第20話 覚めない夢を夢見て


(なんでこんなに苦しまなくちゃいけないんだろう……)


〈魔乳〉なんて呪いをいつ、どこで手に入れたのかは分からないが自覚症状を覚えたのは小学校低学年ぐらいだろう。しかし当時は発育が良いクラスメイトなんて大勢いたので愛音の違和感も周囲の『大人っぽい』『うらやましい』という声に押し流されてしまった。


 明確におかしいと思うようになったのは中学生になった頃だ。

 クラスメイトたちは大人っぽいのに愛音の体格は小学生低学年のまま。なのに胸元だけは大人顔負けの大きさに成長していた。そのアンバランスさは異様に人目を引くらしく毎日のように男子からは声をかけられ、他校にまで知れ渡っていた。


 そんなマニアックな人気が出始めると今度は女子のあたりも厳しくなる。

 なにせ自分の気になるイケメンですら愛音の話題ばかり振るのだからいい気はしない。

 次第に『胸が大きいのはエッチだから』なんて迷信じみた陰口を叩かれるようになり『アンバランスで全然美しくない。むしろ気味が悪い』と公衆の面前で罵倒する者まで現れた。あまりの酷さに男子が擁護すると女子もヒートアップ。喧嘩にまで発展して最終的には『愛音ちゃんのせい』となってしまい、学校に行きづらくなった愛音は引きこもった。


(何が悪かったのだろう?)


 蚊帳かやの外にいた愛音はワケも分からず苦しい日々を送ることになり、その苦しみから逃げるように風魔の与えてくれたゲームに没頭した。


 ジャンルは問わないが最初にハマったのはFPSだった。

 噂という出所の分かりにくい存在ではなく明確な敵を倒す行為が気に入った。


 しかしギフテッドの反射神経の壁に破れ、MMOやダンジョンものに手を出すようになる。

 だがパワースポットに住んでいると分かると――しかも女だと分かると――途端にリアル出会いたがる輩が増えるのだ。結局、リアルと同じく人間関係の崩壊によってゲームを転々とすることになる。


 そんな生活を始めて約半年がたった頃――生真面目な清流お父さんがキレてゲーム機を捨てた。

 勝手に捨てられたこともショックだったが、父とはいえ血の繋がりがない赤の他人が部屋に入り込んだことが恐ろしかった。


 安息の地だと思っていた自分の部屋は安息の地ではなかったのだ。

 それに気付かされた愛音はモンスターハウスで暮らしているような気分になり精神に異常をきたし精神病院に通うことになったがここで処方された薬が悪かったのか胸から分泌物が出るようになった。


 これが異様に臭い。

 家畜の糞尿とも違う異質な臭いなのだ。

 検査のため搾乳した医師がゲロを吐き、病院が蜂の巣をつついたような騒ぎになった。もちろん愛音も吐いた。

 精密検査の結果は異常なし。様子見という名目で追い出すように家に帰された。


 地獄だった。

 やることなすこと裏目に出る。

 しまいにはギフテッドの特別病棟に入れられそうになって必死に抵抗してからは何も言われなくなった。


 身も心もぼろぼろになっていた愛音に風魔が今度はパソコンをくれた。

 何もしないよりは何かをしたほうがいい、というのが風魔の方針らしい。

 おぞましい現実から目をそらすようにゲームに傾倒する一方で、AIによる画像生成技術に興味を持つようになった。


(違う自分になりたい)


 そんな変身願望が愛音の中に強く生まれたのだ。


 ノーマルだったら? 呪われてなかったら? 男だったら?


