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 家に着く頃には日が暮れていた。エマを呼んだが返事はなく、自室からサリが出てきた。

「なに、兄ちゃんうるさいな」

 痩せぎすで手足は枝みたいに細いが、黒々とした太い眉と凛としたまなじりからは聡明さと強気さが滲む。

 サリはエマの息子だ。十五歳のベータ、血の繋がらない弟になる。

 この大陸には、男女の他に第二性が存在する。アルファ、ベータ、そしてオメガ。ラトミアでは、十六歳になるとバース検査を行うのが国民の義務だった。

 人口の0・五パーセントしかいないアルファは、知力、体力、容姿、全てにおいて優れた資質をもって生まれる。貴族など高貴な家系がアルファ人口のほとんどを占める。

 ベータは人口の九十九パーセントを占める。能力は人によって異なり、優秀な者からそうでない者まで様々だ。

 そして、残りの0.五パーセントがオメガだ。オメガは男女ともに妊娠が可能で、オメガだけがアルファの赤子を孕める。男でも女でも十六歳頃から四か月に一度、まるで盛った獣のように非常に強い発情期に襲われてしまう。今のところ発情期を抑制する薬は存在せず、多くのオメガが民間療法や祈祷に頼っている状態だ。この周期的な発情期があるうえ貧弱な体質が多いオメガは社会的に蔑視されがちで、所得も低く身売りをしている者も多い。今日いた貧民街にもオメガらしき色白の娼婦が道でたむろしていた。

 ジドの産みの母はオメガの娼婦で、客だったかなんかのアルファの父親と番い、ジドを産んだそうだ。母親はジドを産んだ時に出血多量で死に、父親の顔は知らない。ジドがアルファなのでアルファなのは確かだ。産みの母親の死後、孤児院にいたジドを子宝に恵まれなかったベータのサリの父親とエマが養子として引き取ってくれたのだが、その数年後サリが生まれた。その育ての父親も数年前に流行り病で死に、エマ母子と血の繋がらないジドだけが残ってしまった。サリが頑なに「にいちゃん」と呼んで懐くから我慢しているだけで、本来は血の全く繋がっていないジドにエマが強く当たるのも仕方がない。エマを憎むことはできなかった。

「エマは?」

「さっき夕飯の買い物に行ったよ」

 稼げた金をちゃんと渡そうしたのに、タイミングが悪い。仕方ないのでサリに今日の稼ぎを渡すと、「何このお金?」と尋ねられる。

「学費のために貯金しろ。おまえはちゃんと高校と大学に行け」

「またその話? うちみたいな貧乏が大学なんて行けるわけないよ。この話何回目?」

「覚えてねえよ、小卒の馬鹿だからな」

「出た~。ジドの『俺、小卒』~!」

「うっせえ」

 ラトミアでは、六歳から十四歳まで小等学校、十四歳から十六歳が中等学校、十六歳から十八歳が高等学校、そしてさらに一握りの優秀な人材が大学に進学できる。ジドは十六歳の終わり頃に中等学校を辞めたので、最終学歴は小学校卒業のままだ。それに比べ、サリは中学二年生だが飛びぬけて賢かった。医師になりたいようだが、大学医学部の学費は巨額のためサリは諦めている。だが自分と違って優秀な知力を持つサリを医学部に進学させてやりたい。その一心で汚れ仕事をやってはちまちま小銭を貯めさせてきた。

 ジドは、十六歳の頃のバース検査でアルファだと判明した。エマもサリも、そして学校の教師も全員が驚愕して再検査もしたが、やっぱりアルファだった。

 ジドはアルファにしては頭も悪く低学歴だが、とにかく身体が強かった。多分、顔と頭に行くべきアルファの資質が、全て運動神経と体力に回ったのだろう。赤子の時から発熱をしたことが一度もなかったらしい。背丈は百九十センチを超え、幼少期から身体能力だけは卓越していて、自分よりも脚が早い人間も力が強い人間も見たことがなかった。

 そのとき、エマが帰ってきた。

「ヴィルトゥエルの五番目の姫様が、新しく即位なさるんだと。第二皇子の体調がずっとよくないだろう。新聞の号外も出ていたよ」

 つい最近、ヴィルトゥエルの先王が崩御した。血統主義のヴィルトゥエルで唯一王位を継げるアルファ男子である第二皇子は、重い病に臥せっているという。

 エマがテーブルに投げ置いた新聞紙に目をやる。難しい字ばかりで、「こんなもん読めねえよ」とジドが机の隅に押しやると、サリがそれを手に取って読み上げ始めた。

「なになに、ヴィルトゥエル王国においては、第二皇子のご病体が芳しくない状態が続き、なになに、第五姫でありエルト卿であられるオメガのリオネルラファーラン姫が臨時で即位する運びとなった。そして、我が国との永久の友好と平和の契りの証として、王配に我が国のアルファ男子国民を迎えることに合意し……えっ!」

