-第九夜- クモとクモの巣

 床を走る真っ白なものを見た瞬間、私はまた新しい客人が来たのかと勘違いしかけました。どう声をかけるか逡巡する私にどたどたと駆け寄ってきたそれは、よく見てみると、なんのことはありません、私の友人です。いつの間に黒猫から白猫へ鞍替えしたのでしょう。

「旦那さま、旦那さま」

 なんとも情けない声をあげて、友人は私の目の前でぶるぶると身体を震わせます。毛並みだと思っていた白いそれは勢いにまかせてふわふわと舞い上がりました。――蜘蛛の糸です。毛並みではなく細い細い蜘蛛の糸。

 私は慌てて友人にひっついてしまったそれらを、彼の毛並みが駄目にならないように慎重に取り除きました。

「ああ、よかった。白猫になるところでした」

 微かに蜘蛛の糸くずがついている身体を身繕いしながら零す友人に笑いながら、私は首を傾げます。いったいどうして、彼は蜘蛛の巣を被って走り回っていたのでしょうか。

「何があったんですか?」

「それがですね――」

 友人がぱたん、と床で尾を叩き、語り始めようとすれば窓をトントン、と叩く音がします。そちらを振り向けば、枝のような蜘蛛の足が遠慮がちに、窓を叩いているのでした。

「おや、いかがしました?」

 窓を開ければ、蜘蛛の足は引っ込みました。私は身を乗り出し、外にいる職人の姿を探します。夜闇の中でいくつかの目がきらきらと輝いて、それはどこか申し訳なさそうな眼差しを向けていました。友人が窓のふちに飛び乗り、彼を見上げ、私が説明しましょうと口を開きます。

「私が旦那さまのヴィスキュイをくすねていたネズミを庭まで追いかけていると、突然目の前が真っ白になったんです。風が吹いていましたから、きっと彼の飾り付けが飛んできたのでしょうね」

「なるほど……つまり彼は、謝罪に来たと」

 この蜘蛛は毎年、ハロウィンの時期になると私の屋敷を蜘蛛の巣で飾り付けてくれる職人です。普段は森の奥で一族と共に静かに暮らして、彼らの女主人と共に糸を織って生計を立てているとのことです。

「たまには白猫になってみてもよかったのでは?」

「冗談じゃないですよ、黒猫が白猫になったとあっちゃ、カラスに笑われてしまいます」

 私の冗談に憮然とした顔で友人は尾をふりふり、そっぽを向きました。思わず苦笑いを零しながら、私は窓の外で沙汰を待っているらしき彼に向き直ります。

「大丈夫ですよ、風なんて気まぐれなんですから、飾りのひとつやふたつ、気に病まずに」

 私の言葉に蜘蛛は、ぱちりと瞬きをしました。そしてごそごそと闇の中で音がしたかと思えば、枝のような足がこちらへ何か――手のひらほどの大きさがある白い球を差し出したのでした。それを軽く揺らしてみると、ころころと鈴の音が零れてきました。

「これは彼に?」

 私が訊けば蜘蛛は頷いたようでした。そして再び飾り付けにとりかかるべく、いそいそと闇の中へと消えていきました。

「なんですか、それ」

「これはね、こうして……」

 私は受け取った白い球を、軽く勢いをつけて床に転がします。ニャッ、と足下で声があがったかと思えば、友人はそれを追いかけ、前脚でつついては転がし、また追いかけます。

「蜘蛛の糸が丈夫ですから、どれだけ蹴っても転がしても安心でしょうね」

 窓を閉め、椅子に腰掛けた私は、本能に従い球を転がして遊ぶ友人を眺めます。その光景はどこか懐かしく、思わず目を細めてしまうのでした。

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