秋の夜長に月見酒

砂山 海

秋の夜長に月見酒

 夏の夜の暑さもどこへやら。秋の夜風が私達の持つビニール袋を騒がせ、少し肌寒さを感じさせながら通り過ぎていく。けれどこれから待っている飲み会を考えれば、それだって楽しさのスパイスにしかならない。


「いやー、やっと過ごしやすくなったねぇ」


「ほんとだね。しかしいっつも美愛の家にばっかりで悪いね」


「いいよ別に。一人でいたって淋しいし、それに宅飲みの方が安上がりじゃない」


 私がそう言えば、親友の由芽が「全くだわ」と言いながら笑った。


 私と由芽は高校の時からの友達。お互い大学にはいかず、高校卒業と同時に別々の会社で働いている。収入は少し由芽の方が高いけど、世間一般からすればそんなに高い方ではない。むしろ知り合いからは転職をオススメされた。


 それでももう何年も務めているから人間関係はそれなりに出来上がっているし、それに困っている事も無い。割と居心地は良いし、仕事だってそんなに激務ではない。私の倍くらい貰っていた友達もいたけど、そういう人達は大抵心を壊していた。


 お互い色んな友達がいるけど、週末になれば大抵私は由芽とこうして宅飲みを開催している。それは気心が知れているから楽だし、宅飲みだと店飲みよりお金がかからないし、何よりすぐに寝れる。


 あとはまぁ……下心だ。


「いやー、それにしても今週は疲れた。月替わりだったから集計とか大変でさ」


「うちも。だから今日はもうパーッと飲もう。飲み切れなかったら美愛の家の置いておくから飲んじゃって」


「どうせ残らないくせに」


「まぁね。お残しは厳禁ですから」


 楽しげに笑う由芽の横顔はいつ見ても素敵だ。通り抜ける風が彼女の肩までの髪を揺らし、耳に付けた小さなピアスが街灯で煌めく。


 私は彼女にずっと片思いをしている。高校の時から、ずっと……。


 もちろんそんな素振りを見せた事も無いし、気取られた事も無い。由芽はいつだって私に優しくて、気さくで、明るくよく笑う。もう一段進んだ関係になれればと思うけど、それで由芽を失ってしまうのが怖かった。


 だって女同士だなんて、きっと変だから。


「あー、お腹減った。もう七時だもんね」


「いやー、それについてはごめん。普段は土曜日なんて五時に終わるのに、ちょっと長引いちゃって。それから帰って支度してだったからさ」


「いいよ別に。働いてたらそういうのだってあるでしょ。私だって前、美愛を待たせちゃったんだからさ。それにお腹空いてた方が美味しく感じられるじゃない」


 明るくそう言ってくれる由芽に私は何度救われたかわからない。別に私だって今更本気で謝ったりするような事じゃないけど、それでもちゃんとこうしてフォローしてくれるのが嬉しい。長い関係になっても、雑にならないのが由芽のいい所だと思う。


 住宅街沿線の駅から徒歩十分も歩けば私のマンションが見えてくる。近くにはスーパーもドラッグストアもあり、飲食店もそれなりにあるので住んでいる分には満足だ。通勤にはちょっと時間がかかるけど、家賃が安いから仕方ない。


 時間が時間だけに、あちらこちらから良い匂いが漂っている。それにもう食欲が刺激されっぱなしだったけど、ついに私のお腹がぐうっと大きく叫んだ。


「ほらほら、もうちょっとだから泣かないの」


「ちょっとー、触らないでよ」


「いいじゃない、こうしてあやさないとまた泣いちゃうよ」


 食べたばかりではないとはいえ、最近鍛えてないしちょっとお腹に肉がついたから恥ずかしい。でも、おふざけとはいえ由芽に触られるのは嫌じゃない。


 そうこうしていると私の住んでいるマンションに着いた。ロックを外して中に入り、エレベーターで四階に。そうしてエレベーター側から二番目の部屋が私の部屋。鍵を開けて中に入れば、もう愛しの我が家。


「あー、美愛の家っていつ来ても良い匂いする。美愛の匂いがいっぱい」


「なにそれ、ヘンタイみたい」


 笑いながらリビングのローテーブルに荷物を置くと、私は由芽の上着を預かってハンガーにかける。その間、由芽が袋から買ってきたものを取り出して広げてくれた。スーパーで買ったピザとチキン盛り合わせ、乾きものやチーズなどのおつまみ、そして缶チューハイ数本とワイン一本。


「ねぇ、ピザ温める?」


「私はそのままでもいいかな。お腹空いたから早く食べたいし、それにまだ温かいよ」


「じゃ、そのままでいいか」


 由芽と向かい合うように座ると、私達はまず缶チューハイを手にして乾杯をする。すきっ腹の一口目はいつだってすごくアルコールを感じて仕方ない。喉やお腹がじんわりと熱くなり、これからが楽しい時間なんだって開始の合図のよう。


