2.結局快や不快【Day2・風鈴:長谷部+田所】

 時期も時期なので、宿舎にある自分の部屋に風鈴を下げてみる。夏の窓際が定位置となっているそれは、コップに入った氷のような音よりもっと柔らかい音色で風を呼び込んでくれた。

 すると私の部屋の前にひとりの人物がやって来る。


「もうそれを出す季節になったんだ」

「うん。遅過ぎたくらいかも」

「6月からずっと暑かったもんね」


 私の部屋の入口に立つ人物、長い亜麻色の髪をバレッタでハーフアップにしている垂れ目の女性だ。彼女は田所由乃たどころゆの、私と一緒にヤギリプロモーションの6人組女性アイドルグループ『ハロチル』に所属している。そして私は長谷部奏はせべかなで、由乃より眠そうな印象が強い垂れ目と今はバレイヤージュのボブカットが特徴だ。

 この宿舎には私と由乃を含めた『ハロチル』メンバー、6人全員が住んでいる。今日他のメンバーは仕事だったり通院だったりと不在で、私と由乃だけが在宅していた。


「わたし、と出会って知ったことが色々あるなあ」


 急に由乃がそんなことを言い出す。そして断りもなく私の部屋に入り、窓際で黄昏ていた私の隣に腰掛けた。陽に当たったことを覚えていないような白い肌、穏やかな垂れ目は長い睫毛に彩られている。ファンが昔「由乃さまは存在そのものがお花だけど、目がいちばんお花」とか呟いていて、えぐいぐらいにバズってたなあ、とふと思い出した。


「カナ?」

「……いや、私と出会って知ったことってなんだろう、と思って。あれかな、即席ラーメンを鍋のまま食べるとか?」

「あれはとても有益だった」


 しっかりとサムズアップする由乃。花の化身みたいな彼女に、こんなズボラなこと教えたって言ったら大炎上しそうだ。逆にマウントをとってやるか、由乃に鍋ラーメンを教えたのもワンパンパスタを教えたのも私なんだぞって感じで。いや、やめとこう。生産性皆無だ。


「ってそうじゃなくて!」

「あら、ちがうの?」

「カナが風鈴のこと教えてくれたんじゃん! 南部鉄器だよって!」

「ああそっちか」


 今さっき吊るした私の風鈴。普通の風鈴より柔らかい音がするそれは、私の地元・岩手県で作られた南部鉄器が用いられているのだ。

 13歳で上京した私にとって、地元を感じられるものは生命維持のために必要だった。知らない土地、知らないひと、知らない言葉、さながら異国の地に流れ着いたような日々を過ごしてホームシックが極まった私にとって、紛れもない命綱だったのである。

 そのうちのひとつがこの風鈴だった。


「あの頃のカナは本当に辛そうだった」

「でもあんたの方が泣いてたじゃん。家、電車で30分のくせに」

「家の近さと練習生としての辛さは比例しないのよ」

「普通するんだけどなあ……」

「というかあの頃はひたすらダイエットが辛くて……」

「ああ……」


 ヤギリプロモーションは他の大手事務所に比べて体型管理がシビアだ。

 特に女性。男性アイドルはスタイルさえ整っていればそこまで体重制限は厳しくないが、女性アイドルは細さが正義と言わんばかりの徹底した管理を施される。まあ最近は大分マシになったと聞くけど、先輩の『STeLLataステラータ』さんが練習生時代は本当にきつかったそうだ。


「カナとちがって、わたしは肉が付きやすいの! 肉が!」

「私も食ったら太るよ」

「太り方の程度がちがうの~!」

「食べてるものじゃない? 由乃、ファストフード好きじゃん」

「うん……」


 由乃が仕方なく頷いたところで、風鈴がりんと余韻を持たせて震える。そのテンポの良さに思わず笑ってしまった、哀愁が半端ない。


「今すっごい撮れ高だったね……!」

「そこで撮れ高が出てくるあたり、テレビに毒されてる」

「本当に」


 『ハロチル』はアーティストとしての評価も高いが、バラドル(バラエティアイドル)としても一定の評価をいただいている。とある番組の司会をやっていた芸人さんに「あなたたちはハズレがないから有り難い」と感謝された覚えがあるくらいだ、光栄ではあるが諸手上げて喜べるほどバラエティに命は懸けていない。

 今日は風が強いのか、また風鈴が充分響き渡るようにりりんと鳴った。あ、と由乃が口を開ける。一体どうした。


「風鈴で思い出したのだけど、」

「うん」

「美々の騒音裁判、決着ついたよ」

「なにで思い出してんの」


 確かに風鈴が騒音になるかどうかっていう社会問題もあったけど! 

 ちなみに美々とはうちのメンバーの佐藤美々さとうみよしのことで、こいつは暇さえあれば四六時中歌を歌っているような人間だ。宿舎でも楽屋でも容赦なく腹から声を出すため、一部メンバー(由乃は含まれていて私は含まれない)から苦情をぶつけられていた。

 由乃曰く、決着は一昨日ついたそうで、美々は歌を歌う時にマスク着用が義務付けられたという。いや普通に貫通しないか、それ。わかんないけど、私はマスクを着けたまま歌を歌ったことがないから。ただ美々の声量を舐めてはいけない、生きる拡声器だぞ。


「だめかなあ……?」

「だめ、じゃない……? むしろ貫通するまで頑張りそうだけど」


 由乃は頭を抱えた、彼女はお人好しというか少し交渉事を詰め切れない一面がある。昔も似たようなことがあった気はするけど忘れた。ともかく、美々の騒音問題については一旦終了、再度問題が浮き上がったときにどうするか、という話になった。

 風鈴の音は一旦止んだ、風も止んでしまったので窓を閉めてクーラーにチェンジした。今度はクーラーの風で風鈴が鳴り出す。結構な音量だった。


「風物詩は、時勢に合わないって疎まれるのが常になるのだろうか」

「……なんの話?」

「風鈴の話」


 ああ、と由乃が納得したように声を上げる。

 風鈴の騒音問題にしろ、祭りを危険と喚起する声や蚊取り線香による火事を警告する人々はいるし、そういうひとは大事だと思う。だけど、この問題は根源をどうこうすることでなんとかなるものではない。だって根源をどうこうするとなると、そのものの存在を否定することになるから。


「ひとを刺すことがあるから包丁は販売禁止、みたいなこと?」

「極端に言うとそういうことかも。まあ、窮屈な世の中だ」

「縛られることで得る自由もあるけどね」


 得る自由、それは表現においてでの話ではないだろうか。よくわかんないけど。私はなにかを作るタイプのアイドルではないので、そういったことはあまりわからない。淡々と与えられたコンセプトを消化して評価を得るタイプのアイドルだ。


「わたしもわかんない」

「そうじゃん、由乃もコンセプト消化型アイドルじゃん」

「そもそも、縛られるから自由になる、っていうのも反骨心の賜物だと思ってた」

「そんな訳ない」


 どれだけアグレッシブなのか、芸術家のほとんどは爆発しないんだぞ。

 私は溜息をついてそっと風鈴を外した。ごめん、クーラーに当たってるとやっぱりうるさい。

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