第25話 初恋の色

「……はい、いいわよ。ツカサ、戻ってらっしゃい」


 どのくらい意識を沈めていただろうか。

 パンパンッ、と手を叩いたマリアの声で、ツカサは急速に意識を覚醒させた。

 視界に飛び込んできた蛍光灯の明るさに目がくらむ。

 こめかみを締めつけるヘッドギアをはずして、ツカサはふるふると頭を左右に振った。


「どうでしたか?」


 少しでもシンクロ率が上昇していることを願いながら、ツカサはイスに腰かけモニターを眺めるアキトに駆け寄った。

 だがツカサの期待もむなしく、表示されたグラフの波形は前回と比べてほとんど変わっていない。むしろ少し下がっているような気さえする。


「……なんで? ぜんぜん伸びてない……」


 モニターを凝視したまま、ツカサは小さく唇を噛んだ。


「キューブとのシンクロには、適合者の健康状態はもちろん、精神状態も大きく関わってくるからね。今日はちょっと、トレーニングがんばりすぎちゃったかな?」

「っ、でもこんなんじゃ! ぜんぜん、ハルさんやホノカさんにはっ!」

「こういうのは競うものではないのよ」


 追いつけないと続けようとした言葉は、マリアによって遮られる。

 マリアの手が、気にするなとでも言いたげに肩をさすっていた。

 だがその優しさが、ツカサにとってはひどく重たく感じられる。


「あなたの場合、平常時にこれだけの数値が出ていれば十分よ。無理は禁物。わかった?」

「……はぁ~い……」


 念を押すマリアに返事をするものの、ツカサはまったく納得できていない様子である。

 モニターを見つめたまま、彼女は眉間にしわを寄せていた。


「…………」

「……ところでツカサ、お昼ごはん、まだだよね?」

「へ……? はい、検査に遅刻しちゃったんで……」


 きょとんとしてアキトを見つめるツカサに、彼はやわらかく微笑ほほえみを返した。


「たぶんキョウヤもまだだと思うからさ、誘ってやってよ」

「キョウヤさんも?」


 ツカサがちらりと壁の時計を盗み見れば、針は正午をゆうに越えていた。


「わかりました! じゃあ、いってきます!」

「はい、いってらっしゃい」

「転ばないようにねー」


 とたんに笑顔で跳ねるように駆けていったツカサのうしろ姿に、アキトとマリアは顔を見合わせて苦笑した。




「~~♪ ~~♪」


 鼻歌まじりに地下一階まで階段を上がって、ツカサは薄暗い廊下を意気揚々と進んでいく。

 高ぶる気持ちに呼応するように、足取りは自然と軽い。

 重い鉄の扉を開けてひょっこりと顔を覗かせれば、そこには半地下の広い整備場があった。

 場内には金属同士がぶつかりあう音に加えて、オイルのにおいが漂っている。


「キョウヤさん、どこにいるんだろ……」


 通路を歩きながらきょろきょろと辺りを見回してみるが、当人の姿が見当たらない。


「う〜ん、わかんないなぁ……」


 首を伸ばして遠くに視線をやるが、目立つはずの金髪の頭はいないようである。


「おや! ツカサじゃないか! どうしたんだい?」


 遠くから聞こえた酒焼けしたハスキーボイスに、ツカサは声のしたほうを振り向いた。見れば真っ赤なを着た女性整備士が、大股でこちらに向かって歩いてきている。


「整備長さん!」

「あーあー、『整備長』なんて堅っくるしい呼び方すんじゃないよ」


 ひらひらと虫を追い払うような仕草しぐさをする整備長はすぐになにか言葉を続けようとしたものの、「姐御ー」と彼女を呼ぶ声に遮られてしまった。


「輸送部からヘリのメンテ依頼っすー」

「急ぎかい?」

「できればー」


 遠くから叫ぶ部下の声に返事をしつつも、整備長は「今日は残業だな」とこぼしながらため息をついていた。

 部下に指示を出す整備長の横顔を見上げながら、ツカサはぽつりと「姐御さん……」とつぶやいた。

 その声が本人にも聞こえていたようで、整備長の手がわしわしとツカサの頭をなでる。

 咄嗟に謝ろうとしたツカサが顔を上げると、彼女は満足そうに歯を見せて笑っていた。


「で? こんなとこに来るなんて珍しいじゃないか。どうしたんだい?」

「あの! キョウヤさんいますか?」

「ああ、あいつなら上の作業場だよ」


 整備長は壁ぎわにあるスキップフロアを指さした。

 鈍色にびいろの手すりの奥に、一台の車両が見えている。


「ありがとうございます! 行ってみます!」


 頭を下げて礼を言うと、ツカサは一目散にアルミ階段を駆け上がった。カンカンカン……と歩調に合わせて足音が鳴る。

 フロアの中心にはジャッキアップされた車両。

 広げられた大きな工具箱と、周囲に散らばるいくつもの部品。

 車両の下からは、作業する男の足がはみ出している。

 ツカサは男の足元に駆け寄ると、車両の下を覗き込むようにして男に声をかけた。


「キョーヤさん♪」

「うい~」


 作業の手を止め、キョウヤは器用にサービスクリーパーをスライドさせる。

 車体の下から姿を見せた彼は、ゴーグル越しにツカサの顔を見るなり上体を起こした。頭に巻かれた黒いタオルが、ほこりや汗で少々汚れてしまっている。


「おう、おちびさんじゃねーか」

「ちびじゃないですよ! もう!」


 にっこりと口角を上げたキョウヤに、ツカサはわざと頬をふくらませてみせた。


「整備場に来るなんて珍しいな。どーした?」

「キョーヤさん! お昼ごはん、まだって聞きました! 一緒に行きましょう!」


 満面の笑みとともに告げられた誘いに、キョウヤはゴーグルをはずして壁の時計を見遣った。

 頂点で重なったはずの二本の針は、長針がすでに一周しようとしている。

 どおりで腹が減っているわけだと、キョウヤは人知れず納得した。


「ちょっと待ってな。すぐ終わらせっから」


 そう言うと、キョウヤは再びゴーグルをつけて車両の下へとすべり込んだ。

 その場でしゃがんで待つツカサの耳に、金属同士が当たる音が聞こえる。


「……っし、こんなもんか」


 ものの五分もしないうちに、作業を終えたキョウヤがツカサの前に現れた。

 彼は立ち上がりついでに黒く汚れた軍手をはずして、つなぎのポケットに押し込む。手早く片づけを済ませ、バインダーにはさまれた用紙に走り書きでサインを入れる。


「姐さーん! 俺メシ行ってくっからー! チェック頼むわー」


 手にしたバインダーをパタパタとひらめかせながら、キョウヤは手すり越しに下の作業場に向かって声を張った。

 どこからともなく聞こえた返事はまぎれもなく整備長のもので、広い整備場の奥のほうで真っ赤な人影が片手をあげるのが見えた。


「おまたせ。メシ行くか」


 そばの作業台にバインダーを置いたキョウヤが、脱いだつなぎの上半分を腰巻きにする。

 陽光を背に頭のタオルを取って髪を掻き上げたキョウヤの姿が、ツカサにはひどくまぶしく感じられた。



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