「あー、お腹空いた。ピザ食べよ」


「由芽、いっつもマルゲリータだよね。他のは惹かれないの?」


 今日のピザは由芽が選んだマルゲリータ。というか、いつだって由芽はこれしか選ばない。


「シンプルなのが好きなの。だってほら、具がたくさん乗ってるやつってこぼれて食べにくいんだもん」


「確かにね。ハンバーガーとかは私もそうかも。なんかあるじゃない、すごいたくさん具を詰めて、絶対こぼれるってやつ。それがいいって人もいるけど、ボロボロこぼしながら食べるのって生理的に無理なんだよね」


「そうそう、わかる。二千円くらいするやつね。あれ、どうやって食べるんだろうね」

 そう言いながらマルゲリータを食べるけど、やっぱり美味しい。私もピザの中ではトップ3に入るくらいには好きだ。でも由芽と一緒だとそればかりになるから、私の番の時はあまり具沢山では無いけど違うのを頼む。ペパロニとか、エビマヨとか。


「にしてもさぁ、近藤の事って聞いてる?」


「知らない。どうかしたの?」


 由芽が言うのは高校の時の共通の友人。と言っても私はもう二年くらい彼女に会っていないから近況は知らない。


「なんか結婚するらしいんだけどさ」


「え、そうなの? 随分早いね」


 二十三で結婚というのは私の周りではかなり早い。私だってもし結婚すると考えたら、さすがにまだ遊びたいし折角の一人暮らしをもう少し満喫したいのだが。


「なんかデキ婚らしいんだよね。でさぁ、相手の人がいかにもな遊び人らしくて両親が反対してるらしいの」


「まぁ、そうだよね」


「でも近藤は家族の縁を切ってまで結婚するって言っててさ」


「その相手の人って由芽は知ってるの?」


「見た事無いかな。ただ近藤が言うには今は無職だけど、夢があるみたいだから私がその間は支えるってさ。結婚相手が無職だよ? ありえないよね」


 そりゃあ親御さんも反対するよなぁ……。


「絶対離婚するでしょ。もしくは近藤の親とかに何とかしてって言ってくるでしょ」


「だよね。だから私もそう言ったんだけど、全く聞く耳持たなくてさ。しまいには『由芽もそうやって邪魔するの?』だってさ。なーんかもう、それで冷めちゃったよね」


「私はもう何年も会って無いから関係も切れかかっているけど、でもそれ聞いたらさすがにもう会う気はしなくなったなぁ」


「だよねー。それが普通の感覚だよね」


 ほぼ同時に缶チューハイを飲み終わり、次の缶チューハイに手を伸ばす。


「あ、じゃあさ、由芽は丸川の話聞いてる?」


「丸川? いや、知らないと思う」


「三日くらい前に久々に連絡来たんだよね。何でも今付き合ってるらしいんだけど、二股疑惑があるらしくてすんごい愚痴っててさ。でもそれも丸川の言い分がバカバカしくて、もう聞いてられなかったの」


「え、例えばどんなの?」


 私はぐびりと大きく一口飲むと、盛大な溜息をついた。


「付き合って二ヶ月記念なのに何もお祝いしてくれなかったとか、一緒に焼肉食べに行ったら自分が勧めたホルモン食べてくれなかったから愛情が薄れてるとかどうとかばっかり。付き合って一ヶ月ならともかく、二ヶ月なんてどうでもいいよね」


「毎月なんかやってられないでしょ。てか、ホルモン食べなかったから愛情がって何それ。単に食べられない人なんじゃないのかな。私の周りでもいるよ、内臓系食べられない人。いやー、それはさすがに男の人可哀想かな」


「だよねー。丸川ないわーと思いながら聞いてたよ」


 大笑いしながら乾いた喉を潤すように由芽が飲む。それからも私達は共通の友人の恋愛話で盛り上がり、あれやこれやと言いながら大笑いする。そうこうしていると私はもうそろそろ缶チューハイが無くなるのを見越して席を立ち、キッチンからコップを二つ持ってきた。


「しっかしみんな、恋愛恋愛だねぇ。由芽はどうなの、そろそろ好きな人ととか気になる人でもできた?」


「いないよー。いたら真っ先に美愛に言ってるよ。私はね、今こうして美愛と飲んでたりするのが一番楽しいの。誰かと何かをする中で、ぶっちぎり楽しいんだよね。多分さ、男いるよりもずっと楽しいと思う。だから作る気は無いんだ」


 真っ直ぐな瞳でそう言われると、さすがに恥ずかしくなる。告白とはまた違った思いの吐露に、胸の奥がむず痒くなる。でも嫌かと言われたら当然そんな事は無く、むしろじんわりとした幸せが広がっていた。


「そういう美愛はどうなのさ。私に隠してたりしない?」


「もしそういう人がいるなら、真っ先に由芽に言ってるよ。私もね、由芽と同じ。こうしてるのが一番楽しいし、好き」


 軽い告白のようなものを口にした時、私の心臓がばくばくと暴れる。けれど、顔は普通を装う。気付いてくれないだろうけど少しは伝えたかったから。でもきっと、こんなんじゃ伝わるわけない。だって由芽、いつもと同じような顔で笑っているから。


