第3話
「ひぃっ!」
若い女性社員の悲鳴が洞窟に響く。彼女の持っていたバールがゴブリンの棍棒に弾き飛ばされ、無防備になった腕に浅い傷を負わされたのだ。
「何やってるんだ!使えないな!」
鈴木部長が怒鳴りつけるが、自分は後方でゴルフアイアンを振り回すだけ。彼のスキル【パワーアタック】は、MPを消費して次の一撃を強化するという単純なものだが、そもそもゴブリンに攻撃が当たっていない。空振りを繰り返すたびに、息が上がっているのが遠目にもわかった。
健司は冷静に状況を分析する。
(連携はゼロ。全員が恐怖でバラバラに動いている。ゴブリンの攻撃パターンは単調なのに、誰も見抜けていない。あれじゃあ、消耗して全滅するのがオチだな)
彼らには見えていないのだろう。ゴブリンのHPゲージも、弱点部位も、攻撃後のわずかな硬直時間も。健司の視界には、それら全てがデバッグ情報として克明に表示されている。
助ける義理はない。むしろ、昨日までの恨みを考えれば、このまま自滅していく様を眺めているのが一番の娯楽かもしれない。
だが、健司の心に小さな疼きが生まれた。それは、憐れみではない。元システムエンジニアとしての、純粋な苛立ちだった。
(非効率すぎる……見ていられない)
それはまるで、素人が書いたバグだらけのスパゲッティコードを見せられているような不快感だった。もっとスマートに、もっと効率的に解決できる問題を、彼らは力任せに振り回して状況を悪化させている。
健司は、足元に転がっていた小石を一つ拾い上げた。
鈴木部長のパーティーの一人、営業部の若手がゴブリンに追い詰められ、背中を見せて逃げようとした瞬間だった。その背中に棍棒が振り下ろされる――その直前、健司が投げた小石が、ゴブリンの眉間に正確にヒットした。
「ギッ?」
ほんの一瞬、ゴブリンの注意が逸れる。その隙に若手社員はなんとか体勢を立て直した。
「な、なんだ?」
鈴木部長たちが混乱する中、健司はもう一つの石を投げ、別のゴブリンの注意を引いた。その隙に、彼は闇に紛れて動く。
狙いは、女性社員を負傷させた一体。他の二体の注意が逸れている今が好機だ。健司は息を殺して背後から忍び寄り、これまでと同じ手順でゴブリンの膝を砕き、脳天に追撃を叩き込んだ。
一体が光の粒子となって消え、ようやく鈴木部長たちが状況の変化に気づいた。
「ゴブリンが一体消えた……?誰だ!」
その声に応えるように、健司は物陰からゆっくりと姿を現した。バイクヘルメットは被ったままだ。
「た、田中……?なんでお前がここにいるんだ!?」
最初に気づいたのは、経理の同僚だった。その声に、全員の視線が健司に集中する。驚愕、不信、そして侮蔑。
「役立たずのお前が、ダンジョンに何の用だ?まさか死に場所を探しに来たのか?」
鈴木部長が悪意に満ちた笑みを浮かべる。昨日と何も変わらない、人を見下した態度。だが、今の健司には、その言葉はもはや何のダメージも与えなかった。
「鈴木部長。あなたの戦闘は、あまりにも仕様を理解していない」
ヘルメットの中からくぐもった声で、健司は淡々と告げた。
「仕様……?何を言ってるんだ、貴様!」
「ゴブリンの弱点は頭部と右膝。攻撃後の硬直時間は1.5秒。あなた方は誰一人として、その基本的な仕様を理解せずに、ただ闇雲にリソースを浪費しているだけだ。そんなやり方では、いずれ致命的なエラーで強制終了しますよ」
健司の口から淀みなく語られる攻略情報に、元同僚たちは言葉を失う。なぜ、クビになった田中がそんなことを知っているのか。
「な、何をごちゃごちゃと……。いいからお前も壁になれ!俺の言う通りにしろ!」
鈴木部長がアイアンを健司に向ける。その瞬間、健司は残る二体のゴブリンの間に駆け込んでいた。
「ギャッ!」「ギギッ!」
まるで振り付けられたダンスのように、健司は一体の膝を砕いて体勢を崩させ、すぐさまもう一体の懐に潜り込む。ゴブリンたちが棍棒を振り上げるが、その動きは健司の目にはスローモーションに見えた。全ての行動パターンを読み切っているのだ。
一瞬の交錯。健司が元の場所に戻った時、二体のゴブリンは時間差で崩れ落ち、光となって消えていった。
静寂が洞窟を支配する。鈴木部長も、元同僚たちも、目の前で起きたことが信じられないというように、呆然と立ち尽くしていた。
健司は彼らに背を向けると、懐から取り出したポーションを一気に呷った。
「あなた方のプロジェクトは、根本的な設計ミス、つまりバグを抱えている。悪いですが、僕にはもっと効率的なタスクがあるので、これで失礼します」
そう言い残し、健司は再び闇の中へと歩き出す。最適ルートは、この先だ。
「ま、待て!田中!貴様、どうして……!」
鈴木部長の狼狽した声が背後から聞こえるが、健司はもう振り返らなかった。
役立たずと切り捨てられた男は、もういない。ここには、この世界のバグを見抜き、利用し、攻略していく一人のプレイヤーがいるだけだ。
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