第3話 異世人の身の振り方

***


「やぁロクサーヌ! いい天気だね」

「ごきげんよう。そうね、いい天気ね」

 順調であった。

 ロクサーヌの身近な庶民代表ことミナを真似て誰にでも笑顔で接し(貴族社会ではよく知らない異性に話しかけられたら無視をするものだけれど……)、そして自ら周りの人間に声をかけ(使用人を介するならまだしも、淑女のすることではないけれど……)、評判はすでにうなぎ昇りだった。

 このわたくしにかかれば、貴族の社交場だろうか庶民の井戸端会議だろうが大した違いはないのよ……!


 あの翌日ロクサーヌは、拾ってくれた女ミナに連れられ、役場で異世界人の届けを出して登録を済ませた。

 窓口はあるものの、数年にひとりいるかいないかという異世界人である。担当者は普段は役場の別の仕事に従事しており、異世界人がやってきた時だけ駆り出されてきて窓口の対応をするらしい。

 30半ばほどの男が、他の仕事ですでにヨレヨレになった状態で引っ張りだされてきて、『初めまして、担当のテランスと申しますー』と名乗った。

 窓口では実に事務的な手続きが待っていた。ヘロヘロに疲れた顔をしながらも、テランスは持ってきた書類をロクサーヌに示しながら、流れるような口調で説明をしはじめた。

 こういったものはどこの世界も同じなのね、と呆れた気持ちでロクサーヌは促されるままにペンを執った。


 渡された何枚もの書類は以前の生活について問うものが多く、ほぼ二択で構成されており、『魔法はあったか』『呪術はあったか』などという呆れるような質問から、『宗教は存在したか』『発言や行動のタブーはあったか』などと記述を要する問いもあった。

 自分の名や爵位、家族構成はもちろん、以前の世界の人間関係でまた会いたい相手、そして会いたくない相手などの記載欄もあった。

 会いたい相手には実家家族と幾人かの友の名を連ね、そして会いたくない相手の欄に、ロクサーヌは迷うことなくあの女の名を記した。そしてこれは無意識のことであったが、ロクサーヌは夫の名をそのどちらにも書かなかった。

 自分が綴った、顔も見たくもない女の名を見つめ首を捻る。……こんなこと訊いてどうするのかしら? 


 中でもロクサーヌを一番困らせたのは、こんな質問であった。

『この世界ではどういった暮らしを望んでいるか』

抽象的過ぎてどう書けばいいかまるでわからない。

 悩んだ挙句、

『生まれてくる子どもと、安穏に暮らしてゆけたらそれでいい』

と記すと、記述しているロクサーヌを見守っていた窓口担当テランスが、小さく感嘆の溜め息を漏らした。

 図らずも、“欲のない女性”として認知されたようである。


 訊くに、たいていの異世界人は元の世界で酷い目に遭った反動で、

『大金持ちになって毎日豪遊して暮らしたい』

『権力者か英雄になり、周りから恐れ敬われたい』

『あまたの美男美女に囲まれ全員から愛を乞われ暮らしたい』

などと、好き勝手にめちゃくちゃなことを書くらしい。

 あまりの荒唐無稽さに、ロクサーヌはたじろいだ。

『可哀想に、みんなそんなに疲れ果てているのね……』

『レディロクサーヌは違うのですか』

 無論、違う。

 豪遊というほどではないが、贅沢の類はそれなりにしてきたし、ローランドからの愛はもらえなかったが、ロクサーヌは異性にもそれなりにモテてきた。

 ロクサーヌは容姿自慢であるし、キツめの性格で敬遠されることもあったが、不思議なことにそれはそれでそれなりに需要はあったのである。

 なので、好いてもいない男からの愛はいまさら別にいらない。親兄弟からは愛されてきたし、家族愛は生まれてくる子どもと育めばいい。


 今は異性なんてどうでもよかった。子どもさえ元気に生まれてくれればそれでいい。

 夫のことも、突然の異世界生活ですぐに頭から飛んでしまった。今となってはなぜあそこまで執着していたのかもよくわからない。

 もしかしなくても、己の矜持の問題だったのかもしれない。

 彼のことはもう構わないが、父や母、そして兄らにきちんと挨拶ができなかったのは心残りであった。

 ロクに眠らず食事も蔑ろにし、突然いなくなった娘を血眼になって探す様子が目に浮かぶようだ。いつかもし機会があれば、『わたくしは元気にしているから、どうか心配しないでね』とひとことでも伝えられたらよいのだが。

