第36話 呪縛

◇◇◇◇◇



 仰向けに寝転がったベッドの上で、シュウは色褪せた石膏ボードの天井を見つめていた。なにをするわけでもなく、長いことこうしている。

 無意識にこぼれるのはため息ばかりで、胸のうちに渦巻くこの感情を表現するための言葉が見つからない。


(……ハルは、もう目が覚めたころだよな)


 ぼんやりと頭の片隅でそう思うも、彼女に会いに行く気にはなれなかった。

 会いたい気持ちはもちろんある。その後の経過も気になっている。

 だが。


(どんな顔して会えばいいのか、わかんねぇよ……)


 あんな話を聞かされて、いままでどおり彼女と接することができるだろうか。


(どうすりゃいいんだよ……)


 頭の中が、整理できなかった。




 ユキノリに呼び出され連れられるがまま、シュウははじめて彼の研究室に足を踏み入れた。

 研究室とはいっても、あるのはシンプルな応接用のソファーセットだけである。

 あとは見渡すかぎり、青々とした観葉植物が枝葉を広げていた。


「研究室っぽくないって思ってるでしょ?」

「あ、いや……」


 ユキノリ自身は穏やかな表情を浮かべているのに、まとう空気はどこか冷たい。

 部屋にはマリアの姿もなく、二人きりの空間が心なしか重たいものに感じられた。


「まあ座って」


 促されるまま、シュウはソファーに腰を下ろす。いつものようにユキノリから差し出されたイチゴミルク味のアメ玉をやんわりと断り、静かに彼の言葉を待った。

 室内に響く秒針の間隔が、ひどく遅く感じる。

 シュウは居心地の悪さをごまかすように、湯気の立つコーヒーカップに口をつけた。


「きみは、『スペラーレ』を知っているかい?」


 まるで世間話でもするように、だがもったいぶるような口調でユキノリは言った。

 聞き慣れない単語に、シュウは首を横に振る。


(マニュアルには書いてなかったよな? そんな言葉)


 脳をフル回転させて記憶をたどるが、『スペラーレ』なる言葉はどこにも載っていなかった気がする。

 それとも、ただ単に自分が見落としていただけだろうか。


「じゃあ、キューブに選ばれた適合者『スペランツァ』に、特殊な能力が備わることは知ってるよね?」


 ユキノリの言葉に、シュウは短く返事をした。

 それについては組織に到着した初日に、キューブ発見からペッカート出現にいたるまでの経緯とともにアキトから説明を受けた。


「たしか、『スペランツァはキューブにシンクロすることで、さまざまな能力を引き出している』、でしたよね?」

「そうだね」


 実際に戦場で見せつけられた彼女たちのけたはずれに高い身体能力と回復力は、人の力でどうこうできるものではない。

 それゆえにキューブと適合者の関係性について疑う余地はない。


 だがユキノリの声色が、この話にはまだ続きがあるのだと物語っていた。

 ユキノリは自身のコーヒーカップに角砂糖を三つほど落として、ゆっくりと金属製のマドラーを沈めた。


「彼女たちスペランツァは、なんの代償もなく力を得るわけじゃない。等価交換、とでも言えばいいのかな。人並みはずれた特別な能力を得るためには、それ相応のリスクをも負うことになる」

「リスク、ですか……」


 口内で小さく復唱したシュウの言葉に、ユキノリは静かにうなずく。


「まずはシンクロの仕組みから説明したほうがよさそうだね」


 そう言うなり、ユキノリは白衣のポケットから使い古した手帳を取り出す。

 まっさらなページにボールペンでさらさらと立方体と人型をえがいた彼は、そのふたつの絵を矢印でつなぐ。


「キューブはスペランツァを選び、スペランツァはキューブの力を得る。ただ、スペランツァはキューブと直接つながっているわけではない」

「そりゃ、まあ……」


 そうだろうなとシュウは思った。

 スペランツァ全員で、たったひとつのキューブを共有しているのだ。宝飾品と同じように身につけて行動するわけにもいくまい。

 ましてや希少性の高い重要な研究対象でもある。そうそう施設外へ持ち出すわけにもいかないだろう。


「じゃあ、どうするか」


 ユキノリが言葉を切る。

 沈黙が、シュウに回答を促している。


「……なにか、身につけることができて……力を仲介するようなものがあれば……」

「正解だ」


 シュウの言葉に、ユキノリは満足そうにうなずく。

 そうして並行する矢印の上に、雫型の絵を描き加えた。


「僕らはこれを、『キューブドロップ』と呼んでいる。いわばキューブの欠片のようなものだ。このキューブドロップを体内に取り込むことで、スペランツァ全員が等しく力を授かることができる」

「キューブドロップ……それをどうやって……? 飲み込んだりするんですか?」


 シュウの問いに、ユキノリは静かに首を振った。


「『取り込む』というより『寄生』と言ったほうが正しいかもしれない。キューブに適合した瞬間から、キューブドロップは適合者の体内に存在する。この現象ばっかりは、まだ研究で解明されていないんだけどね。ただ……」


 ユキノリがわずかに視線を落とした。

 すっかり冷めてしまったコーヒーを口に含んで、彼は静かにひと呼吸置いた。


「これは、組織の中でも一部の人間しか知らないことなんだけどね」


 室内が、嘘のように静まり返る。

 視線を上げたユキノリが、まっすぐにシュウの目を見ていた。


「キューブドロップは、適合者の心臓に寄生している」


 あまりの事実に、喉がつまって言葉が出てこなかった。

 本来人間の体内にあるべきではない異物が、まさかそんな部位に根を張っているとは誰も思わないだろう。


「もちろん、人間が本来持つ無意識下の生命維持活動に支障はない。だけど、心臓に寄生したキューブドロップによる体への負担は計り知れない。シンクロの度合いによっては当然、それ相応の能力を得ることはできるけれど、比例して適合者への負担も増加していくんだ」


 淡々と説明するユキノリの声だけが、広い室内に無機質に響いていた。

 心臓の音が、うるさいくらいに鼓膜を震わせている。


「……っ、取り出すことは、できないんですか?」


 シュウがやっとの思いでしぼり出した声は、わずかに震えていた。


「結論を言えば、答えは『ノー』だ。適合した瞬間から命が尽きるまで、キューブの呪縛からは逃れられない」

「そん、な……!」


 ユキノリは再びコーヒーカップを口に運ぶ。

 シュウは焦る気持ちを抑え、黙って次の言葉を待っていた。

 あまりの動揺から鼓動は早いままで、握りしめた手のひらにはじんわりと汗がにじむ。


「スペランツァは、ペッカートと戦うために生み出されたと言っても過言じゃない。キューブ本体を守るために、それ自体が力を与えるべき適合者を選ぶんだ。だけど、普通の人間がそんな強大な力に耐えられるわけがないんだよ。僕たち人間の体は、もともとそんなふうにはできていないからね。強すぎる力の代償はそれこそ計り知れない。その証拠に、スペランツァたちは急にめまいや昏睡状態におちいることがある。体が、ついていかないんだ。ハルは、最近その頻度が上がっている………どういうことか、わかるよね?」


 なにも言えなかった。

 否、一瞬でも脳裏によぎった最悪の想像を認めたくはなかった。

 認めてしまったら、それを受け入れなくてはいけない気がした。



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