シケモク
鈍野世海
1.
第1話
風光る、晴天長閑な昼下がり。二階建ての花屋の屋上。
『第十二回文藝かずら短編小説賞受賞でデビューした新進気鋭の作家・似鳥飛香の新作「夜行の末に」が本日四月三〇日に発売された。ファンによる祝福や感想交換などで盛り上がり——』
銀色の盤面には、やらかの姿が鈍く反射する。黒がいくらか伸びつつある金髪をハーフアップに結び、左右の耳にはシルバーピアスがいくつかきらめく。パーカーの上から掛けているリネンのエプロンには、紺地に白のインクで、デフォルメされ顔がついた五弁花と「フラワーショップおだ」の文字が刷られている。
やらかは、くぁ、とあくびを零し、親指で左眼の下の泣きぼくろを擦ってから、スマホを操作し、市の図書館サイトにアクセスした。
著者検索に「似鳥飛香」と打ち込む。作品はいくつもヒットするが、「夜行の末に」はまだ登録されていなかった。
予想はついていた。それでも、「残念、図書館で借りられないのなら仕方ない」というポーズを取ることが、やらかにとっては必要だった。
そうしてやらかが煙草を再び口に咥えようとしたとき。花屋の向かいにある、甘い香りがここまで届きそうなほど鮮やかに咲くツツジに囲まれた公園。その砂場で山を作っていた男の子と目が合った。
やらかはスマホを持っていた手を軽く振った。男の子はきゃっきゃとはしゃぎながら振り返してくれた。
ふっと微笑んだやらかの視界の端には、スマホに表示したままの、図書館サイトの検索結果画面が映り込む。表示されている本のすべての著者欄に並ぶ、その四文字。
似鳥飛香——本名は、
やらかの大学時代の一学年先輩で、同じ文芸部に所属していた。
文芸部には小説の読み書きを愛好する者が集まっていたが、書評を真剣に交わしたり互いの作品を見せ合って切磋琢磨などはなく、ゆるく慣れ合うことを目的としている部だった。
その中で、部室に訪れるたびにノートパソコンに齧りついてひたすら執筆に励んでいた倫太郎は、明らかに浮いていた。
上下左右あらゆる方向から「こいつ、小説家目指してるんだよ」「へぇ、よくやりますね」なんて感心の体を装った嘲りも、嘲りの体を装った嫉妬も、まま囁かれていた。
それでも倫太郎は卒業まで、あの部に居続け、あの部室に通い続け、誰よりもひたむきに小説を書き続けた。
大学時代、やらかはなりたいこともやりたいことも特になく、最初に勧誘されたという理由だけで文芸部に入った。文学作品に触れた経験は、国語の授業程度。部員の中では特に熱が浅かったと思う。
だがやらかは、バイトがない日はきまって部室に通った。
倫太郎の隣席を確保して、本を読んだ。時折、ページの端を落ち着きなく擦りながら。ちらちらと倫太郎のことを盗み見ながら。
いつもバンドカラーのシャツを着て、キーを打つ爪先はいつもきれいに整えられていて。純粋な黒髪は少し癖っ毛で、前髪で陰になっているけれどよく見れば整った顔をしていて。執筆しているシーンに引きずられて少しずつ表情が変わる、先輩。
そして、倫太郎の執筆がひと段落するたびに、自分も読書がひと段落したふりをして、他愛のないことを話した。
最初はただ、変わった人だな、と興味を持って。そのうちに、倫太郎と同じ空間で過ごすその時々に、すっかり浸って。
倫太郎と連絡先を交換していなかったことに気づいたのは、彼が卒業し部室に来なくなってからだった。文芸部のチャットグループも倫太郎は参加していなかったため、気づいたときにはもう遅かった。
まぁ、仮に連絡先を交換していたとて。
同性相手、告白できたとは限らないし。
初恋は叶わないというものだし。
仕方ない、仕方ない。
仕方ない、と。
胸に生えたものを一掃したつもりになりながら、やらかはいまだ、眺めている。
飛鳥倫太郎。ペンネーム、似鳥飛香。
四年前に大学を卒業し、その翌年に短編小説賞を受賞し、さらに翌年に出した完全書き下ろし長編のデビュー作は大ヒット。以来、高頻度で作品を発表しては、メディアミックスなども行われている、新進気鋭の若手人気作家。
夢を現実にし、手は届かずとも目の届くところに現れた、そのきらめきを。
春に出会い、春に見送り、そして更なる春を重ねても消えきることのない、痕跡を。
端的に言えば、未練というやつを。
やらかはいまもまだ、ずっと立ち尽くしたまま、遠く、眺めている。
「あー……一回くらい、キスでもしておけばよかったかなぁ」
喫んだ煙を、深いため息とともに、白く吐く。
倫太郎が卒業するまで自覚がなかったのだから、そんな発想もなかったのだけれど。
それでも、事故チューでもなんでもいいから倫太郎とそれらしい経験を一回くらいしておけば、こんな未練たらしい亡霊にならずに済んだかもしれない、なんて。
たらればに、かもしれないの、どうしようもないifコンボだ。
「やっちゃんー、指名ブーケ依頼のお客さんもうすぐ着くってー」
階下から、よく通る店長の声が飛んできた。
やらかはズボンのポケットにスマホをしまい、煙草を灰皿に押し付ける。
「あーい、今戻りまーす」
屋上と地上を結ぶ屋外階段へと向かったやらかの背後で、吸殻はかすかに残煙を上げていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。