第11話

「少し印象が違ったから、最初はわからなかったよ」

「……えっと……」

「あはは、やっぱり覚えてないか」


 ダニエルと名乗った彼は、兄と面識があった。

 ウォルターが子どもの頃、兄は〝失踪者家族の会〟というものに通っていた。

 似た境遇の者同士が集まって胸の内を語り合う、要するにグループセラピーの類いだ。


 事件や事故に巻き込まれたり、徘徊、夜逃げの末に行方不明になった人を失踪者というのだろうが、不吉な伝承があるこの町では、〝失踪者〟に特殊なイメージが加わる。その家族は腫物扱いを受けることもあるそうだ。

 そういった背景もあって、昔誰かが立ち上げたのだろう。


 いつも兄の真似をしたがっていたウォルターは、半分興味本位で何度かついていった。だが、失踪した母のことをほとんど覚えていないウォルターにとって、参加者の話は他人事でしかなかったし、子どもの自分が行く場所ではないと思い参加しなくなった。


「うちは、父が九年前に失踪したんだ。君のところは、確か……」

「母さんが、俺の物心がつく前に」


 引退どころか、失踪。あのタトゥーを彫ったのが父親なら、手掛かりを得るチャンスは限りなく低くなってしまった。


「トビーのこと……辛いね。あの頃、なにか君の力になれたらよかったんだけど……」


 兄の死を悼む言葉も、悲しそうな声色も久しく聞いていなくて言葉に詰まった。


「……兄とは、親しかったんですか?」

「当時二十四歳だった僕が一番年が近いのもあって、よく話してたんだ。彼は明るくて、十九の男の子にしては頼もしくて随分と励まされたよ」


 ダニエルは現在三十二歳ということになる。落ち着いた雰囲気だからか、顎ひげのせいか、少し老けて見える。


「君は、あの森に神様がいると思うかい?」

「……いえ、俺はそういうの信じないんで」


 唐突な問いに、トビーを見ながらきっぱりと否定した。


「そうか、僕もだよ。だけどなかには、失踪者は神様に攫われたんだと信じてる者もいる……。あの会は、ほとんどがそういう人たちの集まりさ。トビーもそうだった」

「兄さんが……?」

「母親は良い人間だから、いつか神様が帰してくれるって、よく言ってたよ」


 兄の性格を思うと冗談で言っていただけのように思えるが、前向きさが兄らしくもあった。


「僕には無理だな。生きているかどうかすらわからないまま、ずっと待ち続けるなんて……」


 憂いを帯びた横顔が、壁を埋め尽くすタトゥーの写真を眺めている。

 失踪して九年になる父親の作品を毎日目にするのは辛くないのだろうか。

 もう帰ってこないものだと諦めて、思い出にしてしまったのだろうか。


「引きとめて悪かったね」


 ドアまで紳士的に見送ってくれたダニエルは、別れ際には店長の顔に戻っていた。

 タトゥーに興味はないかと勧められたが、柄じゃないと断った。

 店を出ると、サングラスをかけたレイラがまだそこにいて、胸をなでおろす。


 レイラは何かを握り締めるように、両手をぎゅっと重ねている。そこから首へと伸びるチェーン。ふいに、彼女の動作に懐かしさを覚えた。

 ウォルターに気づくと、ネックレスらしきそれをさっと服の下に隠した。


「大丈夫?」

「もう平気……ごめんね、急に出てったりして」

「謝る必要なんてないよ。レイラにとってサングラスは欠かせないものなのに、外せるかなんて聞いた俺が悪かったんだ」

「こんなの、ほとんど気休めよ。意味ない時は全然役に立たないんだから」


 何かを思い出したのか、不機嫌なオーラを放ち始めた。


「あの女には気をつけたほうがいい。男を漁る目をしてた」

「え……それで、飛び出してったの?」

「ああいう好意の感情って、ほんと嫌になる。鬱陶しくってたまらない」


 初対面の人間への、暴言混じりの言葉を聞きながら車に戻る。

 少し休みたいと言うレイラをホテルまで送り届けることになった。


 レイラはシートベルトを締めながら、何か成果はあったかと訊いてきた。

 まずは、一応尋ねておいた元従業員の名前を教えた。

 あの精巧なタトゥーを彫った可能性が高い人物。

 つまり、犯人に繋がる情報を知っているかもしれない、今のところ唯一の存在だ。


「なんとかしてそいつを捜さないと……父親のほうかもしれないから、あの女がいない時にもう一度……」


 ぶつぶつと独り言のように話すレイラの隣で、ウォルターは別のことを考えていた。


「店長のほうは、なにか感じなかった? 嘘ついてるとか、サイコパスっぽいとか」

「……私のこと、エスパーとかサイキックだと思ってる?」

「そういうわけじゃないけど……」

「私みたいなのはエンパスっていうそうよ。感じるのは感情だけ。まぁ、嘘がわかることはあるけど」


 普段よりも安全運転を心掛けながら車を走らせていると、途切れたと思っていた会話をレイラが続けた。


「もしかして、あの店長を疑ってるの?」

「兄さんと失踪者家族の会で交流があったし、森の神様を信じるかとか訊いてきたし父親は九年前に失踪してる」

「はぁっ? そういうことはすぐに教えなさいよ! ……あんた、あの男が自分の父親を殺したと思ってるの?」

「どうだろう。ただの夜逃げかも」

「子どもふたりは置いてけぼり?」

「人を殺すような人には見えなかったな。神様信じてないって言ってたし。……でも、警察に知らせるべきかな」


 隣で小さくため息をつく気配がした。概ね予想通りの反応だ。


「急にいろいろ思い出しましたとでも言うつもり? それとも、事件のこと嗅ぎ回ってましたって?」

「わかったよ。俺だって面倒なのは嫌だ」


 八年前、警察は兄の交友関係を調べていた。

 タトゥースタジオの店長であるダニエルとの接点も、既に把握しているかもしれない。

 容疑者になるかはわからないが……。

 一日でも早く警察が犯人をあぶり出してくれることを、ウォルターは心から願った。

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