第1話 もうちょっとこう……


 少し前の話だ。

 

 高校の頃、知り合いのカフェでバイトをした。

 以来、俺はすっかり「バリスタ」という仕事に魅了された。


 大学に進学しても、バリスタとして腕を磨き数々の賞を取る。

 自分の店を持ちたいと夢を抱き、手当たり次第に他のバイトもこなした。

 卒業後はハードな土木作業やノルマ全開のブラック営業など、様々な仕事を掛け持ち、こつこつと開店資金を蓄えた。


 そして二十八歳になった時だ。

 俺は遂に念願のカフェをオープンさせた。

 幸せだった。夢の空間だった。


 とは言え融資は得られず資金が苦しかったので、比較的家賃の安い歓楽街の一角にある小さな店舗を借りた。

 一年が過ぎると常連も増え、店は軌道にのった。

 すべて順調だった。


 そんなある日、俺が出勤しようとした時だ。

 隣の居酒屋で突如ガス爆発が起こり、付近一体が火の海に包まれた。


「焙煎マシンがぁぁ―――っ!」


 リースでなく無理をして買い、まだローンの残る自家焙煎マシンが店にある。

 さらに大切なコーヒー豆もだ。


 俺は急いで運び出そうと、頭から水を被り、引き止める消防員を振り払って、燃え盛る炎に飛び込んだ。


「なにっ!」


 運悪く店に突入した瞬間だ。

 家屋が一気に瓦解した。


 俺は近くにあったコーヒー豆の袋を守る様に抱きしめ、崩れ落ちる木材にそのまま押し潰された。


 衝撃と痛み、さらに自分の体が焼け焦げてゆくきな臭さ。

 

 血を吐き、煙を吸い、身動きの取れない耐え難い苦痛の中、段々と何も考えられなくなり意識が遠のいていった。



 ―――無念だ。




 次の瞬間、目の前にカフェの常連であるイケオジさんがいた。


 すらりと背が高く、緩い癖毛のシルバーヘアー。

 皺は刻まれているが渋い端正な顔立ち。

 神木さんだ。


 彼は静かに大きな白い円卓につき、こちらを申し訳なさそうに眺めていた。  


 ……俺は火事で……。

 ここは? 


 慌てて周囲を見渡すと病院…………ではなくて、避暑地?


 小高い丘の上から海原を望み、咲き誇る花々と見渡す限りの草原。

 そんな雄大な自然が広がっていた。


 俺がいるのは優雅なガゼボ? 

 にしては少し大きめな五角形の建物の中。

 壁のない石柱の間から、吹き抜ける風が爽やかだ。 

 厳かでのほほんとした音楽が、何処からか聞こえて来る。


 夢? 

 と言うか、あの火事の後だ。

 俺は死んだのか?


 ……となると、目の前の神木さんが神様?


 そこで、この場に突然声が響いた。


「残念だぜ!」

「もう、なんて事!」

「……お茶会」

「あらあら、仕方ないわね」


 瞬きの間に目の前の空間が割れ、独特のファッションに身を包んだ若い女の子達が現れた。

 次いで俺の側面には、何故か店のキッチンが浮き出て来る。


 なんだ、これ?


