異次元オープンマリッジ

渡貫とゐち

第1話


 二十歳で結婚。

 つい先日、籍を入れて、正式な夫婦となったふたり――


 しかし、早々に夫がこう言い放った。



「ねえ(そら)、オープンマリッジはどうかな?」



 エプロンを脱いだ妻が、まるで鞭を打つようにエプロンを床に叩きつけ、夫が腰かけているソファに膝を置いた。

 戸惑いと怯えを見せる夫の顎を、くいっと上へ向けさせ、


「誰の影響を受けたのかな? 言ってみな? ん? なあなあ――結婚早々浮気する宣言とはどういうつもりかなこらぁ」


 あぁん? と昔を思い出すような恐喝だった。

 いや、今回は夫が悪い。本人も自覚している……。


 ――腐れ縁であり、昔から上下関係が出来上がっていた。

 それは夫婦になっても変わらなかった。


 やや身長差があり、物理的にも妻が上からになってしまう。夫の優しい(にしては浮気をするとか言いやがったが)性格なのもあるが、相変わらず尻に敷かれるタイプだった。


「ちがっ、そうじゃなくてね!? 浮気しないよ絶対に!」


「じゃあ、オープンマリッジにする必要ないでしょ。あたしが浮気すると思ってる? していいとは思ってるのねふーん……、ふぅぅぅぅん……? 独占欲がなければ嫉妬心もないと。なるほどねえ……あらやだこの人、お仕置きが欲しいみたいね」


「やめてくれ……この歳になってまだお尻ぺんぺんはさすがにきつい……っ」


「それ、数年前に聞きたかったんだけど」


 高校生の時に言うべきだった。

 というか、言われるものだと思っていたが……、お仕置きは執行されていたのだ。


 妻が先に言ってしまいそうだったが、付き合っていなかった時のふたりの少ないコミュニケーションでもあったのだ。


 やめてくれ、とは、なかなか言い出せなかったのかもしれない。


 そうだったらいいな、と妻が期待する。


 ――(妻の)父親から譲ってもらったマンションの一室を愛の巣としている。


 が、不用意な発言で現場は緊迫していた。家族――夫婦会議中である。

 本格的に話をしようと、ソファから移動し、テーブルを挟んで向き合う。


 妻が胸を張り、夫は俯きがちだった……。

 後ろめたいことを抱えているのは夫の方だった。


「で? 理由は? 浮気する気がないオープンマリッジ宣言の真意を聞こうじゃないか」


 お菓子の袋を開けて、中身をがしっと掴んで口に詰め込む妻。やけ食いである。


 ネットニュースで見て覚えたばかりの言葉を、軽い気持ち……ではなかったものの、言うべきではなかった、と夫が後悔しかけていた。


 しかし、避けては通れぬ話題ではあるだろう……。


「あ、あのね? 浮気する気はこれっぽっちもないんだけど、見え方によっては浮気と解釈されてもおかしくはないからさ、その……。オープンマリッジってことにすれば、僕は裏切らないけど、空はいつでも浮気できるかなって思って――」


 だんッ、とテーブルが叩かれた。

 強い一撃で……テーブルにひびが入るかと思った。


「ねえ」

「ひゃい!?」


「浮気するから、そっちも浮気してもいいよってことよね……バカにしてる?」


「し、してない、っす……」


「してるの。あたしは今、すっごくバカにされてると感じましたが!? ショックなんですけどぉ!!」


 怒声の後、妻が両手を広げた……「ん?」


「んっ」と誘ってくるので……夫が腰を浮かせた。


 ……ハグ、しろってことか……??


