腕時計

因果某(いんが なにがし)

腕時計

 腕時計が壊れてしまった。


 祖父がまだ喋れた頃。見舞いに行った病院で他愛のない話をしていると、突然ベッドの脇に置いてあるそれを差し出して


「これをやる。じいちゃんだと思って、大切にすんだぞ。……今日は疲れちまったから、もうけぇれ。

 ……じゃあな、身体には気を付けんだぞ」


 ……それが、自分と祖父との最期の会話になった。

 一通り葬儀が終わって家でしんみりしていると、机に仕舞っていたそれを見つけた。そういえば、これを貰った時が最期の会話だったっけ。

 そう思った瞬間、不意に視界が滲む。それは留まるところを知らず、いつの間にか自分は声を上げて号泣していた。


 それ以来、自分はどこに行くにも形見の腕時計を付けていくようになった。

 なんとなく祖父が守ってくれているようで心強かったが、特に幸運が訪れるなんてことはなく、いつの間にか単にお守り代わりの装飾品でしかなくなっていた。


 そんな腕時計が、壊れてしまった。

 珍しく早く終わった仕事帰り、腕時計を外してベッドに放ると思ったより高く跳ねてしまったようで、そのままフローリングへ弧を描いて落下していった。

 嫌な音がしたので近寄って拾い上げると裏蓋が外れてしまっており、中のパッキンやらなんやらが散乱していた。幸いムーブメントは無傷だったようで、文字盤を見れば正常に動作しているようだ。

 だが、これでは身につけることが出来ない。確か近所の商店街に時計屋があったはずだ、この時間ならまだやっているだろうし、行ってみようか。等と考えながら飛び散った中身を集めていると、ふと異物に気付く。


 ……?

 つまみ上げたそれはどうやら折り畳まれた紙片のようだ。開いてみると、10桁の数字が書いてある。何だろう?多少間隔が空いており、4桁2桁4桁に分かれている。どうやら電話番号のようだ。

 紙片から再び床に目を移すと、またも不自然な欠片……木片だろうか?に目がとまる。

 10mm*20mm*3mm程度の木片で、表面に何かが書かれている、刻まれていることもない。ひょっとしてフローリングが欠けたのか?と思い辺りを調べるも、特に目立った傷も無い。だとすれば、腕時計の中から出てきたことになる。

 しかし……祖父の形見の腕時計から、電話番号の書かれた紙片と謎の木片が出てくる。ふふ、そそられるじゃないか。

 取り敢えず紙片の電話番号をメモしておき、腕時計関連の部品と紙片木片は分けて置いておく。

 

 ……かけてみるか?ここにきて、オカルト好きの血が騒いできた。

 祖父がこのことを知っていたのかはわからないが、電話をかけるだけなら大きな問題にはならないだろう。それに相手が何も知らなそうなら間違えましたと切ればいいだけだ。


 ニヤケ顔でキーパッドに入力していく。さて、どんな人間にかかるのだろうか?ひょっとするとお寺か神社にかかって、お前あの腕時計を壊したのか!なんて展開になるのかもしれない。

 ワクワクしながら呼び出し音を待っていると、待望の瞬間が訪れた。


「……もしもし」


 出たのは自分より若干年上か?気だるげな男性の声だ。


「あ、もしもし。えーっと説明が難しいんですが、腕時計の中からそちらの電話番号が書かれた紙と、小さい木片が出てきまして」

「腕時計?」

「はい。祖父の形見なんですが、ついさっき壊してしまいまして」


 ……出るか?


「あー。その腕時計や紙はまだお持ちですか?」

「え?はい」

「ではお手数ですが、その紙片の電話番号が書かれていない面と、腕時計の裏蓋を確認して頂けませんか?もしかすると、何か図や象形文字のようなものが書かれているかもしれません」


 彼の指示に従い、分けておいた紙片と裏蓋を確認する。

 ……確かに、紙片の表?裏?には簡易な魔法陣のようなものが描かれていた。魔法陣といっても五芒星の頂点それぞれにミミズがのたくったような何かが書かれ、それらの周囲を手書きだろう歪んだ円が囲っているというものだ。

 裏蓋の方には何も描かれていない……と、思ったのだが。角度を変えてみると傷のような何かがあり、一応何かの形になっているようだ。何だろう?……あみだくじ?これ以上は虫眼鏡でも無いと分からなさそうだ。


