第4話

元同僚たちを置き去りにし、健司は洞窟の奥へと進んでいく。奇妙なことに、彼の心は晴れやかだった。昨日までの鬱屈とした気分が嘘のようだ。理不尽な上司も、無理解な同僚もいない。ただ、世界のルールを読み解き、効率的にタスクをこなしていく。それは、彼が本来最も得意とすることだった。


スキルが示す最適ルートは、まるで床に光の線が引かれているかのように健司の目には見えている。そのルート上には、数体のゴブリンが配置されていたが、もはや敵ではなかった。


一体目を倒したところで、目の前にウィンドウが表示された。


【レベルが2に上がりました】

HP: 10/10 -> 20/20

MP: 5/5 -> 10/10

ステータスポイントを2獲得しました。


「レベルアップか」


ごく自然に、健司はステータスポイントを身体能力の基礎となる『筋力』と『敏捷』に1ずつ割り振った。すぐに身体が軽く、力が漲るのを感じる。この世界の法則は、実に単純明快だ。


やがて、ルートの終点に、一際大きな両開きの扉が見えてきた。石造りの扉には、禍々しいレリーフが刻まれている。


【エリア:ゴブリンチャンピオンの玉座】

備考:このダンジョンのボスエリアです。


いよいよボス戦だ。健司は一度だけ深呼吸をして、重い石の扉を押し開けた。


部屋の中は広大なドーム状になっており、中央にはガラクタを寄せ集めて作ったような粗末な玉座が鎮座している。そして、そこに一体のゴブリンがふんぞり返っていた。他の個体より一回りも二回りも大きく、錆びついた兜を被り、巨大な手斧を携えている。


【ボスモンスター:ゴブリンチャンピオン】

レベル:5

HP: 150/150

スキル:【雄叫び】(30秒間、自身の攻撃力を1.5倍にする)

弱点:喉元の首飾り(破壊で防御力半減)、左足の古傷(クリティカルヒットで転倒)

行動パターン:①手斧による大振りの薙ぎ払い、②突進からの叩きつけ

攻略のヒント(デバッグノート):天井の鍾乳石は物理的衝撃で落下。ボスの真上に位置。利用を推奨。


「なるほど、ギミック付きか」


健司は天井を見上げる。確かに、ゴブリンチャンピオンの頭上には、今にも落ちてきそうな鋭い鍾乳石がぶら下がっていた。


健司が部屋に踏み入ったことに気づくと、ゴブリンチャンピオンは玉座から立ち上がり、地響きのような雄叫びを上げた。


「グルォォォォ!」


スキル【雄叫び】が発動し、その巨躯が赤いオーラに包まれる。健司は慌てず、部屋の壁際へと後退した。行動パターン通りなら、次に来るのは突進だ。


案の定、ゴブリンチャンピオンは一直線に健司へと突っ込んできた。健司は冷静にその動きを見極め、ひらりと身をかわす。巨体は勢いを殺しきれず、壁に激突して大きな隙を晒した。


健司はその隙を逃さず、足元に転がっていた石を拾い上げ、天井の鍾乳石の根元めがけて全力で投げつけた。


ヒュン、と風を切る音を立てて飛んだ石は、見事に鍾乳石に命中する。ピシ、と亀裂の入る音が響き、次の瞬間、巨大な石の槍がゴブリンチャンピオンの頭上へと降り注いだ。


「ギェッ!?」


回避する間もなく、鍾乳石はゴブリンチャンピオンの肩口を砕き、そのHPゲージを半分近く削り取った。怯んだボスの懐に、健司は一気に飛び込む。


狙うは弱点の首飾り。木の枝を逆手に持ち、突き上げるように一閃する。ガキン、と硬い音を立てて、獣の骨で作られた首飾りが砕け散った。


【ゴブリンチャンピオンの防御力が半減しました】


あとは作業だった。もう一つの弱点である左足の古傷に狙いを定め、的確に攻撃を繰り返す。ゴブリンチャンピオンは巨体に似合わぬ悲鳴を上げ、ついにその場に崩れ落ちた。


【経験値を100獲得しました】

【レベルが3に上がりました】

【'ゴブリンの最初の巣窟'の初回クリアボーナスを獲得しました】

【スキルブック:鑑定 を入手しました】


ボスは光の粒子となって消え、跡には一冊の古びた本だけが残されていた。健司がそれに触れると、本は光となって健司の身体に吸い込まれていく。


【スキル:鑑定 を習得しました】


新たなスキルだ。これで、デバッグ情報だけでなく、アイテムの正式な性能もわかるようになる。まさに鬼に金棒だった。


満足感に浸りながら、健司はダンジョンの出口へと向かう。ゲートを抜けると、眩しい午後の日差しが目に染みた。


公園の様子は、入る前とは一変していた。ゲートの周囲は警察によって封鎖され、野次馬の数も倍以上に膨れ上がっている。物々しい雰囲気の中、健司はヘルメットを深く被り直し、人混みに紛れてその場を去ろうとした。


その時、ふと、鋭い視線を感じて足を止める。


視線の先には、警察の規制線のすぐ内側で、一人の少女が静かにゲートを見つめていた。腰まで届くほどの艶やかな銀髪に、雪のように白い肌。何より印象的なのは、全てを見透かすような、怜悧な蒼い瞳だった。


健司が視線を向けたことに気づくと、少女はゆっくりとこちらに顔を向けた。その瞬間、二人の視線が交錯する。健司の目の前に、新たなデバッグ情報が浮かび上がった。


【人物:氷川 玲奈】

レベル:15

スキル:【神速剣技】【魔力感知】【直感】...etc

状態:興味、探求


レベル15。ゴブリンチャンピオンの三倍だ。健司は息を呑んだ。少女は、明らかに自分とは次元の違う存在だった。


彼女の蒼い瞳が、まるで値踏みするかのように、健司の全身をゆっくりと舐めるように見つめている。そして、小さく、だがはっきりと聞こえる声で呟いた。


「……あなたね。このダンジョンの'流れ'を変えたのは」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る