 おそるおそる立ち上がった夫が妻の横へ移動する。

 違う、とは言わなかった妻へ、さらに近づき……ぎゅっと抱きしめた。


 彼女の手が背中に回った。どうやら当たっていたようだ……あ、指先のお菓子の油――に気づいたが、夫は考えるのをやめた。まあいいか、と。


 今は油よりも妻のご機嫌を取ることが最優先だ。

 それに、勘違いされているようだからちゃんと説明もしないと……。


「あたしはね、大地(だいち)以外の男で満足できる女じゃないんだけど」

「うん……それはありがとう、空」


「で、実際のところ、ほんとにどういうつもりで言ってるの? ――言ってみなさい、怒らないから」


 怒らないから、と出たら十中八九、怒られるのだけど……とは言わなかった。

 その言葉が怒られる原因である。


 まあ、影響を受けただけでこんなことを言った、わけではなさそうだ。仮にそうだったとしても、流されやすい夫らしい、と笑い話にもできるだろう。


 妻の真剣な顔に、夫は観念したように真意を話し出す…………



「仕事柄、見ないわけにもいかないから見るんだけどさ……その、エロ……動画っていうかアニメっていうか……同人漫画とか、エロゲーとか……見るじゃん? 見るんだけどね……。それって、絵だけど、やっぱり女性の裸やそういう恋人の行為を見るってことだからさ……それってもう、浮気だよね、って思って」



 別の女ではある。あるが……二次元だ。


 絵だ。架空の人物だ。しかし、一生愛すと誓った女性を放って、別の女に意識を奪われてしまう……心まで許したわけではないが、もはや浮気と同じだろう。


 夫は、そう解釈した。

 だからオープンマリッジを提案したのだ……もちろん苦肉の策ではある。


 正確に言うならば。

 二次元オープンマリッジ、である。


「…………」


「空以外にときめくべきではないんだけどっ、相手はプロが作ったものだから、その、やっぱり読者としては心を動かされるわけで!」


 ドキドキしてしまう。

 妻以外にドキドキしてしまうのは、裏切り行為だ。


 分かっている……が、やはり仕事柄、どうしても勉強や市場調査のためにも確認しておかなければならない。楽しむことが推奨されているし、元々趣味で嗜んでいたのだ。のめり込んでしまうことはもちろんある。


 切っても切れない浮気行為……、ならもういっそのこと、浮気を当然のことと夫婦間で決めてしまった方がいいと思ったのだ。

 ……自分だけじゃない、妻にも浮気をしてほしい。そうすることでふたりは平等になると。


 不満もなくなるだろう、という提案だ。


 最近知ったオープンマリッジを早速使うあたり、夫の罪悪感が暴走してしまったのは妻にも伝わっているが……。


 冷静になれば、夫婦の間で火種になるだろうことは分かりそうなものなのに。


「……はぁ。なによそれ、それくらい、いいわよ。そんなことであたしが怒ると思ってるの? 器が小さい女と思わないでよね」


「……許してくれるの?」


「許さないけど」


 どういうこと!? と戸惑う夫。

 次の瞬間、ぺろり、と下唇を舐めた妻が、夫をぐっと引っ張ってソファに押し倒した。


「あう、空……?」


「許してほしかったらあたしに構えよ、旦那さま」


 体格差がある。

 上から覆い被さると、夫の体はすっぽりと彼女の影に隠れてしまった。


「エロゲより、あたしをプレイした方が面白いってことを分からせてあげる」


「あの、だからね!? 仕事に必要なんだからさっ、僕がシナリオライターってこと知って、ぶふっ!?」


 口を塞がれた。

 夫の言葉は妻に食べられてしまったようだ。


 ……ライターなら言わずに書けってことだろうか?


「いいわよ、認める。二次元オープンマリッジ……あたしも推してるキャラがいるし……熱中しちゃうかもしれないけど……いいんだよね?」


 いい、と言った夫だが……それはそれでむすっとしていた。

 あらまあ、とついつい声に出てしまった妻である。


 その後はお互いに覚えていなかった。



 妻が夫を愛のままに襲った。


 起きたことは、それだけだ。




 ・・・ おわり

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異次元オープンマリッジ 渡貫とゐち @josho

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