第4話 橋の巨人

 町の大衆食堂。湯気の立つ〈アルミラージの豪快揚げ〉がテーブルに並ぶ。リサはひと口つまみつつ、げんなりとした表情で向かいを睨んでいた。

 そこでは大男が三皿目を平らげている。


「しかし……本当にいいのか、飯なんかご馳走になって」

 皿を空にしたデイルが、申し訳なさそうに口を拭った。


「はい……誘ったのは私ですけどね。でも、その遠慮は三皿目を頼む前にしてくださいよ」


(完全に失敗した。捨て犬に餌を与える気持ちで誘ったのが間違いだった……)

 リサは頭を抱える。目の前の男は可愛いどころか、“飢えた狂犬”のように容赦なく皿を空にしていくのだ。


「すまん。久しぶりにまともな食事をしたから、つい……」


「ついで済む量じゃないんですよねぇ」


 周囲の客も「まだ食うのか」「どんな胃袋だ」とひそひそ。店主まで苦笑しながら追加の皿を運んできた。


「……まぁ、食べっぷりがいい人は嫌いじゃないですけど」

 リサは半ば諦めて肩をすくめる。

「ですけど! 次からは絶対割り勘ですからね!」


「承知した」

 真面目に頷くデイル。しかしその口は、追加で頼んだ四皿目を迎える準備を整えていた。


「……絶対わかってないですよね」

(給金日前にやることじゃなかったな……)

 財布が軽くなる音が、リサの頭の中に響いた。



---


「満足しましたか?」


 会計を終えたリサは、涙目で財布を振ってみせた。

(叩いたらお金が増える魔法の財布、落ちてないかな……)


 もちろんそんなものはない。想定外すぎる出費に、思考が現実逃避するのも無理はなかった。


「しかし助かった。これは大きな借りだ。リサさん、俺に出来ることなら何でも言ってくれ」


「リサさん?」


「敬意を込めたつもりだったが……じゃあリサ姉さんなら」


「普通にリサでいいです!リサがいいです!是非リサと呼んでください!」


(やめろ、懐くな!)


「むう……なら仕方ない。リサには今後、働きで報いるよう努力しよう」


「是非そうしてください。少しは気も軽くなりますから」


 デイルの暴走を止めてホッとしたリサは、ふと彼の今後が気になった。


「それで――宿に泊まる蓄えもないデイルさんは、どうするつもりなんですか」


「ああ、それなんだが。有意義な提案がある」

 居住まいを正し、真剣な顔で告げる。


「リサ。今日からしばらく君の家に泊めてもらえないだろうか」


「……馬鹿なんですか」


「違う。真面目な話だ。俺は今、金も宿もない。だが護衛としてなら役に立てる。もし賊や魔獣が襲ってきても――」


「この町の中心に魔獣は出ませんし、賊も出ません!」


「……なら空き巣かもしれん」


「勝手に私の家を危険地帯にしないでください!」


「確証はないが、備えは損にならん」


「その備えが食い詰め冒険者!?」


「……食い詰めは認めよう。だが損はさせん」


「要りません! いいですか、あなたは今日から私の半径五メートル以内に絶対近寄らないこと!分かりました?」


(なんだコイツ……餌なんて与えるんじゃなかった)


「む……承知した」


 渋々頷く大男を見て、リサは「もう二度と関わらない」と固く心に誓った。



---


 数分後。

 リサは顔を覆いながら帰路を歩いていた。背後からは、きっちり五メートルの距離を保つ大男の影。


(なにあれ……本当に守ってる……! 怖い! でも妙に律儀!!)


 通行人が怪訝な目で見てひそひそ声を交わす。

「ストーカー?」「護衛?」「あの距離は何だ?」


 自然と視線はリサにまで飛び火する。


 立ち止まったリサはツカツカと歩み寄り、鼻先に指を突きつけた。


「つ い て く る な!」


「俺のことは床のシミと思ってくれていい」


「あんたみたいなでかいシミ無いわよ!見つけたら全力でこそぎ落とすわ! もう付き合ってられない!」


 そう叫ぶと、リサは全力で走り去る。


「意外と速いな」

 後ろ姿を眺め、デイルはぽつりと呟いた。


(まぁ、今日は大丈夫だろう)