 それも難しいでしょうね、と軽く息を吐いた。異世界にいるだなんて、わたくし本人ですら実感がないのに。


 一週間以上も前のことなのに、実感がない。しみじみと思い出していると、日焼けした厳つい顔がロクサーヌを見てにこやかに笑った。

「まだそれほどお腹は目立たないね? 出産予定日はいつごろなんだい?」

現実に引き戻され、ロクサーヌは淀みない笑顔で口を開いた。

「まだずっと先、半年以上先よ。このまま何事もなく、元気に育ってくれたらいいのだけど」

そっか、ならそんなの持とうとしちゃダメじゃないか? と、持とうとしていた荷物をさっと取り上げられた。

「ミナの家に帰るとこ?」

「ええ、荷物まで持ってもらってなんだか悪いわね。でも助かるわ」

ありがとうと微笑むと、いいさ、助けあいだからね、とニコニコと頷かれた。


 お父様お母様、どうか心配しないでください。

 一事が万事この調子。皆してこんなに親切なのだもの。


「ロクサーヌ、おかえり!」

「ただいま」

 ロクサーヌは、異世界人の窓口に申請をした後もミナの家で世話になっていた。

 望めばすぐにでも住める空き家を選んでくれるということであったが、ロクサーヌは元侯爵令嬢であり小公爵夫人である。ひとりで生活する能力なんて、持ち合わせているわけがなかったのである。

 かといって、突然降ってわいた異世界人に使用人まで宛てがってやるほどの余裕は、この世界にもないらしかった。


 当然よね、と思う。ミナが自分の家に置いて、面倒を見てくれているだけでもありがたい話だ。

 ミナはもともと世話焼きらしく、右も左もわからないロクサーヌの身元引受人になることをその場で快諾した。

『だって私が拾ったんだもの。あの後どうなっただろう、あの女の子は元気にしてるのかしらってヤキモキするくらいなら、自分で面倒見たほうがいいでしょ』

それに落ち着くまでだもん、平気よ、と述べた。

 彼女は日中、ご近所の夫人方が働きに出ている間、彼女たちの子どもや家畜の世話などをして生活しているらしかった。面倒見がよく人当たりのよいミナに、実によく合う仕事だわ、と拾われたロクサーヌも思う。

 ロクサーヌもほんのたまに、ミナに頼まれて預かった子を見ていてやることがある。彼女がトイレに行く時だとかのほんのわずかな間である。前の世界で兄や姉の子を見ていた時も思ったが、予行演習みたいで悪くないわね、と指をしゃぶり眠る姿を見守ったりしている。


「ロクサーヌ、荷物はここに置いておけばいいかな?」

照れくさそうに述べた男の袖を掴み、私はミナを振り返った。

「ついでにお茶でもどう? 手伝ってもらったのにそのまま帰せないもの、ねぇミナ」

「? そうだね、せっかくだから飲んでいきなよ」

ジスランって親切よね、と中に招き入れると、ミナが3人分のカップを持ってきた。

 ありがとうロクサーヌ、とポソリと呟かれ私は口角を上げた。

 彼のロクサーヌへの親切は、ただの口実なのである。ジスランはミナに会いたい一心で来たのだ。このくらいで礼になるならお安い御用だった。

 彼は気がきく男だし働き者だ。ミナとも、友人として付き合いが長いらしかった。

 友人が恋人にまで発展するのは時間がかかるものなのかしら、と政略的婚約の早かったロクサーヌは首を捻るばかりである。


「そうだ、あなたに役場から手紙来てたよ」

「私に? なにかしら」

 渡されたそれを、ビリリと手で開封した。

 以前の私なら『レターオープナーも一緒に持ってきなさいよ、気が利かないわね』と思うところだが、あんなものなくたってなんにも問題ないとここに来てすぐ気がついた。

 生きていくのには、そういった小物雑貨よりずっと大切なものがあると悟ったのである。


 手紙には理解を飛び越えた文字列が並んでいた。

「――〝後見人″って? どういうことなのかしら?」

「? あぁ、ロクサーヌはお貴族だったわけでしょ。だから以前と似た生活を望むなら、そういった手助けをしてくれる人もいるよってことよ」

 ロクサーヌは驚愕した。

「、こちらでも貴族になれてしまうの!? わたくし、この世界ではなんの功績もあげてなくってよ!? そんなことで貴族と言える!?」

「あっはは! また貴族様の話し方が出てるよ~~」

「なくってよってほんとに言うんだ! 自分のことわたくしって! 噛みそうだね!」

と、ふたりにしこたま笑われた。

 驚くと以前の高飛車な話し方が出てしまうのだ。照れ隠しに咳払いをした。


 手紙には、いくつもの選択肢が並んでいた。

 ひとつ目は、子供のいない老貴族の養子として私が入り、私の子が生まれたら後継者として育てる案(息子夫婦に先立たれ、後継者にする血縁もいないとのこと)。

 ふたつ目は、まだ若い貴族男性だが先妻に先立たれた人の後妻として嫁ぎ、私のお腹の子を後継者として育てる案(まだ先妻を忘れられそうにないので、私との子はできなくてもよいそう)。

