第13話 欠けた歯
とある病棟では、1人の男が病室の窓の向こう側を眺めていた。
「片川<かたがわ>さん、夕飯のお時間ですよ」
男は呼ばれると、用意された机に液体のような食卓が並ぶ。看護師は患者に配膳を済ませると脚の具合を確認する。
「今日も包帯を履き直しましょうか、痛みますか?」
「いや、全然大丈夫です」
「明日は刑事さんがいらっしゃるみたいですね」
「何も話せることはないのに」
男はお盆の上に乗せられた食器に一切手をつける様子はなかった。
彼は交通事故で片足を失ったのだ。
警察は単独で事故を起こしたとは考えていない。というのも、彼の脚が未だ見つからないことについても、車の凹み具合から推測するにも、人や動物といった生き物のようなものと衝突した痕跡があるからだ。
これを踏まえ、事故ではなく事件として捜査が開始された。
だが、当の本人は当時の記憶がないのだ。交通事故のショックによるものであろう。事故から1週間後に目覚めた彼は、身体中アザだらけで、目が覚めるまでの1週間は包帯で縛られ、まるでミイラが発掘されそのままベッドに横たわっているかのようだった。
それ程、生きていること自体奇跡と言われてもおかしくないほどの容態で見つかった。
だが、不思議なのは、体の痛みがないことだ。痛覚が麻痺しているのかとも考えたが、その疑いもない。
膝下の傷が救出された時点で塞がっていたこと、体はアザや打撲、骨折もしているのに、傷口から血も一滴も流していないこと。そしてそのぶつかった何かの残留物がないこと......
どうにも辻褄が合わないこの事件は、たちまち巷で噂として広まっていった。
「俺はいつ退院できますか?」
「うーん」
看護師は言葉をつまらせた。それもそのはず、上半身だけしか動くことしかできない患者を、いつ退院させられるかなんて今すぐには確約できない。
「こんなことになるなら、いっそ全部あげればよかった」
「え?」
「看護師さん、ご飯あげる」
「私はもう食べましたよ。さぁ、冗談はその辺にして食べて早く退院できるようになりましょう」
看護師は、そうやって患者をなだめた。
—— —— ——
ところ変わり、 “こっち” では、角の生えた女がホールで暇を潰していた。
「魅鬼先輩お疲れ様です。先輩も頭に呼ばれていますか?」
「うん! もういける?」
彼女の後輩である新人の渡目が到着し、2人は『頭』のいる会議室へ入る。
「お疲れ様」
声のする方に目を向けると、既に司牙が座っていた。
4人で話すにはちょうどいい会議室で、頭と呼ばれる多巳<たみ>が指揮を取る。
「さて、早速話を進めるわね。今年に入ってから数が増え始めた『中毒症状』に関する情報共有をしようと思って。渡目君は今年度から関わる案件だから、少し整理しましょうか」
そういうと、ホワイトボードには、すでに資料とメモがビッシリ書かれていて、途中から仲間入りした新人には、量が多すぎるほどだった。
「まず、この事件を調査するにあたり、こちらが行方不明者のリストです。事件発生後から今日までの間では4名」
魅鬼がリストに書かれた名簿とホワイトボードに掲示されている資料に補足説明していく。
「ゾンビ属の女性、年齢は30〜40代、自営業。異形属の20〜30代の男女、いずれも無職です」
掲示されたホワイトボードには、証言を元に作成された似顔絵が貼られている。
渡目はその似顔絵と書かれた情報をくまなく頭に叩き込む。
「そのことなのですが、一つ重要な証拠をお持ちしました」
司牙は小さな封筒を多巳に差し、彼女は中身を確認した。
「これあなたの乳歯?」
「ち、違いますよ!」
「冗談よ」
司牙が話として持ち込んだものは、 “欠けた歯” だった。多巳は、小さなポチ袋に入った歯を眺める。
「これをどこで?」
「 “あちら” とのゲート付近です。恐らく事故が起こった場所に落ちていて、しかも向こう側の方で」
行方不明者のリストと照合する。そしてその中で最も持ち主に近い者を確認していく。
多巳がそれを眺めている姿を魅鬼も渡目も眺める。
「渡目君は、因みになぜこの調査に配属されたかわかる?」
多巳は、何やら意味ありげに渡目に問いかける。質問を受けた渡目はためらうことなく、素直に口を開く。
「僕が、あの入り口を見つけたことですよね」