 昨夜から感じていた気配は、静寂に溶けていた。



---


 翌朝。

 ギルドの掲示板前。Eランク依頼を眺めるデイルは、自分の服の臭いを嗅いで眉をしかめる。


「ほう、建材の運搬……悪くない」


 重い資材を運ぶだけで銀貨五枚。

(いやいや、金のためじゃない……だが、今の状態が続くのも……)


 金銭欲と誓いの間で揺れ、出した結論は――



---


「はい、建材の運搬依頼ですね。お一人様ご案内~。いってらっしゃい!」


 笑顔に険を混ぜたリサが受け付ける。


「ああ、行ってくる。そうだ、リサ。最近妙な気配を感じたりとかは……」


「ありましたよ。昨日」


「そうか、やはり」


「半径五メートルをぴったりくっついて来たストーカーさんが」


「……リサ、それは俺だ」


「朝から疲れさせないでくださいデイルさん。あと馴れ馴れしくしないでください。あくまで仕 事 仲 間ですので」


 今日のリサは機嫌が悪いようだ。


「分かった。兎に角、何かあったら早めに相談してくれ。必ず力になる」


「お気遣いありがとうございます。でも大丈夫。今すぐデイルさんが消えてくれれば直ぐに元気になりますから」


「分かった。くれぐれもお大事にな」


 そう言って振り返った瞬間、肩に強くぶつかる者がいた。

(こいつは……)

 昨日絡んできた冒険者、マイブだった。


「済まない。マイブ……で合ってるか?」


「よぉ、ストーカー冒険者!」

 ロビーに響く声。


「何故それを知っている」


「昨日、リサを付けてるのを見たんだよ!」


「そうか」


「なぁ、どうするんだよ。リサ嫌がってただろ」


「用件は、それで終わりか?」


「あぁん?」


 酒臭い息を吹きかけてくるマイブ。デイルは吐き捨てるように言う。


「用が済んだなら行く」


「テメェはもうリサに近づくんじゃねえ!」


 大声を無視し、デイルはギルドを駆け出た。

(何とでも言え……)



---


 ロビーでは噂が飛び交う。


「聞いたか?新人、リサちゃんの家にまで付いてったらしいぞ」

「ああ、ギルド中その噂だ」

「やっぱあの目つきは変態の目だったな」

「お前いつも後出しジャンケンだろ」

「はぁ?!」


 そんな声を聞きながら、リサは溜息をついた。


「まぁ、自業自得よね……」

 乙女の家にまで付いて来た時点で有罪。

(頭おかしいのは確か。でも……なんでこんなに気が晴れないんだろ)


 リサは気持ちを切り替えるように声を張った。

「さぁ、仕事仕事!」



---


 一方デイルは、建設現場で建材を運んでいた。

 二人掛かりの資材を一人で担ぎ、怒涛の勢いで運び出す。


「うおおおおお!」


 体は軽い。リサに飯を奢ってもらったおかげだ。

(恩は必ず返す)


「おい!あのデカブツ誰だ!」

 現場責任者が叫ぶ。


「冒険者ギルドから来たそうです。名前は……」


「すぐギルド行って来い!明日も引っ張ってこい!金ならいくらでも出す!いや引き抜け!うちならもっと稼がせてやれる!」


「所長、落ち着いて」

「うるせぇ!早く行け!」

「は、はいぃ!」


 部下を蹴り出し、所長は自らデイルへ駆け寄った。

 その顔は、まるで竜殺しの騎士に憧れる少年のように輝いていた。






ーー







「これが、労働の汗」


 泥のような疲労を伴う戦場とは違う心地よい疲労感。殺し合いじゃない平和など付き合い。威圧的だが何だかんだ面倒見のいい現場責任者。そして何より。物を壊すのではなく作っているという実感。その全てが新しいもので、それらはデイルに静かな高揚をもたらしていた所、現場の責任者の男に声をかけられる。