 みっつ目は、異世界人支援をしている団体から後見人を得て自活を目指す案(こちらの貴族のノブレス・オブリージュとして人気らしい)。


「……不思議なことね、自分と縁も所縁もない子どもを後継者にだなんて」

「? そう? こっちでは普通だよ。子どもが生まれにくいからねー」

 うんうん、とその隣でジスランも頷いていた。ミナの隣だからか、ジスランの目尻は優しく下がり続けていた。

「異世界ではふたりでも3人でもポコポコ生めるらしいけど、この国では夫婦の間にそんなにたくさんは生まれないんだよ。ひとり出来たらいいほう、子どもがいない家もたくさんあるよ」

「実際、俺もミナもひとりっ子だしな」

「そういえば、この町でも子どもはほとんど見かけないわね」

 たまに見かけても、子ども同士で群れて遊ぶさまは見かけない。親に引っ付いているか、たまに見かけてもあまり年の近くなさそうな2、3人が話しているのを見掛けるくらいだ。

 ミナは子守りの仕事をしているが、いっぺんに複数人を預かることはほとんどなかった。たいていひとりで、多くてもふたりでそれも乳幼児と10歳ほどの年の離れたペアがセットである。

 訪れる子どもの年齢はバラバラであった。子どもが少ないのだから、同じ年齢の子が揃う方が珍しいのかもしれない。


「子は宝って言うでしょ、すごく貴重なのよ。だから妊婦のロクサーヌは、騙されさえしなければなにを選んでもきっと困らないよ」

騙されるってなによ、この穏やかで親切な世界で、とロクサーヌは苦笑した。

「じゃあ後妻や養子より、後見人を探したほうがいいのかしら。私がどう過ごせるかより、生まれる子どもにできるだけいい環境をあたえてあげたいわ」

ロクサーヌの言葉に、ふたりは悩んだ。

「? なにか問題があったりするの? 教えてもらえると嬉しいわ、私はまだこちらの常識に疎いから」

そうだよね、知ってないと後で困るかもしれないし、とミナは頷いた。

「後見人だと、支援金を盾に子どもの身の振り方を決められちゃうかもしれないよ。たまに聞くんだよそんな話、よそに養子に出すのを勝手に決められちゃったりだとか」

「!? なにそれ絶対に嫌よ! 私が産むのに!!」

だよね、子どもと一緒にいたいならやめといたほうがいいよ、とジスランに宥められた。


 この世界にも、意外と世知辛い面もあるのね。

 異世界人に優しいところしか知らなかった。まさか生まれてくる子どもを狙われるとは。意外な側面を知った気分である。


 改めて、役所からの書類を眺めた。

「……。ねぇ大公閣下ってどんな方?」

「そんな高貴なお人を私たちが知るわけないでしょ」

それもそうだ。

「後妻を探してるって。イケメンかしら……?」

冗談だと思われたのか、ケラケラと笑われた。

「ちょっと~! ロクサーヌは男を顔で選ぶの??」

「あら。ミナは違うの?」

違うに決まってるでしょー、と笑う横でジスランは身を強張らせていた。


「やっぱり誠実で健康な人がいちばんでしょ? 私はそれ以上のことは望まないよ!」

「、ほんとに……?」

 ジスラン、あなたは二の足を踏んでないでさっさと想いを打ち明けるべきだと思うの、との言葉をロクサーヌはなんとかして飲み込んだ。

 誰であれ、人の恋路に土足で踏み込むべきではない。

「あとはそうね、明るい性格で働き者だとなおいいわねー!」

「そっか……!」

それは、すごく素敵な条件だと思う……! と目を輝かせたその人に、でしょ! とミナはいつもの快活な笑顔を見せた。

 実に彼女らしい答えであった。


「ロクサーヌも相手の顔なんて気にしてないで、誠実かどうかとかちゃんと気にした方がいいよ?」

「なによ、顔だって大事よ?? だって毎日見るのだもの! どんなにひどい男でも顔が好みだと諦めがつくの、私はこの顔だけで選んだのだから仕方ないって」

 だって私、ローランドの顔が好きなばかりに、あんなひどいことをしてまで手に入れたのだもの。結婚後にひどいことをされても、あの女にはなんでもできたけど、彼に対しては顔を見たらなにも言えなかったんだもの。

 ローランドのいいところは顔だけだった。

 今思い返しても、ひどい男だった。婚約者がいるのに庶民上がりの女に入れあげ、そして婚約者が相手の女に辛く当たるのを止めることさえも、まともにできていなかった。

 そして結局、婚約者の私に押しきられて結婚した。されど女を忘れられず不埒な関係は継続され、浮気は不倫へと名を変えた。


 だけど彼が好きだった。

 どんなに自分の心が醜くなろうと、醜悪な行いをしようとも、そんな自分にどれほど嫌気がさしても、それでもロクサーヌはローランドを愛していたのだ。


「――決めた。イケメンだったら後妻になるわ。好みじゃなかったら、こちらの老侯爵の養子に入ることにする」

ふたりは笑ったが、ロクサーヌは大真面目だった。


 イケメンを忘れるには別のイケメンを見ればいい。

 過ごす世界が変われど、これは真理だとロクサーヌは思う。どうせ私は彼を忘れられないから、先妻を忘れられない男にはお似合いだろう。

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