白銀要塞国家『大往生』

クソプライベート

大往生

その国の城壁は、増改築を繰り返したコンクリートと、後付けされた無数のベランダで形成されていた。かつて「シルバーキャッスル」と呼ばれた巨大老人ホームは、今や周囲の都市機能を吸収し、鉄条網と監視カメラで武装した要塞国家『大往生』として、日本の関東平野に鎮座している。

​若者たちが組織する「現役世代連合」から送り込まれたスパイ、タクヤは、新人介護士を装って『大往生』への入国に成功した。彼の任務は、この奇妙な国家の弱点を探り出し、連合による「解放作戦」の糸口を見つけることだ。

​だが、彼が足を踏み入れた世界は、想像を絶していた。

​まず、国家の全てが厳格なスケジュールで管理されている。朝6時のラジオ体操の音楽が国歌であり、国民(入居者)はそれに合わせて一斉に起床する。午後3時は「おやつの時間」であり、これは敵襲のサイレンが鳴ろうとも遵守される神聖な儀式だった。

​軍事力も異様だった。国境警備隊は、時速20キロで爆走するシニアカーを乗りこなし、その車体にはチタン装甲とスタンガンが搭載されている。「シルバーサーベル」の異名を持つ彼らは、侵入者を見つけると、杖に仕込んだ催涙スプレーを浴びせかけるのだ。

​中庭では、ゲートボールの試合が行われていたが、それはただの遊戯ではなかった。スティックで打たれる球の位置は、国の方針を決める投票そのものだった。「年金資産の次期投資先」から「夕食の献立」まで、全てがこの一打に懸かっている。タクヤは、赤い球が青い球を弾き飛ばした瞬間、「社会保障費の2%削減が可決されました」という場内アナウンスを聞いて愕然とした。

​「若いの、手が止まっておるぞ」

​振り返ると、国家元首である総施設長、田中キヌヱ(98歳)が、車椅子から鋭い視線で彼を射抜いていた。彼女こそ、『大往生』を一代で築き上げた伝説の老婆だ。

​「この国に弱点などない。あるのは、お主ら若者には到底理解できん『経験』と『知恵』だけじゃ」

​タクヤは動揺を隠し、キヌヱの車椅子を押しながら探りを入れた。「しかし、これだけの設備を維持するには、膨大なエネルギーが必要なはず。動力源はどこに?」

​キヌヱはニヤリと笑い、要塞の中枢へと彼を案内した。タクヤが想像していた巨大な発電炉は、どこにもなかった。そこに広がっていたのは、無数のサーバーが唸りを上げる、超巨大なデータセンターだった。

​「これが我が国の心臓、『年金資産運用AI』じゃ」

​『大往生』は、国民の膨大な年金と金融資産をAIで運用し、世界経済を裏から支配していたのだ。彼らの力は軍事力ではなく、金融支配力。世界の株価も為替も、この部屋の老人たちの数クリックで決まる。弱点など、あるはずもなかった。

​「……参りました」タクヤは完全に白旗を上げた。

​しかし、キヌヱは首を横に振った。

「いや、たった一つだけ、致命的な弱点がある」

​彼女が指差したのは、サーバーをメンテナンスしている数人の老人だった。彼らは皆、100歳を超えているように見えた。

​「このシステムは、ワシら第一世代にしか扱えん。複雑すぎて、誰にも引き継げなんだ。…つまり、ワシらがポックリ逝ったら、この国は終わる」

​後継者不足。それは、かつて彼らが捨てた日本社会が抱えていた問題と、全く同じだった。

​最強の要塞国家『大往生』の唯一にして最大の弱点は、「寿命」そのものだったのである。

​タクヤは、スパイ任務の報告書に、たった一言だけ書き加えた。

​『破壊対象にあらず。我々が学ぶべき、遺産の継承を要請する』

​数日後、史上初となる『大往生』と「現役世代連合」の合同会議が開かれた。議題は「システム技術の継承に関する技能実習プログラムについて」。

​ゲートボールのコートでは、若者と老人がスティックを手に、ああでもないこうでもないと語り合っていた。それは、二つの世代が初めて、同じ未来を見据えた瞬間だった。

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