「デイル!今日はご苦労さん!おめえ明日も来てくれ。てかウチで働かねえか?」


 突然の事に首を傾げる。


「それは冒険者を止めてって事か」


「ダメ?」


「済まない。俺は冒険者としてやることがある」


「ならせめて来れる日だけ来てくれ。な!?な!? 工事が遅れちまって大変な時期でよう。工程に工事が追いつくまでで良いんだ。な!?頼む!」


 デイルは暫し考える。

 成る程、これは大変そうだ。デイルのようなド素人までに声をかけなければならない程工事が遅延しているのだ。


「出来る限りくるようにしよう。ただ月に数回、別の依頼があるのでその日はそれを優先したい」


 優先したい依頼は無論エリナの薬草採取だった。


「本当か?助かるぜ!報酬には色つけるから頼むぜ!」


「全力を尽くそう」


 デイルと所長の話す姿を見た職員一同。

「所長があんなにヘコヘコしてる所見たことあるか」

「明日雪でも降るんじゃねえの?」

「止めてくれよ演技でもねえ。ただでさえ遅れてるのに」

「いやでもなあ」

 未だかつて無い程に腰の低い所長を肴に、職員達は明日の天気を不安視するのだった。







ーー






 


(あの男、何やらかしたのよ……)


 受付カウンターで突っ伏していたリサは、憔悴しきっていた。原因はもちろんデイルである。

 昼過ぎ、血相を変えた建設業者が飛び込んできた瞬間――リサの胃はキリキリと悲鳴を上げた。


 依頼を受け付けたのはリサ。つまり担当はリサ。ギルドのルールは残酷だ。


「な、何かございましたか……?」


 恐る恐る声をかけた瞬間、業者がリサに組みついてきた。


「あの男をくれえええええ!」


 絶叫がギルド中に轟いた。しんと静まり返る同僚たち。目が合うと慌てて逸らされる。支部長は新聞を広げたまま硬直していた。昨日の新聞である。

 ――そう、人は誰しも自分の身が一番かわいい。


(分かりましたよ……担当者責任ってやつですね)


 リサは深呼吸して、営業スマイルを浮かべた。



---


 話を要約するとこうだった。

 「デイルが欲しい。以上。」


 リサは思った。別にいいのでは、と。ギルドなんて危険で汚くて報酬も安い仕事だ。工事現場の方がよほど健全で稼げる。

 しかもデイルは今や「ストーカー冒険者」扱い。ギルドに居場所などない。なら、新天地でやり直すのも悪くない。


 そう考え始めたそのときだった。

 建設業者がリサが断るつもりだと勝手に勘違いして転籍は諦め、せめて来れる日だけでも、と提示した報酬が――銀貨三十枚。金貨三枚に相当する額だった。


(……は?)


 リサの頭は一瞬、真っ白になった。

 後輩が横から書類を覗き見して、盆を落としたのも無理はない。


 こうして「デイル=超高額労働者」という噂は、瞬く間にギルド中を駆け巡った。

 上へ下への大騒ぎとなるのに、そう時間はかからなかった。


 それからはもう根掘り葉掘り聞かれた。職員からも冒険者からもだ。大体リサとて彼と出会ったのは前日である。掘る根も葉もないので答えようがない。挙句の果てに支部長から肩を叩かれ笑顔で「デイル君を宜しく!」などと言われた時は張っ倒してやりたくなった。

 流石に睨見つけるだけで我慢したが……


(あああああ、疲れた)


 デイルが悪くないのはリサも承知している。寧ろ快挙と言っていい。気を良くした支部長が既にランクアップとか言い始めてる。流石に職員一同で黙らせた。ギルドの秩序が壊れる。


 だがなんだこの泥のような疲労は健全な労働をしたと思えない疲労だ。


 リサが願うのはデイルの早期の帰還。何故か彼の報告書を作る事になってしまったのだ。


(でも戻ってくるのかしらん)

 今朝方、大きな背中を丸め、逃げるようにギルドの扉を出て行った事を思い出す。

(来なかったらどうしよ)


 そんな不安が鎌首を擡げた時だった。

 ギルドの扉が静かに開く。


「デイルさん!?」


 弾かれたように扉を見るリサ。だったが、そこに立っていたのはデイルではなかった。


「リサ、やっと二人きりになれたなぁ」


「ーーマイブさん……」


(今日は厄日だ)




ーー




(今日は厄日だ)