 様々な『違った自分』を作り出してはそれぞれの学園生活を思い浮かべる。

 さらに発展して違う自分になりたくて理想の自分キャラを作ってみた。

 高身長でスラリとした王子様系、母のような豊満なおっとり系、没個性なソバカスの地味系などなど。


 益体やくたいのない妄想ではあるが『もし自分がこの姿だったら』とあれこれ想像するのは楽しかったが――楽しくなればなるほど現実リアルとのギャップに苦しむことになる。


 いっそ来世に期待するか。


 そう思った愛音は母に相談すると、その日のうちに烈火お父さんがダイエットを提案。プールを貸切、送迎の手筈を整えられた。


 外は怖い。


 プールも嫌い。


 それでも死への恐怖と、今生への未練が愛音の背中を押した。

 そこで出会ったのが大魔神だった。


 大魔神は愛音がこれまで会った誰よりも異質だった。

 極太の長い腕、魔物を孕んでそうな太鼓腹、二メートルを超える巨体――ゲームのモンスターが現実にでてきたのかと思うほどだった。


 そんなモンスターがで、で、で泳ぐのだから注目するなという方が無理だろう。

 結果、プールサイドで一時間も見入ってしまった。

 するとプールから上がってきた大魔神は極太の腕を組んで言うのだ。


『こんにちはお嬢さん。おいどんは大魔神。今日は何しにこちらに?』


 尊大な態度と奇妙な語り口、そしてそれに見合う巨体。

 当時の愛音は本当に大魔神という存在が現れたと思ってしまった。

 非現実的な光景に浮かされるように愛音は答えた。


『だ、ダイエットに来ました』

『ならばおいどんと同じ目的でござるな。一緒に泳ぎませんか?』


 大魔神は腕組みを解いて、片膝をつき、手を差し伸ばしてきた。

 その光景はあまりに非現実的で、まるで自分が物語のプリンセスになったような錯覚すらした。

 なにより――


(大魔でもダイエットをするんだ)


 神様もダイエットをする、という親近感に笑いが込み上げてきたのだ。


 愛音はプールへの忌避感も、乗り気ではなかったダイエットの事も忘れて差し出された手を取った。プールの授業は何かと理由をつけて休んでいたので泳げなかったが、大魔神の指導により比較的早く泳げるようになった。その時のビート板のような大きな手のひらの感触は今でも愛音に心に深く刻まれている。それこそAIの画像生成の傾向が変わるほどに。


 それなのに――そんな夢みたいな時間が終わろうとしている。


(イヤだ。イヤだイヤだイヤだ――)


 愛音にとって〈魔乳〉は呪いだ。


 引きこもる原因であり栄養を横取りする寄生虫でしかない。


 だが同時に大魔神が気に掛けてくれる要因だったのだ。呪いが解ければ今までのように付きっきりで相手はしてくれないのだ。


 ならば〈エリクサー〉は使えない。

 いや使わなくても、このダンジョンをクリアしたらいなくなる。恋人を守らなければならないのだから。

 

(もっと酷くなれば――ダメ。コーチならいずれ治してくれる)


 どれだけ酷くなろうとも大魔神ならば治してくれるだろう。

 そして二度と会えないのだ。

 侮蔑か、怒りか、清々した――そんな様子を見せて。


(そんなの……絶対イヤ……)


 愛音は大魔神の腹にめり込むほどしがみついた。

 治る、治らないといった期限付きの関係ではない。

 一生、永遠、死ぬ時まで側にいるには――。

 そこまで考えて気づく。


(そうか、になれば良いんだ……ッ!)


 そして『大魔神の恋人』が守るための組織と考えれば真の恋人への道が見えてくる。


(恋人さんたちはダンジョンには行けない……ッ!)


 護衛契約の自分がダンジョンに連れて行けないなら、守るために恋人にしている『大魔神の恋人』も連れて行けないはずだ。


(それに、コーチがどれだけ強くても一人でクリアできる難易度じゃないハズ……ッ!)


 地球規模で開催されているゲームなのに大魔神一人でクリアできるようでは調整をミスっている。そんなミスを『遊戯神』を名乗る存在がするわけがない。

 ならば大魔神にはダンジョンに連れていけるが必要なはずだ。

 そして仲間に連れて行くなら――


(SSRの強キャラか、替えの効かない能力――)


 ゲーム的な判断だがそれはこの〈ゲーム〉でも同じだろう。

 そしてその能力を手に入れられる最高のスタートダッシュを自分はできているのだ。


(このダンジョンをクリアするまでに手に入れられれば……ッ!)


 愛音のゲーム脳は回転を始めた。

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