その事実に対し、司牙と魅鬼は驚く。2人の素直な反応を見ると多巳は笑みを浮かべる。
この入り口を最初に見つけたのが、この男、渡目なのである。
「彼が今回の事件に関して一切の関与をしていないことは、私の方で保証するわ」
2人が今にも渡目を問い詰めそうな勢いだったので、多巳は先に伝えた。
この4人のチームは、それぞれ役割がある。
魅鬼は中毒症状の原因を、
司牙は行方不明者の捜索、
多巳は “ゲート” の発生源とその調査。
そして新人の渡目は、それぞれのサポートに入る。
「あの......ひとつよろしいですか」
「なに? 渡目君」
渡目は、不安そうな顔をしながらホワイトボードに貼られた一枚の絵を眺める。彼が目にしているのは、ゾンビ属の女の絵。
「この方の情報はどこで?」
「彼女を知る方が、張り紙をみて彼女の情報提供をしてくれたの。それを元に作成したものよ」
魅鬼は渡目の質問に答える。彼はそれからしばらく目を離そうとしない。そして、司牙が提出した歯もまじまじと見つめる。
「彼女を知ってるの?」
続いて多巳が渡目に質問をする。この調査において、もっとも重要な立ち位置にいる彼の存在に、期待を寄せている。だが、
「僕が知っている人かと思ったのですが......違うな」
と、期待は外れた。
「因みにこの歯を見ても、誰のか分かったりする?」
「流石にそこまでは見えません」
「そうだよね。これは一旦私が預かっておくわ」
そういうと、多巳は鍵のついた引き出しに厳重に仕舞った。
「それで、一つ司牙先輩に伺いたいんすけど」
すると、渡目は急に様子を変えた。司牙に対し、睨むような、けど困惑した様子で見つめる。
「司牙先輩はそもそも何故......平気なんですか?」
「な、なぜってそれは」
「僕は、 “あっち” がどんな世界か知りませんが、帰って来れなくなったらどうするんですか。 “ゲート” はそもそも不安定で、今はかなり歪んでいるんですよ。それに......」
「それに?」
渡目は急に言葉を詰まらせた。一瞬、ある人物を思いついたが、この場で出していい名前ではないと思いとどまった。
「渡目君が、 “ゲート” のことを知っているなら、向こうの世界の不思議も少しは理解があるということでいいかな?」
「はい」
「人間、という単語は?」
「知っています」
「それじゃあ、この行方不明者達が、ある一つの組織と関係していることも?」
「『インビジブルズ』、ですよね」
「なるほどねえ、知ってるんだ」
魅鬼は、ホワイトボードに掲示した行方不明者のリストに隠されたテープを剥がすと、赤い文字で、その組織の名前が書かれていた。つまり行方不明者達は全員、この『インビジブルズ』という組織との繋がりがあることを示していた。
「なぜ、この名前がつけられたか知ってる?」
魅鬼は渡目に対し、認識をすり合わせようと聞き出す。渡目は、彼女のいう意味を紐解き、答えを導き出す。
「インビジブル、意味の通り “見えない” 組織。社会の光が届かないところで、隠れて自分たちの思想を創造する組織......ではないでしょうか」
「その通り。でもね、もう一つ意味があるの。その答えを私は導き出した。それが」
魅鬼がホワイトボードを裏表ひっくり返すと、そこには大きな文字で
『人間は呪人を認識できない』 と書かれていた。
「つまり、組織の由来はここにあるんじゃないかと私たちは疑ってるの」
「ですがそれは、もう少し調べたほうがいいと思いますよ」
「じゃあ、渡目君には一つ課題を渡しましょうか。なぜ彼らは私たちを認識できないのか、いいわね?2人は引き続き、それぞれの調査を。では、解散」
そういって、多巳は、渡目に課題を与え、会議は終了した。
「司牙先輩、魅鬼先輩。ちょっといいっすか」
2人は渡目に呼び止められ、振り返ると、部下が上司におおよそ向けてはいけないような鋭い目つきをしていた。
「単刀直入にいいます。俺に隠しても無駄っすよ」
魅鬼は、誤魔化すか、正直に話すか、すぐに答えが出なかった。
ここは何が正解なのか。
そんなことを考えていると、隣から予想もしない言葉が聞こえた。
「送るよ」
「え?、司牙君?」
「魅鬼君も一緒に来て」
気まずい雰囲気が漂うまま、3人は司牙の自宅へ向かった。
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