-第五夜- 月とコウモリ
猟師のダニエル――村の人々からはダン、と呼ばれている――は、村で一番屈強で、頼りがいがある人物である。森の獣を狩って、穏やかに暮らしていた。
そんな彼に、夜、客が訪れてきた。大人のいいつけを破り森の奥へ入り込んだ村の悪戯小僧たちをこっぴどく叱った後のことだった。
とにかく子どもたちが無事で良かった。あの森に限って滅多なことなどないと思うが、とダニエルは安堵しながら煙草に火をつけて一服する。ふう、と紫煙を吐けば、窓の外から小さな物音が聞こえた。それは優秀な狩人にしか聞き取れないほど、小さな音だった。
「……誰かいるのか?」
ダニエルの家は村と森の間に位置しているので、夜になって訪れる者はほとんどいない。すっかり夜も更けて、空には細い月が滲んでいる。壁に立てかけた猟銃をちらと横目に、ダニエルは窓を静かに開けた。外に視線を走らせれば――。
「夜分遅くに申し訳ありません、ダン君」
闇に、真っ赤な目が二つ浮かび上がり、ダニエルは驚いて肩を揺らした。吊り下げていたランタンをそちらに向ければ、それが旧知であることを悟り、目を細める。
「エリオットの旦那じゃないですか」
そこには森の奥、廃墟と見紛うほどに古びた屋敷に住む男――エリオットがいた。手には小さな片靴を持ち、どこか申し訳なさそうな笑みを浮かべている。相変わらず血の気が薄い顔は細い月に照らされて、どこか幼く、儚げな輪郭をつくっている。
「玄関からどうぞ。もう誰も訪ねてこないでしょうし」
「いえ、お気遣いなく。今日は子どもの忘れ物を届けにきただけなんです」
君が彼に届けてあげてください。エリオットがそう言って靴を差し出してきた。それを受け取ったダニエルこそ渋い顔をさせて、わざわざ夜分にこれを届けに来た律儀な男を見つめた。
「うちの悪ガキどもが、とんだ迷惑を」
「まさか。特に悪さをしたわけではないですし。あれもなかなか賑やかで……いいものです。あなたが彼らを保護してくれると思っていましたから」
小さく肩を竦めながら笑うエリオットに、そうですか、とダニエルは頭を掻いた。相変わらず彼に慈しみがあること――おおらかすぎると言ってもいいかもしれない。そういった性格に感謝しつつ、ふと、気がついたことを口にした。
「もうすぐハロウィンだから、皆浮かれているのだろうな」
「はい。私の友人もやってきましたので、ハロウィンの準備を始めているところです。一昨日はカボチャの提灯を作りましたし、招待状はついさっき蝙蝠に持たせて送りました」
「ああ、遠くに住むかたもいますからね。早いほうがいい。こっちも準備が始まってますよ。カボチャの選別に飾り付けを引っ張り出して……まあ賑やかなもんです」
ダニエルの言葉に、エリオットの顔は満足げだった。彼が十月のハロウィンを一番楽しみにしていることは、ダニエルも重々承知で、その反応に口元を軽く歪めた。そうそう、とエリオットは懐から封筒を取り出した。質の良さそうなそれには、彼の目と同じぐらいに赤い封蝋が施されている。
「俺にもですか」
「勿論ですよ」
差し出されたそれを窓越しに受け取る。琥珀色の眼差しでそれをまじまじと眺めたのち、ダニエルは軽く頭を下げてそれを懐に仕舞った。
「用はそれだけですよ」
「入って酒でも飲みませんか?」
「いいですね。でも遅くなると友人が文句を言いそうですから、今宵はこれにて」
「いい監視役だ。準備も滞りなくできそうだな」
「彼は昔からそうです。文句を言うとうるさいのですよ」
それはもう、とエリオットはくすくすと笑った。人の良いこの男を、ダニエルは好ましく思っている。せっかくの来客を手ぶらで帰すには心苦しいと奥に引っ込めば、すぐに戻ってきて、干し肉を包んだ革を差し出した。
「旦那の友人と一緒に食べてください」
「……ありがとうございます」
それを受け取り、エリオットは微笑んだ。ではまた後日、と言い残し彼は、夜闇の中へ溶けていくように去っていった。ダニエルは暫くそちらを見つめていた。そして細い月を横切るように蝙蝠の一匹が羽ばたいているのを見て、狩人はそっと窓を閉めたのだった。子どもの片靴は、明日にでも持ち主に。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます