第3話 協力
緊張は、やがて落ち着いてきた。1人になると色々考え始めてしまうが、どれだけ寝てもこの状況は変わらないとわかってきた。
布団をたたみベッドに座り、この部屋を少し眺めてみた。
書斎とベッドルームが同じ部屋にあるようで、彼の身長に合う少し大きめのベッドに、先ほど座っていた高級感のあるワインレッドのソファに、本が積まれた机、その奥には出窓があった。
百合は、ここに来るまでの記憶を辿った。
そうだ、私はひいおじいちゃんの家に向かう途中で、彼があの事件のあったトンネルに向かおうとしていたのを止めたんだ。
そして、彼の身分証に映った頬骨を見てある仮説がうまれた。
彼のあの頬骨、奥歯にみえたのは、牙みたいに鋭かった。あの歯で人の足を食べたのでは?と。
もし彼があの一連の事件の犯人だったらと考えたのだ。
だが男の身分は『警察官』、警官である人が自ら過ちを犯すだろうか。
百合は腕を組んでいろいろ考えてみたが、なんとなくだが、彼が犯人とはとても思えなかった。
——あの目。
——私を見ていた。
——あの人が、私をトンネルへ連れていこうとしていた?
胸がざわつく。
けれど、部屋を静かに見渡すと、不思議なほど生活感があった。
整ったキッチン。
机に置かれた書類の束。
スーツ。
規則正しく片付いた玄関。
「……犯人の家っぽくない」
しかもやけに親切で、紳士的で......
百合は、もしこの世界に犯人がいるのだとすれば、この事件の最前線に立っているのではと考え始めた。きっと楓や薫は、こううまくは行かないはず。私みたいに、彼の顔を見て驚いたり怯えたりしない。まさに私が適任なのではと鼓舞し始めていた。
初めて自分が誇らしく思えた。
彼の帰る時間は伝えられていなかったが、直ぐには帰ってこないだろうと思い、家を少し調査しようと思った。
百合は彼と同じように警官になったつもりで、男の家を見て回ることにした。
部屋を出ると、右にはダイニング、左にはシャワー室があり、興味本位で勝手に覗いた。
——広っ!
人が2人並んでも余裕のありそうな大きな鏡と赤いシンク。周りには男らしく、髭剃りや洗顔料、化粧水やワックスなど、みたことないメーカーのものばかりだった。
やっぱりここは、あっちの世界なんだ——。
百合は、あの世からなぞらえてこの世界のことを “あっち” と呼ぶことにした。
だが、 “あっち” と呼ぶと、自分のもといた世界のことを指している気がするので、 “こっち” と呼ぶことにしよう。
そういえば、彼は私の父親になるということか。あの人のこと、司牙さんのことを、父と呼ぶのか。
距離感が全くもって掴めない。だが、彼も同じだろう。
「おはよう、もう具合は平気かい?」
振り返ると、先ほど家を留守にした彼が戻ってきていた。手続きを終えたのか、やけに早い。
というより、勝手に人の家を物色しているのを怪しまれているだろうか。
「あの、お手洗いを探してまして......」
とりあえず、最大限の言い訳を考える。
「君の名前を聞くのをうっかり忘れてしまってね、元気そうで良かった」
司牙は𠮟ることなく、ただただ心配している様子だった。
「はい、百合といいます。一、十、百の百に、合うと書きます」
「百合というのか、ありがとう。改めてよろしく」
彼はスッと手を差し出し、握手を交わした。
「この家の手洗いはここだけなんだ。好きに使っていいからね」
「ありがとうございます」
「そうだ、手続きが終わった後、夕食をどうしようかと思って、何か食べたいものはあるかい?と言っても、こことそっちじゃ食べてるものは違うから分からないよね......」
百合はここで、彼に調査に関する最初の質問をした。
「では、司牙さんは、普段は何を召し上がっているんでしょうか」
「たとえば、僕はチーズと彼女が作るオムレツが好きだ。僕は基本的に夕食は少なめなんだ。よく眠れるからね。でも今日は、無難にパスタでも茹でようか」
犯人とは思えないほど落ち着いた回答だ。
答えに引っかかるところがあるとすれば、
彼女、彼女いるんだ。
......そりゃそうだよね、自分でもわかる。紳士的で落ち着いていて、ミステリアスだけど、そこが魅力的なんだろうなと。
「チーズ以外にも、召し上がられるものはありますか?たとえば、 “あっち” で何かご興味とか」
百合は後ろで手を重ねて彼に問いかけると、彼は何の躊躇いもなく「全てに興味があるよ」と答えた。
「テレビとか、好きなのをみていていいから、じゃあ今度こそ出かけてくる」
「いっ......てらっしゃい」
その後百合は家を少しのぞいてからリビングに向かい、ソファに座ってテレビのスイッチを入れた。
ついた画面に映るのは、2人の男性が向き合って会話をしてる。ニュースだろうか、それを無心に眺める。
ニュースのテロップには『蔓延する中毒患者』
中毒って何?何かヤバいものでも流行っているのかな。
そのまま耳を傾ける。
“——中毒者が増えていることが挙げられており、問題視されています。そしてその症状の発生源などは未だ不明であり、立ち入り禁止区域には、決して入らないよう、怪警察は警戒を進めています”
怪警察って、あの司牙さんが勤めている警察署か。ということは......