「えっと、紙には五芒星と、頂点それぞれに汚い字みたいのが書いてあって、全体を適当な円で囲ってありました。裏蓋には傷が付いてて、あみだくじみたいに見えましたね」

「……なるほど。木片はどんなものでした?」

「10mm*20mm*3mm程度で、ほんとに普通の木片って感じです。色も茶色で」

「……分かりました。このままで少々お待ちください。   ――ちゃーん!」


 ……保留もせずに放置されてしまった。

 しかし、さっきの図には何の意味があるのだろう?五芒星なのは分かったが、五芒星とは何を意味するのだったか……そんなことを考えていると、電話の向こうからドタドタと足音がする。


「すいません、お待たせしました」

「いえ。それで、何か分かったんですか?」

「まず1つ、正直にお答え下さい。貴方が今いる場所、あるいは生まれ育った場所はx県n町でお間違いありませんか?」


 ……合っている。確かに祖父の祖父の代からこの地を離れてはならないなんて家言があるらしく、かく言う自分も一人暮らしはしているものの、住所は確かにその通りだ。


「……はい、そうです」

「ありがとうございます。突然で申し訳ないのですが、正確な住所を教えて頂けないでしょうか?今から伺います」

「え?」

「驚かれるのは当然です。ですが、その木片は必ず回収させて下さい。お祖父様からは何も?」

「……えぇ、何も聞いてないです」

「そうですか……それで、如何でしょう?信じられない話でしょうが、その木片を所持されているのは非常に危険です。是非、お伺いを」

「危険って言われても、はいそうですかって住所を教えられると思います?普通詐欺か何かだって思いますよこんなの。大体どうして俺が住んで」

「分かりました。では気が変わりましたらご一報を」

「……分かりました、失礼します」


 ……流石に、混乱していた。

 祖父の形見の腕時計から由来不明の木片と連絡先が出てきて、連絡をすると住所を教えろ、回収に行く。である。それに木片が危険と言われても、自分にそういった感覚が備わっていないのか何も感じない。

 それよりどこの馬の骨とも分からない人間に住所を教えるほうが危険だ。口調も事務的だったし、新手の詐欺かもしれない。

 そんなことより、腕時計を修理してもらおう。


 商店街の時計屋に行くと、どうやら祖父とは顔なじみだったらしく朗らかな雰囲気で色々な話をした。


「ははは、そうですか。……ちなみに、これが壊れた時何か変なものが出てきませんでしたか?」

「えっ?……いえ、何も」

「そうですか。いえね、あんたの爺さんがよくこの腕時計は曰くつきだの絶対離しちゃいけないだの言ってたんでね、何かあるのかと思ってたんですよ。でもまぁ何も無いなら、ゲン担ぎとかだったんでしょうねぇ。はい、終わりましたよ」


 ……急に、寒気がしてきた。

 まさか本当だったとは。しかし、祖父が適当なことを言っていた可能性もある。それに祖父が亡くなったのは老衰のようなもので、とても呪いだのなんだののせいとは思えない。

 そう考えると、やはり電話する必要は無いように思えた。木片はお守りとして入れていて、連絡先はそのお守りをくれた祖父の友人のもの。それに腕時計自体はこうやってちゃんと動いていることだし、本当にマズいものなら祖父も一言くらい自分に言うだろう。そう考えると、先程までの寒気や悩んでいた自分が間抜けのような気がしてきた。


 ……自宅のドアノブを回す、その時までは。


ガチャリ


 部屋を、間違えたのかと思った。

 開いたドアの先には、何もかもいつもどおりの空間が広がっている。いや、広がるはずだった。

 では、今自分を掴んで離さない違和感は?

 ドアノブを掴んだままの姿勢で玄関先に立ち尽くし、恐る恐る視線を動かす。まるで部屋全体が、自分にだけ向けられた意志を持っているかのように思える。


 違和感の正体は、すぐに分かった。

 玄関から伸びる短い廊下の先、開け放たれた寝室のドアの向こうに、人影が揺れている。

 何故、一瞬で人影と判断できたのか。

 色褪せて黄ばんだ白いロングのワンピース。そこから覗く手足は不自然なほど血管が透ける青白さで、まるで鳥の骨のように細い。手入れを怠り、苔でも生えたかのように重くなった腰丈の黒髪は、箒というより濡れた海藻のように広がり、床に垂れかかっている。


 そんな人影――恐らく女性だろう――は自分の寝室の、ドアの向こうで揺れていた。

 そう、揺れているのだ。

 彼女の足は床から30cmほどの高さにあり、下半身から上は完全に視界から欠落しているのに、その揺れに合わせて古びた縄が軋むようなギシギシという微かな音が、嫌が応でも頭蓋の内部に木霊してくる。

 しかし、差し迫った問題はそこではない。


 ソレが、こちらを見ようとしている。

 最初に見た時、アレは後ろ姿だったはずだ。なのに、今まさに、この瞬間に、彼女の異様に長い片腕が、ドアの枠からぬるりと現れたのだ。

 その手の甲は爪まで青白く、まるで柳の枯木に揺れる枝のように細い。


 逃げなければならない。

 脳が警報を鳴らすより早く、全身の筋肉は反射的に動いていた。

 掴んだままだったドアノブを乱暴に引き戻すと同時に、近所迷惑も顧みず乱暴に、力の限りドアを施錠する。

 ガチャリという些細な鍵の音に、背筋が凍るような気がした。


 鍵はかけた。だが、それに何の意味があるだろう?

