最終話 帝国の崩壊


 ​帝国ホテル「富士の間」


 あの日、彼の栄光が始まった場所は、今や断罪の法廷と化していた。

 無数のカメラのレンズが、獲物を狙う捕食者の目のように、一斉に壇上の海道隼人に向けられる。


 ​彼は、側近が用意した想定問答集の分厚いファイルをテーブルの脇に押しやると、静かにマイクの前に立った。


「まず、私の口から、すべてをお話しします」


 ​ 会場のどよめきが、水紋のように広がっていく。


 隼人は、ステマの事実を包み隠さず認め、その上で、自らの内面を傷口をこじ開けるように語り始めた。


「私はずっと、偉大な父の亡霊に怯えていました。

 父のようになりたいと願い、父とは違うやり方で父を超えたいと渇望していた。

 その焦りが、いつしか私を『皆さんが求める完璧な王子様』という虚像の中に閉じ込めていました。

 私は、その役を演じきることだけが目的になっていたのです」


 隼人は一度言葉を切り、会場にいる記者たちの顔を一人ひとり見渡した。


「その結果、私は仲間たちの顔さえ見えなくなり、誰一人信じることができなくなりました。

 こんな人間が、この巨大なグループを一つにできるはずがありません。

 このまま私が会長の座についても、そこに意味はないのです」


 ​隼人は、マイクから離れると、深く、深く、頭を下げた。


 何秒だったか……永遠にも感じられる静寂の後、まるで堰を切ったように、無数のフラッシュが一斉に焚かれた。

 それは、非難の光ではなく、あたかも一人の人間の再生を祝福するかのような、眩い光の洪水だった。


 ​その会見を境に、世論は劇的に変わった。


『悲劇の王子、涙の告白』


『潔い謝罪に称賛の声』


 SNSは彼への同情と擁護で溢れかえり、あれほど彼を叩いていたワイドショーは、手のひらを返したように彼を「苦悩の末に覚醒した、新時代のリーダー」と持ち上げ始めた。


 ​そして、決選投票日……奇跡は起きた。


 一度は離れた浮動票が雪崩を打って彼に流れ込み、隼人は対立候補の高遠静佳を僅差で破り、海道グループ次期会長の座を射止めたのだ。


「おめでとうございます、会長!」


 歓喜に沸く陣営の中心で、隼人は側近たちと抱き合い、男泣きに泣いた。


 信じてくれた仲間がいる。


 もう一度、やり直せる。


 彼は、苦難の末に本物の栄光を掴んだのだと、心の底から信じていた。


 ​その一週間後……


 華やかな会長就任式を終え、日本の経済界の頂点に立った隼人を、しかし待っていたのは栄光ではなかった。



 ​『【衝撃スクープ】海道隼人新会長に悪質なインサイダー取引疑惑!

 未公開情報で巨額の利益か』


 ​再び、『週刊潮流』だった。


 すべてのニュースサイトのトップを飾ったその見出しは、前回のスキャンダルとは比較にならない、致命的な毒矢だった。


 記事には、隼人が子会社の社長時代、グループ内の合併に関する未公開情報を利用し、個人で関連会社の株を不正に買い付けていたことを示す、動かぬ証拠の内部資料が掲載されていた。


 ステマ疑惑が「倫理」の問題だったとすれば、これは明白な「犯罪」だった。


 ​隼人は、会長室で震える手で記事を読んでいた。


 頭が真っ白になり、呼吸が浅くなる。


 この、あまりにも完璧なタイミングでリークされた内部資料……一体誰が……


 彼の脳裏に、選挙で敗れたはずの高遠の冷徹な顔と、勝利の日に歓喜の輪の中にいながら、いつの間にか姿を消していた側近・木島の顔が悪夢のように浮かび上がった。


 ​ ……まさか !?


 ​その瞬間、隼人はすべてを理解した。


 これは、仕組まれた罠だったのだ。


 ステマ疑惑は、隼人の脇の甘さを暴き、世間の注目を集めるための、ただの前座に過ぎなかった。


 あの感動的な告白会見も、奇跡の逆転勝利も、すべては隼人たちを油断させ、隼人を「最も高い場所から、再起不能なまでに突き落とす」ために周到に計算された、壮大な舞台装置だったのだ。


 ​東京地検特捜部の強制捜査


 市場の混乱


 海道グループの株価は史上最悪の暴落を記録し、紙くず同然となった。


 父が人生を懸けて守り、再生させた帝国が、轟音を立てて崩壊していく。


 会長室の電話は、解任を要求する株主たちの怒号で鳴り止まない。

 だが、隼人はもう、その受話器を取ることさえしなかった。


 ​彼は、一人、窓の外を眺めている。


 全てを失った今、その目に映るものは何もない。


「父さんは……」


 乾ききった唇から、言葉がこぼれ落ちた。


「『ぶっ壊す』ことで、この会社を救った……」


「俺は……『一つにする』と叫びながら……この手で、会社を灰にした……」


 ​ その瞬間、彼の口から、笑いとも嗚咽ともつかない、奇妙な音が漏れた。


 ガランとしただだっ広い部屋に、完全に壊れてしまった人間の声だけが、虚しく響き渡る。


 ​窓の外では、海道グループ本社の巨大なロゴ看板が、まるで帝国の墓標のように血のようにどす黒い夕日に染まっていた。



 ── 終 ──


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