どれもこの世界で使われている言葉なのだろうか。
考えてもわからないことばかりで、頭がぐるぐるした。
その時。
「ただいま」
玄関の扉が開き、司牙が入って来た。
スーツの袖を少し折り、百合を見るとふわりと微笑む。
彼は買って来たスナック菓子やジュースをテーブルの上に並べた。
袋から次々に出る食材。ところどころ見たことのないものが出てくるが、それはそれで彼女は興味深々だった。
彼はいろいろと説明した。
まずは『目玉焼き』茶色い衣をまとって丸い形をしていた。百合にとっては、どこをどう見てもたこ焼きに見えていた。
一口食べると、揚げたてだったのか、サクサクしていて中から溶け出したチョコレートが入っていて美味しかった。
百合がここのものに変な印象を持たず、興味を示してくれて司牙は、ホッとした。
そして彼女はテーブルの片隅に一際目立つ、真っ赤なボトルを見つけた。
「これ、すっごく綺麗ですね! ワインですか?」
「これはダークザクロソーダ、赤い色が......」
「赤い色?」
彼は急に言葉を詰まらせた。
「これは、まあ、ある色に似ているって言われてて、美容効果が期待できるとかで、最近は女性には特に人気で......」
なんとなく百合は察した。
きっと血の色のことを言っている。
「私、別にそういうの全然平気です。ザクロって美容にもいいんですよね。女性に人気なのもわかりますし」
彼女は、こう見えて結構探究心があり、理解がある方だ。
百合は瓶に入ったソーダの蓋を開けて氷が入ったコップに注いだ。綺麗な赤色で氷まで赤く染まっていた。
口に近づけると、シュワシュワと開けたての泡が唇をくすぐった。
一口飲むと、爽やかなザクロの香りが鼻を抜け、ソーダの喉越しが心地よかった。
「私これ好きです!美味しいです」
「よかった、じゃあ夕食ができるまで、座って待ってて」
彼はエプロンを身につけると、キッチンに立ってパスタを茹で始めた。何度でも思う。
彼の後ろ姿は、やっぱり似ている。
「お待たせ」
出て来たのは、ハーブの爽やかな香りがする紫色のソースに、彼が好きと言っていた粉チーズが振りかけられていた。
どこからどう見ても、正直あまり美味しそうには見えない......
「い、いただきます」
フォークでくるくる巻き取り、一口食べると、バジルに似た香りが食欲をかき立てる。想像していなかった味に感動した。
「美味しいです! お料理お上手なんですね」
「いや、僕はあまり得意な方ではないよ。1人の時は自分で作って食べることはないし」
そう言われると、確かに彼の分の食事がなかった。
「食べないんですか?」
「うん、僕は今日はいいかな」
気まずい雰囲気が漂う中、百合はパスタを運ぶ手を止めた。
「あの、司牙さん。実は聞きたいことがあって」
司牙は、グラスを持った手をそっとテーブルに置いた。
百合は、どうにもその頬骨が気になってしまった。
「その頬骨はどんな役割があるんでしょうか」
司牙は眉を上げた。
骸骨属であることを示すためのものだという。
百合は続けて質問した。
その歯の役割は?
どうやって食事をするのか?
骸骨はみんなそんな見た目なのか…とか
「もしかして、僕のことを疑っているの?」
百合は意を決して話すことにした。
百合のいた “あっち” の世界での『トンネル事件』のことを話した。
「なるほど、それで僕が犯人であると?」
司牙はここであることに気づく。
「中毒患者」と、この「トンネル事件」は共通点がありそうだ。
——トンネル事件での単独事故
——失った足
——増える中毒者
なるほど、面白い。
「では、どうやったら僕の潔白を証明できる?」
「その仕事、私も手伝えないでしょうか」
なんだって?
「私は今まで自分が “見える” と思っていませんでした。こんなチャンスきっとありません。司牙さんだって、 “あっち” の情報、欲しくないですか?」
「ダメだ」
やっぱりそうか。
司牙はしばし黙り――そして微笑む。
「と言いたいところだけど......僕もこのチャンスを逃したくない。古い資料は失われ、手が足りない。でも、重要参考人の百合さんがいる。君が人間だと隠せば、骸骨属として暮らせるだろう」
二人は静かにうなずき合った。
そういうと、2人の意見はまとまり、今後の生活について話し合った。すると、司牙の携帯に一本の電話が入る。彼は席を外し話し始めた。
相手は彼女だと言う。
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