 今はただここから、アレのいる空間から一刻も早く離れたい。

 素早く踵を返すと階段を2段飛ばしで駆け下りる。その間も自室のドアの向こうで、ギシギシという縄の音がまだ鳴っているような気がした。



 

「なるほど、分かりました。1時間程度で到着出来ると思います。今はn町のy号線沿いのコンビニにいらっしゃるということで、お間違い無いですか?」

「は、はい」

「分かりました。ではそのままでお待ち下さい」


 ……結局、またあの番号に電話してしまった。

 さっきは失礼な切り方をしてしまったが、電話の向こうの彼は変わらず慇懃無礼な態度で話していた。自身の身体的特徴が分かりやすいから、そちらから声をかけてくれ。とも。今の自分には、それがどれだけ有り難かったことか。

 永遠にも思える1時間を過ごすのに持っていたタバコを吸い尽くしていると、コンビニの駐車場にタクシーが停まった。


 降りてきたのは強い癖っ毛をそのまま伸ばしたような、いかにも身なりを気にしませんといった痩せっぽちの男だった。


「あ、あの!」

「はい。腕時計の方でお間違い無いですか?」

「はい、これがそうです。それで、あの」

「ご自宅はここから近いですか?」

「え?は、はい」


 それを聞くと彼はタクシーの運転手に何かを言って、そのままタクシーは発進していった。


「では、ご自宅への案内をお願いできますか」

「は、はい。でも」

「大丈夫です。場所を教えて頂いて、あとは鍵も貸して頂ければこちらで処理します」


 ……凄い。まるでエクソシストだ。

 などと楽観的になるには、先程の光景は衝撃的すぎた。道中彼に自分の見たものを伝えようとしたのだが、先入観があるのはマズい。といったような理由で断られてしまった。


「あのアパートです。階段を上がって、3番目の203号室です」

「ありがとうございます、鍵を拝借しても?」

「はい、どうぞ。言ってた木片は」

「大丈夫です、分かりますから」


 そう言って彼は悠々とアパートの階段を上がるとそのまま自分の部屋へ入り、ドアを閉めた。

 もしこのまま彼が出てこなかったらどうすればいいのかと不安になったが、ものの1分もしない内に彼が出てきたので杞憂に終わったようだ。


「終わりました。では私はこれで」

「え?ま、待ってくださいよ!結局あの木片ってなんだったんですか?祖父はずっと腕時計を使ってましたが、何の害も」

「貴方に背負う覚悟があるのなら、ご説明しますよ」


 暫しの逡巡の後、結局何も言えずにいる自分に鍵を渡して、彼は去っていった。


 その後恐る恐る部屋のドアを開けてみるが、何も変わらない自分の部屋だ。

 寝室のテーブルにおいてあった紙片と木片は彼が回収していったのか、影も形も無くなっている。


 その後失礼な態度を詫びようと履歴から電話をかけたのだが、現在この番号は使われておりませんと機械的な返答が返ってきた。

 彼はタクシーを使っていたのでその代金も払いたかったのだが……これでは難しいだろう。せめて、名前を聞いておくのだった。


 気づけば、辺りは朱に染まっている。なんとはなしに、散歩に行くことにした。


 祖父が自分にくれた腕時計。中から出てきた連絡先と、曰くつきだったのだろう木片。

 あれは発見されるのを待っていたのだろうか?祖父は、どこまで知っていたのか。あの腕時計を、どこから入手したのか?連絡先に書いてあった、あの彼の正体は?

 今となってはもう、知る術は無い。


 付けた腕時計とスマートフォンを見比べると、時刻には寸分の狂いもない。

 今後も自分は、この腕時計を付けて生きていくのだろう。ひょっとすると結婚して子を成し、更にその子に、これを渡す日が来るのかもしれない。

 その時、この体験を聞かせてやるのも一興なのだろうか。祖父は、どんな気持ちで自分にこれをくれたのだろうか。


 答えの出ない問いに、風が鳴った。

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