 不穏な空気を纏うマイブに、自然とリサの警戒も高まる。


「マイブさん、ギルドの営業はもう終了してますので……また明日」


「んなこと分かってんだよ! だから、わざわざここに来てんだ!」


 遮るような怒声にリサは息を詰める。


「成る程、私に用ですか」


「へっ、分かってんじゃねえか」


 マイブは舌なめずりしながら、一歩、また一歩と距離を詰めてくる。足音は床板を軋ませ、嬲るように重く響いた。


「言っておきますけど、一般人に手を出したら冒険者としては終わりですよ」


 後退しながらリサは牽制する。


「もういいんだよ、冒険者なんざ。規則も掟も、クソ食らえだ」

 その目はどす黒く濁っていた。


「何よりムカつくのはテメェだ、リサ! いつもいつも説教しやがって……! 小娘のくせに俺に指図して、どんな気持ちで聞いてたと思う? クソあまが!」


 リサは冷ややかに見据えた。

「すいません、マイブさん。――でも、私が注意したのは何でしたっけ? 薬草を台無しにしたこと? 仕事をサボってクレームになったこと? それとも女性冒険者に手を出して泣かせたこと?」


「全部だよ! お前がムカつくんだ!」


「ムカついてくれて結構。けど今回はボーダー超えです。何かしたら、明日、衛兵に全部話しますから」


 マイブの笑みが凶悪に歪む。

「……俺が覚悟もなしに来たと思うか? 衛兵に話せるといいなぁ」


 じりじりと詰め寄る。


「殺す気ですか……」

 リサの声はかすかに震えていた。


「ああ、最終的にはな。だがその前に……せいぜい楽しませてもらう」


「最低ですね」


 リサは唇を噛みしめ、必死に睨み返した。


「誰も来ない場所で、壊れるまで遊んでやる」


 その瞬間、マイブが飛びかかる。リサは咄嗟に近くの羊皮紙を叩きつけ、視界を塞ぐが、すぐに払いのけられた。

「ちっ!」


 後退するリサ。だが壁が迫る。

「今日は邪魔もいねえしな」


「邪魔?」


「あのデカブツだよ。本当は昨日やる予定だったんだが……」


「つまりデイルさんがいたから……!」


「そうだ。あのストーカー野郎がずっと張り付いてやがるからよ」


 壁際まで追い詰められる。マイブの手が伸びる。


(デイルさん……ごめん! 誤解してました! でも、説明不足が悪いんですからね!)


 身を固くした瞬間――ギルドの扉が、軋む音を立てて開いた。


 重い足音が床を鳴らす。

 ゆっくりと、確かに近づいてくる。


 リサは視線を上げ、その姿を認めた途端、緊張の糸が切れた。

「デイルさぁん……!」


 膝から崩れ落ち、涙が溢れる。


「遅れてすまない。監督連中が離さなくてな……今度、飯でも奢ろう」


 デイルの声は淡々としていたが、不思議な安心感を伴っていた。


「テメェ、デカブツ!」


 ようやくフリーズから解放されたマイブが吠える。


「……お前だったか、マイブ」


「邪魔ばっかしやがって! 俺が橋の巨人だって分かってんだろ!」


「橋の……巨人?」


 低く唸るような声。冷え切った瞳がマイブを射抜く。


「……冗談だろ」


「うるせぇ! 本当だ!」


 マイブは慌てて剣を抜いた。月光を受け、刃がギラリと光る。


「ギルド内部での乱闘は違反だ。表に出ろ」


「うるせぇ!」


 怒声とともに剣が振り下ろされる。


「デイルさん!」


 リサの悲鳴。


「ふん!」


 乾いた音。折れた剣先が宙を舞う。


「は……?」


 間抜けな声を上げたマイブの前で、デイルは交差させた拳と掌を静止させていた。


「素手で……剣を折った……?」

 リサは呆然と呟く。


 デイルは無表情のまま、腰を抜かすマイブへ歩み寄り、その頭を掴んで引き立たせた。


「腰を抜かすな。お前は“橋の巨人”なんだろう?」


「う、嘘です! 嘘でした! 許して……!」


 短く溜息。

「駄目だ」


 絶望に染まるマイブの顔。


 デイルはそのまま外へ引きずり出し、地面に叩きつけた。呻くマイブの頭を掴み直し、冷ややかに告げる。


「橋の巨人について教えてやる。――一つ目、武器は身の丈ほどの大槌だ。二つ目、堅気に手を出すことはしない。そして三つ目……」


 顔を寄せ、低く囁く。


「俺は“橋の巨人”って呼び名が大嫌いだ。次に名乗ったら……本当に殺す」


「ひっ……!」


 マイブは何か言いかけて口をパクパクさせるが、声にはならず――そのまま意識を手放した。

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