テーマは『やさしいきょうき』
優しい狂気 問題編
「彼女がこんなことするはずないんです」
そう、一ノ瀬ほたるは言い切った。別に盗み聞きするつもりではなかったのだけれど、私は薄い仕切りの向こうの会話に耳をべったりとつけて聞いていた。
「えっと、二ノ宮ゆきさんとは中学校からの付き合いだとか」
先生がため息混じりに言う。昨日の酔いがまだ残ってるのか少し気だるげな口調だ。
「はい、和弘さんとも高校の同級生です」
被害者の横山和弘さん。依頼主の一ノ瀬ほたるさんの婚約者だとか。
そして先ほど先生があげた名前、二ノ宮ゆきさんが今回の容疑者。一ノ瀬ほたるさんとは親友の間柄であったという。婚約者の殺害容疑が親友にかかっているというのだから、彼女も信じられないのは仕方がないのかもしれない。
結婚前夜の悲劇とニュースでは流れていたけど、まさかそんな人がうちの事務所に訪ねてくるとは思わなかった。
事件の経緯はこうだ。
一週間前、横山和弘と一ノ瀬ほたるの結婚前夜、二ノ宮ゆきは被害者、横山和弘を人気のない国道沿いの緑地公園の一画に呼び出した。
以前から横山に恋愛感情を抱いていた二ノ宮は、一ノ瀬との婚約を解消するように横山に要求した。二ノ宮の要求を断った横山に対して、二ノ宮は逆上。トラックが走ってくることを確認した二ノ宮は横山をトラックの前に突き飛ばした。
トラックはそのまま逃走。二ノ宮は横山の遺体を、横山の乗ってきた車に乗せて緑地公園へ移動。途中、工事現場よりショベルを盗み出し、複数回、頭部を殴打した後、横山を地面に埋めた。
翌朝、遺体発見の報を聞いて、二ノ宮は自首。車に残された指紋などから犯人と断定。現在に至る。
とりあえず、ニュースで見た限りではこんな内容だった。疑いの余地がないどころか、二ノ宮は自首した上に容疑を認めている。それを裏付ける証拠もいくつか出ているのだから間違いない。
「ん、まぁとりあえず、調べてみないことには何とも言えないってこと。そんなわけで一ノ瀬さん、事件のあった夜のこと少し聞かせてもらえるかな」
「事件のあった夜……ですよね。私、ゆきと電話で話をしていたんです。緊張してじっとしてられなくって。ゆきは特に変わった様子もなく、いつもどおりの調子で話をしていました。――何時頃かですか? 八時過ぎですね。確か一時間ほど話した頃くらいに、ゆきが誰かから連絡が来たって電話を切ったんです。それからしばらくしてメールで、予定が入ったからまた後でかけるって連絡がありました」
先生はふぅん、と一言呟いて、もういいよ、と一ノ瀬さんに言った。もう少し調べるの時間がかかるよ、と忠告して一ノ瀬さんを帰した。
「京子ちゃん、私出かけるから留守番よろしくね」
先生がそう言い残し、事務所を出て行く。きっと色々調べて回るのだろう。こんなとき留守番をしなくてはならないというのはもどかしい。
仕方なく、私は携帯電話を取り出した。
ソファに身体を投げ出して、身体をリラックスさせて通話ボタンをプッシュし、“アクセス”した。
「こんにちは京子。どうかしたの?」
「事件よ事件。また事件。それでね、キヨちゃんに調べて欲しいんだ」
目を瞑ると、青白い幾何学模様に包まれた私そっくりの女の子が困った顔をして笑っている。
「ふぅん、またヘンテコな事件に行き会ったのね。これに関する情報を調べていけばいい?」
彼女は、キヨ。私の超能力みたいなものである。
この世界には、私たちが生活している世界の裏に、情報だけで構築された裏の世界が存在するのだという。物や、動物、もちろん人間もすべて情報に変換されている、らしい。
私は携帯電話を通じて、キヨにアクセスすることが出来る。キヨはその情報世界に残された物事を調べることが出来る。どうしてそんなことが出来るようになったのかは自分でもよく分からない。便利だからあまり深く考えないのは、キヨ曰く私が馬鹿だからだそうだ。
そんなわけで、私はときどき、先生のところに面白い事件が舞い込んできたら、キヨにアクセスして自分なりに色々調べてみることにしているのだ。
「遺体が発見されたのは午前六時半、近所に住む40代のサラリーマンね。日課のジョギングの最中、公園内で遺体を発見したそうよ」
「ん、ジョギング中に? 遺体は埋めてあったんじゃないの?」
「うん、埋めてあったわ。腕だけ飛び出てたけど。地面から腕が生えてるのを見て、通報したみたい。それから警察が来て掘り起こした際に、顔面を殴打された男性の遺体を確認したってわけ」
視界に遺体発見現場の状況が映し出される。でも遺体にはモザイクがかかっている。私には見せられないような映像らしい。
