第4話 他の男が見てくれる
片桐涼という男が、萌に近づいてきたのは、俺が気づいた直後だった。
朝、教室に入ると、クラスがざわついている。
「見た見た? 廊下で」
「片桐先輩が、佐伯さんに話しかけてた」
「マジで?」
俺の足が止まる。
斉藤が俺に近づいてきた。
「おい、聞いた?」
「何を?」
「片桐涼が、萌ちゃんに声かけたらしい」
「片桐……生徒会の?」
「そう。学年でも有名なイケメン。女子からの人気ヤバい」
俺は窓の外を見た。
校庭で、萌と片桐が話している。
片桐は笑顔で、萌も少し照れたように笑っている。
胸に、嫌な感覚が広がった。
*
一時間目の授業中。
俺は全く集中できなかった。
萌と片桐が話していた姿が、頭から離れない。
(なんで、あんなに気になるんだ)
萌が他の男と話すくらい、普通だろ。
でも、このモヤモヤは消えない。
チラッと萌の方を見る。
萌はノートに何か書いている。真面目に授業を受けている。
いつもと同じ。
でも、何かが違う。
俺には、もう見せてくれない顔を、片桐には見せている気がした。
*
昼休み。
俺は購買でパンを買って、教室に戻ろうとしていた。
廊下で、萌と片桐が話しているのを見た。
足が止まる。
片桐が言う。
「佐伯さん、最近雰囲気変わったね」
萌が答える。
「え、そうですか?」
「うん。前より……大人っぽくなった気がする」
萌は嬉しそうに笑った。
「ありがとうございます」
その笑顔。
俺が最近見ていない笑顔だ。
片桐は続ける。
「今度、良かったら一緒に食事でも」
俺の手が、握られる。
パンの袋が、クシャッと音を立てた。
萌が少し考えてから答える。
「……はい」
息が、詰まる。
片桐が笑う。
「じゃあ、連絡先交換してもいい?」
「はい」
二人はスマホを取り出している。
俺は、そこから逃げるように教室に戻った。
*
教室で、一人でパンを食べる。
味がしない。
(萌が……片桐と食事に行く)
なんでこんなに嫌なんだ。
萌が他の男と食事に行くくらい、別にいいだろ。
でも、嫌だ。
すごく、嫌だ。
「小林、どうした?」
田中が話しかけてくる。
「……別に」
「顔、暗いぞ」
俺は無理に笑った。
「大丈夫だよ」
でも、全然大丈夫じゃない。
*
放課後。
俺は一人で帰ろうとしていた。
下駄箱で靴を履き替えていると、萌が来た。
久しぶりに、二人きりになった。
「あ……悠斗」
萌が声をかけてくる。
「おう」
気まずい沈黙。
俺は我慢できずに聞いてしまった。
「片桐と……食事、行くの?」
萌は少し驚いた表情で、それから答えた。
「うん。誘われたから」
「そっか」
また沈黙。
萌は靴を履きながら言った。
「なんで?」
「いや……別に」
萌は俺の方を見た。
久しぶりに、萌が俺を真っ直ぐ見た。
「悠斗、関係ないでしょ?」
その言葉が、胸に刺さった。
「そりゃ……そうだけど」
萌は少し挑発的に言った。
「片桐先輩、優しいし。ちゃんと私のこと見てくれるから」
ちゃんと見てくれる。
その言葉が、俺を責める。
「そっか……」
俺はそれしか言えなかった。
萌は靴を履き終えて、先に歩いて行った。
「じゃあね」
俺は、その背中を見送ることしかできなかった。
*
一人で家に帰る道。
胸が、苦しい。
(なんで、こんなに嫌なんだ)
*
その夜。
俺は校門で、斉藤と話していた時のことを思い出していた。
「お前、最近元気ないな」
斉藤が言った。
「そんなことないけど」
「嘘つけ。萌ちゃんのことだろ?」
俺は黙った。
斉藤は続けた。
「片桐と食事行くんだって?」
「……知ってんのか」
「クラスで噂になってるよ。『片桐先輩が佐伯さんに本気』って」
本気。
その言葉が、俺を焦らせた。
「お前、焦らないの? 萌ちゃん取られるぞ」
「取られるって……俺と萌は付き合ってるわけじゃないし」
「でも、好きなんだろ?」
俺は黙った。
好き?
俺が、萌を?
「違う。萌は……」
「またそれ言うのかよ」
斉藤は呆れたように笑った。
「お前、本当に鈍いな」
「何がだよ」
「お前が萌ちゃんのこと好きなの、バレバレだよ」
俺の心臓が、ドクンと跳ねた。
「そんなわけ……」
「嫉妬してんじゃん。片桐に」
嫉妬。
その言葉が、胸に突き刺さった。
(俺が……嫉妬?)
斉藤はポンと俺の肩を叩いた。
「まぁ、頑張れよ。後悔する前に」
そう言って、斉藤は先に帰って行った。
*
ベッドに横になって、天井を見つめる。
斉藤の言葉が、頭の中で響いている。
「お前が萌ちゃんのこと好きなの、バレバレだよ」
好き。
俺が、萌を。
(違う)
違うはずだ。
でも。
なんで、こんなに苦しいんだ?
萌が他の男と笑ってる姿を想像すると、胸が痛い。
萌が他の男に優しくされてるのを想像すると、嫌になる。
(これは……)
*
目を閉じる。
(萌が、遠くなってる)
(他の男に、笑いかけてる)
俺は、萌に何も言えなかった。
「行くな」なんて、言える立場じゃない。
でも。
(嫌だ)
なんで、こんなに苦しいんだ?
認めたくない。
認めたら、何かが変わる。
今の関係が、壊れる。
中学の時も、そうだった。
俺が誰かを好きだと認めたら。
その人を、傷つけた。
だから。
(認めちゃダメだ)
俺は、その気持ちを押し込めた。
(萌……)
明日、萌は片桐と食事に行く。
二人で、楽しく話して。
萌は笑って。
俺は、何もできない。
ただ、この苦しさに耐えることしか。
俺は、萌を失いつつある。
その現実が、ゆっくりと俺を押しつぶしていく。
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【あとがき】
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