閑話

第5話 その後の受付

 翌日。

 呼び出しを受けて詰め所を訪れたリサは、衛兵から昨夜の話を耳にした。


 どうやらマイブはあっさりと罪を認めただけでなく、牢に入るや否や「出たくない」と泣き叫び、今も頑なに閉じこもっているらしい。

 何かを恐れているのは明らかだった。


「何か知らないか?」と尋ねられたが、リサは首を横に振るしかなかった。

 本当に知らないのだ。引き渡す直前、デイルがマイブに何かを吹き込んでいたのは見ていたが――内容までは聞き取れていない。知らないものは、知らない。嘘はついていない。


 詰め所を出た後、リサはふと昨夜の出来事を思い返す。


「橋の巨人、ねぇ……」


 マイブが自称して吹聴していた名。

 戦場でただ一人、殿を務め、橋の上で千の兵を退却に追い込んだという伝説の傭兵。

 荒唐無稽で、半ば笑い話にしか思えなかった噂。


 だが、あの時のデイルの反応を思い返すと――胸の奥にどうしても引っかかるものが残ってしまう。


 そして昨日、リサを助けた時に見せたデイルの力。


「……本当に滅茶苦茶な強さだったわね」


 今思い出しても信じられない。素手で剣を叩き折るなんて、人間に可能なのだろうか。

 気になったリサは、後にギルドで高ランクの冒険者たちに尋ねてみた。結論としては――「そういう技は理屈の上では存在する」。

 ただ実際にやっている者など聞いたことがない、というのが彼らの見解だった。曰く「物語の主人公なら使えそうだよね」と。


「実際に目の前でやられてるんだよね……」


 頬杖をつきながら物思いに耽るリサの肩を、ぽん、と軽く叩く者がいた。


「リサ先輩、昨日大変だったんですって?」


 振り返ると、桃色の髪を赤いリボンでサイドテールに結んだ、幼さの残る後輩受付嬢がにこにこと立っていた。


「なんだ、アミーか」


「なんだは酷いですよ。ギルドで噂になってますよ。暴漢が押し入ってきたのを、先輩がボコボコにして衛兵に突き出したって」


「ーー私は無実よ」


「でも現場にはいたんですよね? 毎日残業おつかれさまです」


「変われるもんなら変わってやりたいわよ」


「遠慮します。それより――」

 アミーは両手を祈るように組み、わざとらしくキラキラした目を向けてきた。


「結局誰なんですか? 先輩を暴漢から救った、白馬の王子様♡」


「ぶっ……ははははっ! ちょ、ちょっと待って! やめてってば! お腹痛い!」


(王子? あれが?)


 リサの脳裏に、白馬にまたがり、きらびやかな衣装を纏ったデイルの姿が浮かぶ。


 ――だが、馬のサイズが一気に縮んでいく。


「やめて! もう笑わせないで……! 白馬が……ポニーに……っ!」


 机をバンバン叩きながら、リサはついに腹筋を崩壊させた。


「先輩!?」


 驚いたのはアミーだけではない。酒場で飲んだくれていた冒険者たちが、一斉にギョッとした顔でこちらを振り返る。

 だがリサは止まらない。笑いは波のように押し寄せ、もはや制御不能だった。


 ――そして数分後。


「カヒュー……カヒュー……カヒュー……」


 真っ白な顔で椅子にもたれかかるリサ。

 笑いすぎて過呼吸に沈んだ女の末路は、惨めにすら見えるほどだった。


「ああ、先輩?その……大丈夫ですか?」


 とんでもない醜態を晒した挙句。気遣わしげに水を差し出すアミーの気遣いが今のリサには痛かった。


「デイル許すまじ」


 理不尽な怒りが只今建設現場で働いているであろう大男に知らぬ間に飛び火するが、その事を彼が知るのは少しあとの事である。


「デイルさん? あの大きい人ですよね? ストーカーで、高額労働者の」


「……改めて聞くと、すごい肩書きね」


 ストーカー騒ぎは完全にリサの誤解――なのかは分からない。

 普通に出会ったその日に「泊めてくれ」と言える神経が、そもそもおかしいのだ。


「もしかして、先輩を助けたのって、その……デイルさん?」


「うぐっ……まぁ、そうね」


「きゃー! ストーキングがリサ先輩を危険から救っただなんて! 愛ですね♡! 素敵すぎます!」


(いや、それはおかしい)


 アミーの無邪気な勘違いを打ち消すように、リサは内心で毒づいた。

 けれど――思考の奥に、どうしてもこびりついて離れない感覚がある。


 デイルの強さ。あのときの反応。

「橋の巨人」という名を聞いた時に見せた、あの一瞬の沈黙。


(……まさかね)


 そう打ち消しても、胸の奥がざわついたままだ。

 でも、もし本当にそうだとしても――


「……別に、わざわざ人に話すことでもないわよね」


 小さく吐き出した言葉に、自分でも説明できない熱が混じっている。

 その熱が何なのか、リサ自身はまだ気づいていなかった。

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