第2話 妖精




 日が暮れると公園を後にし、自分の住むアパートへ戻った。

 アパートは築八十年のおんぼろ建造物。至るところが朽ち果てて、今にも壊れそうな様相を呈していた。家賃が恐ろしいほど安いため、仕方なく住んでいる。


 錆びついた鉄の階段に足をかけ、部屋のある上階へ向かう。

 

 そのとき部屋の前に奇妙な影が見えた。干からびたネズミかそれともトカゲか。奇妙な生き物が路傍のゴミと見まごう形で倒れていた。


 結構大きくてキモい。

 

 「なんだこれ」


 「うぅ……だあれ…ですか」


 瞬間、そいつは呻きながら、人語を話し始めた。


 「うわ…!」


 俺は思わず、あっと驚きの声をあげた。


 同時に嫌な予感を抱いた。うすうすこの生物の正体を察してきたからだ。面倒事だ。確実に面倒なことになる。


 だがそうではない。違うだろうと必死に自分に言い聞かせた。

 

 「あなた…人間…? おねがいが…あります…です」

 「おお…?」


 トカゲのような生物は、震えた声で続けた。

 

 「…図々しいおねがいになりますが……食べ物…主にハンバーグやコロッケなどのがっつり系のおかずと炊き立ての白米、カルキ臭くない水、食後の水菓子でも恵んでくれません……か?」


 「かなり図々しいわ」


 注文が多かった。

 

 すると生物は鼻らしきものをひくひくと動かし、俺の右手を見つめてきた。そこには麗花ちゃんから貰ったお惣菜があった。これが欲しいようだ。まるでハイエナだ。


 渡すつもりなど毛頭無かったのに、ねだるように此方を見つめ続けるので、しぶしぶお惣菜を与えることにした。


 渡すとすぐにパックを開け、中のおかずを一心不乱に食べ始めた。むしゃむしゃと元気な租借音をさせながら、みるみる今日の晩飯が無くなっていった。


 「ひゃー! ごちそうさま! 助かりました!」


 食べ終わった後、生物は手を合わせて感謝を述べた。


 「別にいいよ。食い終わったら、さいならしてくれ」

 「あの…も一つお願いが…」

 

 一つだけじゃなかったのか、お願いは…。図々しいにも限界があるぞ。


 俺は無視して、自分の部屋へ入ろうとすると


 「ここらに、北条さんという人間はおりませんか? 私、その方に用があって…………え」


 しかし失念していた。忘れていた。扉の横に北条と書かれた表札があることを。


 「やや! あなたが北条さんでしたか! これは巡り合わせというか、食べ合わせというか…」


 時すでに遅し。


 「すごい偶然ですね! まるで運命です。運命を感じます。これって都合の良い妄想とかじゃないですよね?」


 目の前の生物は自分のほっぺを引っ張りながら、うわごとのようにぶつぶつ言葉を重ねた。


 なんだこいつ…。

 

 「妄想だと有難いんだがな…」

 「やっぱり違いますよねぇ!」

 「…てめぇは妖精か」

 「いぇーす!」


 妖精。


 妖精界からの使者。魔力を譲渡できる唯一の生物。魔法少女を生み出すことのできるキーパーソン。


 しかしほとんどの個体は知能レベルが低く、魔力を上手く制御できない。魔力を少女に譲渡するだけの存在。よって、上位種の妖精もしくは、妖精上がりの人間、つまりスカウトマンに魔法少女を斡旋・訓練して貰うのが定石なのだが…。


 「あなたが北条さんなら話も早い。私に魔法少女をあてがって欲しいのです!!」

 「嫌」


 妖精からのお願いを断った。食いぎみに。爆速で。


 「ですよね!!」

 「ですよね…って。お前断られるの分かってたのか」

 「今、スカウト依頼を断られまくってるんですよぉ」


 あまり優秀じゃない妖精のようだ。


 「どれくらいだ?」

 「えっと…たぶん二十人くらい?」

 「ごっ…確か、都内のスカウトマンって三十は配置されてたから、半数以上に拒否られてんのか」

 「だから慣れましたです!!」

 

 この妖精、自信満々に情けないことを言う。


 「いいのかそれ?」

 「よくないですね! 本部から派遣されてきたのに、このざまですよ。あっはっはっ!!」


 大笑いしている妖精。

 言葉の割には悲壮感を感じない。ネガティブじゃないのは、まあ良いことなのだろう。


 「そういえば。どうして俺の居場所が?」

 「本部の名簿に記載がありましたよ」

 「くそっ……簡単に読めないようアクセス制限かけとけよ」


 本部の情報管理はザルだから嫌いなんだよ。

  

 「とにかく帰れ。スカウトは他の奴にでも頼めばいい」

 「そうしてみます!」


 お。潔い。

 

 「…諦めが良いな」

 「でしょう!」


 妖精はふんと鼻を鳴らした。

 

 「まあ真摯に頼み込めば折れてくれる奴も一人くらい見つかるだろうよ。応援だけはしとくよ」

 「はい!」

 「それじゃあ」


 そうして聞き分け良く妖精は帰っていった。 やっと嵐が過ぎ去った。


 俺は部屋に入り、寝る準備をし始めた。



 そして後日。



 「おい、昨日断ったよな?」


 ニコニコ顔でドアの前に佇む妖精。


 「うぇへへへ。ですね! ですが昨日喋った感じ、粘ってみたらワンチャンあるかもと!」

 「ねぇよ。そういうとこだぞ、お前」


 引き際があっさりだったから油断した。こいつまた来るつもりしていたのか。見かけによらず、意外にしたたかな野郎だったようだ。


 「おろ? どこか用事です?」


 靴を履き、出掛けようとする俺に妖精は話しかけた。 

  

 「教えない」


 妖精を無視してアパートを出た。


 見慣れた住宅街を歩く。真っ青な空に太陽だけが照っていて、今日はとても気持ちの良い天気だった。こんな日には外出で時間を潰すに限る。


 「どこ向かってるのー? お仕事ですー?」


 うるせえな。


 妖精は、しつこく俺の後ろにくっついてきた。ぴーぴーと何かを言っているが、俺は一切聞かず、ただ歩を進める。


 足元には河川敷が続き、小川の優しいせせらぎが耳に運ばれてくる。そよそよと吹く風が肌を撫で、空からは陽光が降り注いでいる。


──本当に良い天気だ、と心から思った。



 「今日は何をしますです? 散歩? お付き合いしましょうか? 今日は暑い日ですよね、飲み物でも買ってきましょうか? 肩でも揉みましょうか? 何でもしますよ!!」


 「なら黙ってろ」












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