なんかガシャガシャ言ってて変」


「そうか、変か。……ああ、そうだな。それでいい」


 鎧なんて変な格好でいい。目の前の少女が、デイルのようにこれを「当たり前」にしてしまわないために。彼は戦う。


「ノルン、余り失礼な事を言わないの。……デイルさん、確認終わりました。いつもありがとうございます」


「礼はいい。俺のためにやってる事だ」


「ふふ、それなら私も、私のためにお礼くらい言わせてください」


「……そうか」


 短いやり取りを経て依頼書を差し出す。エリナがサインを書きながら、ちらりと彼の姿を見やる。


「今日は物々しい格好ですね」


「明日の昇格試験用に買った」


「あら、もう昇格ですか? 早いですね」


「そうなのか?」


「私は冒険者じゃないので詳しくはありませんが……昇格までは、早い人でも二ヶ月はかかると聞いてましたから」


「そうか」


「でもデイルさんが昇格したら、また薬草採取を受けてくれる人がいなくなっちゃいますね」


「なぜだ?」


「だってDランクからは魔物の討伐依頼が出来るじゃないですか」


「薬草の採取は出来なくなるのか」


「いえ、そんなことは無いと思います。けど……続けて下さるの?」


「必要なら続けようと思っている」


 その声には揺らぎがなかった。剣を振るうことも、草を摘むことも、彼にとっては等しく「人の役に立つ」ことに変わりはないのだ。

 建設現場で受け取った報酬のありがたさを思い出すと、ほんのわずかに口元が緩む。あれには確かに救われた。


 エリナはしばし黙って彼を見つめていたが、やがてふっと目尻を下げて笑った。


「……そうですか。なら、安心しました」


 その声音には安堵が滲んでいた。薬草を欠かさず納めてくれる存在が、どれほど心強いか。ノルンが無邪気に袖を引っ張る。その小さな温もりを受け止めながら、デイルは改めて心に誓う。


 ーー


 ギルドで完了報告を済ませ、宿屋へ戻る。すっかり顔なじみになった店主と軽く挨拶を交わし、自室へ。斧槍を床に置くと、板張りの床がミシリと沈んだ。


 新調した鎧を脱ぎ、一つずつテーブルに並べる。革紐を解き、金属音が部屋に落ちる。身軽になった体で小さなベッドに腰を下ろした。


「久しぶりだな」


 視線の先に立っていたのは――血に濡れた少女だった。

 その髪は泥と血で貼りつき、引き裂かれた喉からは滝の様に血が流れている。にも関わらず床には一滴の血も落ちない。彼女の足元には影がなく、灯火の下でも輪郭が薄く揺れては、瞬時にぼやけて消える。まるで彼の記憶が紙に焼き付いた痕をなぞっているかのようだ。


 彼女は言葉を発さない。動きもしない。ただ無表情で、こちらを見つめている。目の奥にあるのは怨嗟でも復讐でもない——ただ、あの夜の、守れなかった自分自身を見返すような冷たい確かさだ。デイルはその顔を見つめ返すたび、胸の奥にくすぶる火種が息を吹き返すのを感じた。あの日、彼女の手が冷たくなっていくのを見てしまったこと。叫び声を掻き消す風の中で自分が何もできなかったこと。


「サニア……会えてよかった」


 言葉はおそらく彼だけに向けられた祈りであり、謝罪であり、呪いでもあった。返る声はなく、少女はただそこに在る。彼女を守れなかった事実が、現実よりも鮮烈なかたちでここにある。デイルの口元がわずかに緩むのは、労働や感謝が一瞬だけ自分を現実へ引き戻したからだ。しかしその安らぎを容赦なく突き崩すのもまた、サニアの沈黙の視線である。


「君がいる限り、俺は自分の本質を見失わないで済む」


 デイルはそう自分に言い聞かせる。幸福は許されない。彼の罪は、幻影として夜ごと現れることで決して消えないのだ。

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