 すると神木さんが立ち上がった。


「……色々驚いているとは思うが、まず事実を伝えるのだよ。

 残念ながら、君は死んだ」


 いつも朗らかな神木さんが、沈鬱な表情を浮かべている。

 現実感のない状況のせいか、幸いショックも少ない。


 同じ現実感を伴わない状況なら、付き合っている彼女に「あのね、もう別れたいの!」と突然告げられた時の方が遥かにショックだった。あの衝撃には全米も泣くだろう。


「…………!」


 喋ろうとしてした俺だが、言葉が出なかった。

 何か不可思議な感覚。

 黙ってうなずくしかない。


「わしらは、君らが言うところの神なのだよ」


 本当に神様だった。

 喋れないのはそのせいか。

 あまり実感が沸かないなぁ……。


 そんな俺のあっさりした反応に、女の子達が小声で、「あまり驚かないな」「最近の子って悟ってるというか、感じ悪いのよ」とリアクションの薄さに陰口を叩かれた。


 どうも神様と言っても、完全に善意の存在ではないらしい。

 神木さんが彼女らを横目で軽く嗜め、再び話を続けた。


「まぁ、おいおい理解してくれたらいいのだよ。ところで、君がここにいる理由だが、わしが大のコーヒー好きなのは知っておるだろう?」


 同意を求める神木さん。

 喋れない俺は笑顔で頷く。

 神木さんはコーヒーに対して、とても造詣が深い。


「わしは様々な世界のコーヒーを飲み歩くのが趣味なのだよ。一年前に君の店を見つけて早速飲んでみると、好みど真ん中、エクセレントな味だった。これは最高の店だと気に入ったのだよ」


 様々な世界? 

 どれだけのコーヒーを飲んでるんですか、神木さん! 


「わしが足しげく通うものだから、他の神々も興味を持った。そこで今日はみんなで飲みに行こうと楽しみにしていた所だったのだよ」


 女の子、いや女神様達が、それぞれ「うん、うん」と肯いている。


 今日の事故は、神様でも予測出来なかった突発的なものだったのか?  

 いや、単に運命か?


 そこで俺は隣に現われているキッチンを眺め、なんとなく察する。


「それでどうにもみんなが納得せん。仕方なくちょっとだけルールを曲げて、お前さんに来てもらったのだよ」


 つまり、俺は成仏する前に神様にコーヒーを入れて飲んでもらう、それから天国にいけ、という事らしい。


 冗談みたいな状況だ。


 別にコーヒーを淹れるのは構わない。

 だが、その、もうちょっと、こう、俺という死者に対する気遣いっていうのがないのだろうか、残念だ。


 すると、長剣を背負い荒々しい覇気を纏う女神様が、力強く指を一本立てた。


「おい、お前、そんなにためらうな。ひとつ特典をやるぜ!」


 黒髪長髪、ワイルドで意志の強そうな女神様だ。


「俺は剣神ディア! こうして、パパに頼んでわざわざ来てもらったんだ。生き返らせる事は出来ねぇが、無条件でお前に転生の権利を与える。本来は長い時間が必要だけどな、現在の記憶も姿もそのままで転生させてやるぜ。どうだ、喜べ!」


 いきなり唐突な提案が来た

 と言うか「パパ」って、なに?

 この女神様は神木さんの娘さんなの!


「ちょっと、信じられないんですけど!」


 すると、隣に座るタレ目でかわいい感じの女神様が、ゆるふわ衣装を揺らし剣神ディアを睨んだ。


「ほら、パパもびっくりしてるじゃない! あっ、君、私は恋神フラウよ! そしてディア、いきなり転生なんて聞き捨てならないわ! そもそもまずいコーヒーだったらどうするのよ。軽々しく転生だなんて、必要ないんだからね!」


 タレ目が微妙に吊り上がり、不満そうに口を尖らせる。

 と言うか、この女神様も娘さんなの?


「なんだよ、フラウ! そんなケチくせぇ事言うなよな。いいじゃねぇか、転生くらい!」


「もう馬鹿なの! 立場を考えなさいって言ってるの! それに私、ケチじゃないんだからね!」


 二人が言い争いを始める中、小柄で大人しそうな女神様が小さく挙手した。


「……早くコーヒー、飲みたい。私は豊穣神フローリア、特典で加護、体力増強、やる!」


「ちょっと、何を言ってんのフローリア! あんたまでいきなり加護だなんて!」


「はははっ、面白れぇな! 流石は末っ子、自由過ぎて楽しいぜ!」


 末っ子? 

 という事はこの小柄な女神様も娘さんなの?




 

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