「いやー、酔ってきたのかなんか妙に恥ずかしいね。飲もう飲もう」


「そうだね。じゃあワインいっちゃう?」


 私がワインを開けると、それぞれのグラスに注ぐ。そうして改めて乾杯すると、傾けた。ただ、視線はこっそりと由芽へと向ける。由芽も私の視線に気付いたのか、目が会うと嬉しそうに細めた。


 由芽の事が好き。けれどキッカケというキッカケは特に無かった。


 ただ一緒にいてこうして笑い合えて、悩みも言い合えて、時に本音をぶつけ合ってそれでもこうしてお酒を飲める。こんな人、他にいない。特別過ぎる存在、それが由芽。だから好きにならない理由が逆に無い。


 特別男の人が苦手ってわけじゃない。ただ、例えばずっと一緒にいたり何だったらキスしたりとかって考えた時、由芽以外の人で考えたくなかった。他の誰にも憧れは生まれず、何だったら嫌悪感すらある。


 改めて思えば、私は重いのかもしれない。でも、そうじゃなきゃこんなに片思いなんか続けられない。


 だから今夜、告白する。もう片思いだけじゃ我慢できないから。


「ねぇ、ほら見てよ。月、綺麗だよ」


「ん? ちょっとここからじゃ見えないなぁ」


 私が窓の外へ目を向けると、由芽も身を乗り出す。けれど由芽の位置からは見えない。だって私がそういう風にテーブルを配置し、座らせたから。


「こっち来なよ。月見酒ってのも風流でしょ」


「そうだね」


 グラスを私の方へ寄せると、由芽がゆっくりと立ち上がった。そうして私の隣に座るとまたグラスを持ち、窓の外を見る。


「ほんとだ、綺麗。いいね、こういうのも」


 すぐ隣の由芽がお酒を飲んでいて体温が上がっているからか、ふわりとつけている香水の匂いが漂った。私の大好きな匂い。高校生の頃から由芽は同じ香水ばかり付けている気がする。だからもうこれは由芽の匂い。


 ドキドキしつつも、私はもう今日が勝負の日だと思っているので勝負に出る。由芽の方へ身体をずらし、肩や腕が触れ合う位置にまで動いた。何事かと由芽が私を見るけど、私は月を見たまま。


 ただ、触れ合う場所からは確かに体温を感じていた。


「綺麗だよね、月」


「うん、そうだね」


 由芽がグラスを傾ければ、私もそうする。緊張で乾いた喉が潤い、アルコールが今にも萎えそうな気持ちを後押しした。


「あのさ、さっき嘘ついたんだよね。それ、謝りたくて」


「嘘?」


 そっと由芽が私の方を向く。けれど私は恥ずかしいから、月を見たまま。


「うん、嘘ついた。私、好きな人がいるの」


「え、誰それ? 知ってる人? それとも会社の人?」


 私がもう一口ワインを飲むと、もう空になった。だからグラスをそっとテーブルに置き、月から由芽へと視線を移す。


「知ってる人。その人は高校からの付き合いで、いつも私の傍にいてくれた。辛い時も苦しい時も、楽しい時も嬉しい時もいっつも一緒。いつ誘っても返事が良くて、お酒も楽しく飲めるの。今日も、来てくれた」


「え、それって」


 目を丸くする由芽に私は死ぬほど恥ずかしいけど、頑張って微笑んだ。


「大好き、由芽。私、本気だよ。友達じゃなく、恋人になりたい好きなの。こんな事言われても困るだろうけど、でも私は本気なの。ずっと、高校の時から片思いしてた。でも」


 そこで私は突然由芽にキスされた。ぐっと顔を近付け、私が驚くよりも早く。長くなりそうな言い訳まがいの理由を話そうとしていた思考と言葉は中断される。代わりに由芽の唇の感触、潤いや柔らかさが強烈に私の思考を壊した。


 嬉しいはずだし、夢見ていた行為が理解を超えていたため私は固まるばかり。けれど由芽はまるで熱に浮かされたように私にキスを繰り返す。唇を吸い、離し、またくっつける。くまなく私の唇が彼女の湿度で覆われた時、私はゆっくりと押し倒された。


「美愛、私もずっと好きだった。ずっとずっと、もう高校の時から好きで好きで仕方なかったの。もう我慢できなくて、今日告白しようとしてたの。でも、美愛が先に言ってくれた。ビックリしたよ、美愛も同じ気持ちだったなんて」


 爛々と輝く由芽の瞳はまるで先程の月のよう。


「だからね、もう我慢できないよ」


 その告白に私は嬉しくなり、そっと右手で由芽の頭を撫でた。


「我慢する必要なんか、もう無いよ。そうでしょう」


 月の光を全部集めても、なお目の前の由芽の瞳の美しさには敵わない。私達は少しの間見詰め合うと、小さく微笑んだ。


 返事は言葉じゃなく、行動で示された。私達はもう我慢なんかしない。


 秋の夜はきっと、このために長いのだろうから。

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