拉麺星

そうざ

Planet of Ramen

「フーリチンだっけ?」

「プーバランです」

 釣り人は自らの認識を僕に再確認すると、また自らの釣り糸の先を見詰め直した。

 昼下がりの海面に躍る光の、遥かな水平線に立ち昇る雲の峰、泰然と横たわる島影、かぐわしい熱気を帯びた微風、果てしなく長閑な好日――。

 腹ごなしに一人、堤防をぶらついていた僕は、大きく弧を描く彼方に小さな点を見付けたのだ。

 それは、黒縁眼鏡を掛けた、額の広い初老の釣り人だった。

 僕達は隣り合い、取り留めのない話題に花を咲かせた。食生活、台所事情、食糧自給率――その内に釣り人が突飛な事を言い出した。

「儂は思うんじゃ、拉麺は球形に違いないと」

「⋯⋯丼は丸いって意味ですか?」

「拉麺じゃよ、拉麺。拉麺が真ん丸なんじゃ」

 僕の頭から思考の風船が浮かび上がり、その中を毛糸玉のような麺の塊がころんと転がった。

「そうじゃない、麺とスープと具材が混然一体になった球体じゃ」

 どういう訳か、釣り人には他人の思考が見えるらしい。

 僕は風船から麺の塊を追い出し、改めて混然一体となった球体を転がし入れた。

 球体の大部分はスープで満たされ、波のように縮れた麺が所々で顔を出し、チャーシューやらメンマやらナルトやらが陸地を形成している。さながら拉麺星だ。

 言われてみれば、替え玉という言葉もある。それにしても、丼は必要ないのだろうか。

「煮卵は入れない派かぇ?」

 また僕の風船を勝手に覗いている。

「入れた方が良いですか?」

「葱は苦手?」

「大丈夫です」

「海苔は?」

「分かりました」

 想像の拉麺星がどんどん賑やかになる。こうなると、海はシンプルな醬油味で良かったのかと不安になる。海と考えたら塩が適切なのか、それとも魚介か、意外と味噌、はたまた豚骨、それから他に何味があったか。

「アーオカンだっけ?」

「プーバランです」

 釣り人の古びた魚籠びくは相変わらず空っぽだ。

 この人は本当に釣りをしに来たのだろうか。釣りをしている振りをしているだけだとしたら、釣り人と呼ぶのは間違っている事になる。

 往々おうおうにして、世の中は出鱈目だ。簡単に信じてはいけない。だから当然の疑問が湧き上がった。

「拉麺が球体ならば、饂飩や蕎麦はどうなんですか?」

「なぬ?」

「きしめんは? ちゃんぽんは?」

「ノースキンだっけ?」

「プーバランです」

「来たっ!」

 釣り人が突然、声を張る。釣り糸がぴんと張る。やっぱりこの人は釣り人だったのだ。

 たちまち初めての共同作業が発生した。僕は釣り人の体を必死に支える。釣り竿が大きくしなり、右へ左へと引っ張られる。

「拉麺以外は拉麺じゃないから、球体じゃないっ」

「そういうもんですかっ」

「そういうもんじゃっ」

 やがて蒼天のもとに弾ける飛沫しぶき。獲物は堤防の上でびちぴちと跳ね――るのかと思ったら、大人しく糸の先にぶら下がっている。

「なんじゃこりゃ」

まさにプーバランですよっ」

 の字のように身を縮こまらせた桜色の小さな塊。かつては生き物だったが、今や加工品と名前を変えた海老だ。

 よくよく辺りを見渡せば、スープの大海原に油の輪が無数に浮かび、立ち昇る雲に見えた湯気が具材の島影を熱々に包んでいる。そして、僕達は丼の縁に並んで腰掛けている。

 僕は思わず呟いた。

拉麺平面丼説らーめんへいめんどんぶりせつ……」

「中々良い響きじゃないか」

 果てしなく長閑な好日が広がっている。

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拉麺星 そうざ @so-za

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