発見現場のすぐ傍に、二ノ宮が使用したと思われるショベルが落ちている。土だらけになっていることから間違いないだろう。
「横山さんの車はすぐ傍に乗り捨てられていたわ。遺留品も大体は車の中にあったみたい。財布に携帯電話、金目のものも取られた形跡はないわね。後部座席には横山さんの血痕が残ってたみたい。――それと運転席に、二ノ宮さんの血が少量ながらあるね」
「二ノ宮さんの?」
「――うん、運転席の右側、扉のあたりに付着してるわね」
「事故現場は?」
「公園のすぐ脇の道路ね。二ノ宮さんが秘密にしたいみたいで、情報が少ないけどまずは分かる範囲でね。――事故があったのが十一時半頃、二人は公園の自販機で買った缶コーヒー……これは公園脇に設置されたベンチに残っていたわ。横山さんの指紋がついたものがベンチに、二ノ宮さんのものは道路わきに転がっていたみたいね。二人はこれを飲みながらしばらく話をしていたみたい。ここからはノイズが多くて不明瞭だから、二ノ宮さんの供述にそって説明するね」
一瞬のノイズのあと、風景が変わる。ここは警察の取調べ室だろうか。ドラマで見るよりもずっと質素な作りだ。
(……彼、私を愛してたんです。私も、彼を愛していたんですよ? でもね、全部あの女が悪いんです。私から何もかもを奪っていって。騙されてるんですよ。みんな。彼もその一人で……私は目を覚まさせようと、分かってもらおうとしたんです。でも彼は私の話なんて聞きもしないで)
瞬き一つせずに、ずっと喋り続けている二ノ宮さんがそこにいた。ぼさぼさの乱れた髪に焦点の合わない視線。ぞっとするような冷たい感覚が私の頭の中にダイレクトに入り込んでくる。
(私には助けられない。そう思ったんです。そのとき、光が見えたんです。狂ってしまった彼が救われるには……私たちが一緒になるには一つしかないじゃないですか? 右からトラックが来てくれたから、彼の背中を押したんです。彼ったら抵抗するものだから、ほら、私、怪我しちゃったんですよ。これ、肘の。痛いけど、でも跳ね飛ばされた彼もね、同じだったんですよ)
笑い声が、部屋に木霊する。だけど目だけが笑わずにじっと相手を見つめている。
(土に返してあげなきゃって、思ったんです。あんな寒いところ、嫌じゃないですか? 埋めているとき、彼ったら私に痛い痛いって言うんです。黙れって言っても痛い痛いって。自分が悪いんじゃないですかぁ? だからね、躾けたんです。ほら、子どもがいけないことしたら、頭をぺちんってやるでしょう? だから私もばんばん叩いたんですよ。そしたら真っ赤になってねぇ? アハハ……ハハアハハハハハハハハハハハ!)
「ご、ごめん、もういい……」
吐き気がしてきて、私はキヨに再生をやめさせた。
「こんな具合に、二ノ宮さんは彼に殺意をもって、トラックが近づいてくることを確認して、突き飛ばしたみたい。――同刻、物流業者のトラックが集荷を終えた帰り道、公園を左手に沿って走っていた。夜勤だった彼はふいに居眠りをしてしまい、黄色の点滅信号を、一時停止せずに入ってしまった。運悪く、そこで横山さんが轢かれてしまった。気が動転した運転手はそのまま逃げてしまったみたいね。横山さんは頭部を強く打って、ほぼ即死だったみたい」
「押し飛ばされたか、飛び込んだかはわからないのよね……」
「そうねぇ。京子の知りたいってのはここよね?」
「うん、もし一ノ瀬さんの言うとおり、二ノ宮さんが犯人じゃないってのならこのあたりに本当のことがあるのよね」
先ほどの映像のせいで、とても彼女がまともな人のようには思えない。狂気に満ちた言葉に、空っぽの目がまだまぶたの裏に焼きついていた。
「――道路には五メートルほど、ブレーキの痕があるわ。歩道を過ぎたあたりから少し中央よりに曲がる感じで」
「二ノ宮さんと被害者のそのときの位置は?」
「二ノ宮さんは歩道の右側車線あたり、被害者は公園側……左車線ね。そこのアスファルトに二ノ宮さんの血痕が残ってるわね。ここで右肘を怪我したみたい」
「他に怪我とかしてない?」
「うん、右の肘だけね」
ふぅん、と自然と私は小首を傾げる。頭の中で、事件現場の状況を整理してみる。
「ケータイがあったって言ってたね。さっき」
「うん。でもケータイには何も残ってないよ。指紋もそうだし、メールも何も」
「それって二ノ宮さん自身のケータイも同じだったりしない?」
キヨがこくこくと頷く。
なるほどね、と私は頷いてキヨの頭を撫で撫でしてあげた。
被害者はなぜ死んだのだろう。本当にこの事件は狂った二ノ宮による殺人事件なのだろうか。
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