「オメガが王様になるのか?」

 社会的には蔑視されがちなオメガが王位に就くなど前代未聞だ。

「そう、しかもうちの国からアルファの婿を取るんだって」

「ふーん、そんなすげえことなのか?」

「そうだよ! 当たり前じゃん! 王室はこれまでずっと自国の高位な子息や令嬢と結婚してきたんだ。うちの国の人間と結婚することなんて初めてのことだよ!」

「へえ」

「めでたいことなのにそんな態度するなよ!」

「んなもん、興味ねえよ」

 生きている世界が違う人達の話をされても反応に困る。ヴィルトゥエル王室の歴史は小学校で習ったが、一生お目にかかることはない、おとぎ話の登場人物のようなものだ。

 サリは、新聞を読み進めると、「しかもさ!」と続けた。

「すごいよ、『全アルファ国民男子から公平に選抜を行う』ってさ! 兄ちゃんもアルファなんだから声がかかるかもよ!」

「んなわけねえだろ」

「ま。でもさあ、この『全アルファ国民男子』っていうのもさ、すでにお偉いさんたちの内々で決まってるんだろうなあ。どうせ、どこかの公爵か財閥の息子でしょ」

「兄ちゃんには関係ないよねえ~」としみじみ呟き、新聞を畳んでサリは欠伸した。

 もう夜が深くなったので、そのまま自室の寝床についた。白い汚れが目立つ窓から星空が見える。今日ひっとらえた貧民街の男達も、いまごろ牢屋の窓から同じ夜空を見ているのかもしれない。牢屋の窓から見る空は、この粗末な窓よりもさらに小さいだろうと思った。

 


 異変が起きたのは、三日後の早朝だった。

立て付けが悪く壊れかけた玄関のドアを叩く音で目が覚める。

「んだよ、うるせーな」

眠気眼のままドアを開けると、目前に巨躯の男が直立していた。皺一つない高級な漆黒の布地に純金ボタンを施された制服が、貧相な村の背景で明らかに浮いている。

「なんだよ、朝っぱらから」

「……ここは、十区アドル村十五番で合っているか?」

 手元の紙を確認しながら、低く傲岸な声で尋ねられる。眉を顰めた重い表情に、何か重大なことが起きたのかと身を強張らせる。見る限り治安隊の制服ではなさそうだが、何かしでかしたのか不安になってしまう。

「この家のアルファはお前か?」

「ああ?」

 あまりに不遜な態度に強気で聞き返すが、意にも介さず、男は続けた。

「お前、名は?」

「……ジド」

 男は眉を顰める。

「姓は?」

「……んな御大層なものねえよ」

 ラトミアとヴィルトゥエルでは、家柄によって名前に付けられる文字数が異なる。それは、姓名だけで階級を判断できるようにするためだった。姓が与えられるのは高等学校卒業学歴を持ち一定の資産を築いている平民で、名の字数が多ければ多いほど高位の出自であり、少なければ低い身分であることを示している。

 ごほん、と男は一つ咳を払うと、羊皮紙を広げ、仰々しく読み上げ始めた。

「この度、大変喜ばしいことに、ヴィルトゥエル国王であらせられるリオネルラファーラン陛下が我が国より王配を娶りあそばせる運びとなった。陛下のご希望により、我が国のアルファ男子国民から公平公正に伴侶を選出なさるべく、第一次審査として――」

「おい、意味分かんねーよ、もっと簡単な言葉で説明しろ」

 男は眉を顰めると、制服の懐から何かを取り出しジドに押し付けてきた。「なんだよこれ」と尋ねるが、無視される。見ると、小さい砂時計だった。「三十分で解け。五千ルフランやる」とだけ言い残すと、 粗末な土壁と煉瓦の家に入りたくないのかすぐに馬車の荷台に引っ込んでしまった。

「おい!」

 突如放り出されて茫然とする。紙の右上部には、ジドの名と住所と誕生日が黒いインクで印字されている。その下に一行だけ文章が書いてあるが、読めない難しい字が連なっていてどうにもならなかった。

「読めねえな」

家の中に戻り、砂時計と紙をテーブルに置いて頭を抱えていると、ちょうどサリが起きてきた。

「ねー、外の馬車なに?」

「ヴィルトゥエルのリオなんとかの使いだと」

 へえ、と欠伸するサリに、男に渡された紙をみせる。

「これ、解けるか?」

「え、なになに? 『十進法において、回文素数は無数に存在するか、意見を述べよ』? はあ~? この問題、大学院の数学科レベルだ! こんなの解けるわけないよ!」

「十進法ってなんだ」

「ああああ、そこから説明すんの? ちゃんと学校で勉強してよ兄ちゃん!」

 と、サリは頭を抱えて髪を掻きむしった。

「三十分で解けだとさ」

「はあ!? そんなの無理だよ!」

「解けたら五千ルフラン貰えるらしいぞ」

「えっ!? 本当に?」

 困惑と怒りに混乱しながらも金額に闘志が漲ってきたのか、「詐欺じゃないの?」と文句を言いながらも、自室に駆け込んでいった。

 手持無沙汰のままダイニングでしばらく待っていると、外から「時間だぞ! 用紙を戻せ!」と指令が飛んできた。自室にこもって解いているサリを迎えに行く。納得できる回答が書けなかったのか、「やっぱ難しかったよ」と表情を曇らせている。それでも回答はびっしりと書き込まれているようだった。

「字、なるべく下手に書いといた。兄ちゃんのきったねえ字に寄せて」

「うるせえよ!」

 とりあえず馬車の中で待つ男に解答用紙と砂時計を返すと、ろくに確認もせず金だけ渡して馬車は行ってしまった。茫然と馬車が残した砂埃を見送ることしかできない。

「結局、なんだったんだろうね~?」

と笑いながら、サリは手元の札を弄んだ。

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