吉井家の日常

【吉井家の日常01】小さな訪問者

都内住宅街、吉井家が住むマンションは1Fの庭付きだ。

息子の颯太朗そうたろうが生まれたとき、父はマンションを購入した。庭付きの部屋を選んだのは、颯太朗に少しでも土を触れさせたかったり、犬にとって庭がストレス解消になるからとか、そんな思いだったようだ。何よりエレベーターの待ち時間が嫌いなためだったが、実際庭付きに住んでみると、雑草が伸びたり、虫が出たり、不便なことも多い。しかしながら父はそんな不便も自然に触れられる機会と考えれば、悪いものではないと思っていた。

母は虫が苦手だったが、愛犬を気軽に外の空気に触れさせられるので、賛成した。


購入から10年、颯太朗は小学校6年生になっていた。

夏が近づく陽気な朝、颯太朗の日課となっていた犬を庭に出したとき、犬が何かを追いかけているのを目にした。

犬の前をちょこまかと小さな影が走っている。多分ネズミだ。


「母さん、ネズミがいるよ!」

6年生といってもまだまだ小さな動物に反応してしまう年だ。興奮した様子で母に報告する。

ネズミはすぐに何処かに消えてしまっていたが、母もかろうじて姿を確認できたようだ。

「庭にネズミが出てたわよ。小さくて可愛いわね。」

嬉しそうに父に報告するが、聞いた父はびっくりした顔をした。

「まじか〜。それは困ったね。」

父は眉をひそめた。

「ネズミはね、たくさん病原菌とか持っているみたいだから、庭に出たら犬が病原菌に感染してしまうかもしれない。触ったりしないようにね。もちろん犬も近づけないようにしたほうがいいと思うよ。」

僅かな知識だが、父はネズミが不衛生で忌避すべき害獣ということを知っていた。


颯太朗と母は少しだけがっかりした顔をしたが、すぐに事態を理解した。

「どうするの?」


こういうのを調べるのは父の役割だ。スマホでネズミ対策を調べる。犬を庭に出すので、殺鼠剤などは撒きたくない。効果は頼りないが、忌避剤を置くことにした。ネズミが嫌な匂いを出すとかいうやつである。


母はマンションの管理人室にもネズミが出たことを伝えた。

忌避剤の効果があったかは不明だが、それ以来、ネズミは姿を現さなくなり、犬も元通り外で遊べるようになった。



夏も終わりかけのある日、母はネズミのことなど忘れかけていたが、ふと外の犬に目を見ようとすると、庭の隅でじっとしているネズミが目に入った。

(また出たっ!)

びっくりしたが、少し観察してみることにした。

(・・・なんか、くつろいでない?)

と思い、スマホを取り出して写真を取った。

(なんか、かわいいかも・・・。)

元々動物好きの聡美である。ハムスターのようなネズミに癒やされてしまった。

(いやいや、癒やされてどうするのよ。追い払わなくちゃ。)


母が庭に出ると、ネズミはそそくさと何処かへ消えてしまった。

すかさず父にネズミが出たことを報告する。

父は困ったが、マンションの中に入ってくるわけでもないので放っておくしかないと思った。


夜、家族で夕食を食べているとき、ネズミの話題になった。

「なんかね、庭でくつろいでるかもしれないわよ。あのネズミちゃん。」

母は少し親近感を持っているようだった。

「うちの庭の居心地がいいのかな。俺、餌でもやってみようか。」

颯太朗は自分に懐いてほしい思いがあるようだ。

「颯太朗、餌はやめてくれよ。また忌避剤買ってくるかねえ。」

父はとにかくめんどくさそうでネズミを避けたい様子だった。


それぞれ口にはしないが、

母やなぜかネズミの見た目に癒やされていたし、

颯太朗は小さな動物に好奇心いっぱいだし、

父は自分が育てている庭の居心地がいいのかもと言われて悪い気はしなかった。


庭に来るのはあまり気分が良いものではないが、時々庭に遊びに来ているらしいネズミに対して、特に憎しみめいた気持ちは芽生えなかった。



それから少したった雨の日の朝。


母がカーテンを開けると雨が結構降っている。

「あ!」

雨で薄暗かったが、ネズミがいたのに気づいた。

「またネズミちゃんいるわよ」

「・・・またか」

追い払おうとため息混じりに父が外に出たが、近づいてもネズミは動かない。

毛は濡れ、体は小さく震えている。寿命か、冷え込みで動けなくなったのか。


「どうする?」妻が小声で言う。

「……病原菌があるかもしれないから触るわけにはいかないな。」


父はしばらくネズミの様子を見ていた。

「颯太朗、パン一切れ持ってきてくれ。」

父から出たのは意外な一言だった。


朝食を食べていた颯太朗は、パンをひとつまみちぎると父に渡した。

ネズミは汚いとか、いなくななってほしいとか言っていたのに、パンをあげるのかと、颯太朗は少し不思議に思った。


パンの欠片を割り箸でつまみ、ネズミの口の近くにおくと、少し食べているような動きをする。が、あまりにも弱々しい姿であった。

「寿命か寒さかわからないけど、もうこのまま死んじゃうと思う。」

ネズミの脇にパンの欠片をおいた父が言う。

「雨で寒かったせいかしら。」

母はそういうと、段ボールとビニールで小さな屋根を作り、ネズミの上においた。


どうやらネズミは死んじゃうみたいだ。

「なんでパンをあげたの?」

「うーん、もう助からないと思うけど、最後になにか食べさせてあげたくなったのかなあ。」

颯太朗は少し悲しくなったが、死ぬ間際にネズミに優しく接する父と母を見て、いなくなってほしいけど、死んでほしくないという複雑な気持ちは少しわかる気がした。


そんな慌ただしい朝であったが、時間通り颯太朗は学校へ行き、父も仕事へ向かった。

母は休みだったので、ネズミの様子をちょくちょく見ることにした。



放課後、颯太朗は家に帰ると母にネズミの様子を聞いた。

「だめだったね。」

どうやら死んでしまったらしい。

「でもね、パンが全部なくなってたんだよ。最後に食べたんだと思う。」

「それは良かったね。」

正直、死んでしまったのに良かったというのは適切なのかわからなかったが、少しでもネズミが満足してくれたのかもと颯太朗は思った。


「ネズミちゃん、だめだった。」

仕事中に母から一報を受けた父は、ネズミの死体をどうするか考えていた。


そのまま捨てるわけにもいかない。

「ネズミ 死骸 処理」と検索欄に打ち込み、父は調べた。

どのサイトにも「菌を持つ可能性があるため、素手で触らないこと」「土に埋めず、ビニールに包んで可燃ごみに」と書かれていた。

「燃えるゴミか・・。」

少しのため息とともに色んな気持ちが込み上げたが、父は特に表情を変えず帰路についた。


父が帰宅したときはすっかり暗くなっていたが、ビニール袋とスコップをもち、ゴム手袋をして庭に直行した。

母は殺虫剤を持って父に続く。颯太朗も行きたかったが、母の表情を見て待つことにした。


10分くらいして、幾重にも重ねたビニール袋をもってゴミステーションに父が向かった。母は両手を合わせていた。

颯太朗はゴミステーションへ向かう父についていくことにした。


「ネズミ、残念だったね。」

「そうだな。でもうちの庭で死ぬなんて、なんでだろうな。」

「やっぱり居心地が良かったんじゃない?」

「ハハ、そうだといいけどな。まあ知らないところで死んでくれたほうが、お父さんは楽だったけどね。でもうちに来て最後はパンも食べれたから、良かったのかもしれないな。」

めんどくさそうなのに良かったという父を見て、そういうもんなのかと颯太朗は思った。


ゴミステーションにネズミを置いたとき、父は両手を合わせていた。颯太朗も真似して両手を合わせた。

「どうか安らかに。」


家に戻り、何回も手を洗い、風呂に入り、夕飯を食べて、寝る前に犬を撫でる。

「お前はいいなあ。家の中は温かいし、餌ももらえる。」

颯太朗は同じ動物なのに飼われる犬はなんて恵まれているんだろうと思った。

「ネズミはさ、汚いって言われるし、寒いし、餌も自分で見つけなくちゃいけないんだぜ。」

犬もネズミも、同じ生き物なのに、不平等だなと颯太朗は少し胸が痛くなった。

「あれ?ああそうか、だからお父さんもお母さんもネズミに優しかったんだね。」

颯太朗はそう言って、犬を優しく撫でた。



翌朝、通学路で信号待ちをしていると、ゴミ収集車が颯太朗の前を通った。


颯太朗はもう一度、静かに心の中で、手を合わせた。




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