嵐の館の密室

天久

嵐の夜の館

第一章 嵐の夜

午後七時。豪雨の中、天城透(あまぎとおる)は館の玄関に立っていた。雨に濡れたコートを脱ぎ、眼鏡の奥から館を見上げる。黒々とした外壁、鉄柵に囲まれた敷地。まるで外界から切り離された牢獄のようだ。

「よくぞおいでくださりました、天城先生」出迎えたのは、秘書の橘慎一(たちばなしんいち)だった。背筋を伸ばし、無駄のない動作で一礼する。「ご主人がぜひにと。病床に伏しておりますが、どうしてもお話したいことがあると…」館に足を踏み入れると、古びた絨毯と重厚な柱時計の音が迎えた。廊下の向こうから、華やかな笑い声が聞こえる。その中心にいたのは、主人の甥にあたる黒瀬遼(くろせりょう)と、その恋人小早川怜奈(こばやかわれいな)だった。「おや、探偵先生じゃないか。こんな山奥までご苦労なことだな」遼は薄い笑みを浮かべ、グラスを掲げる。「まぁ、座ってよ。外は大荒れだし、退屈しのぎにはちょうどいい」

そこへ現れたのは、主人の娘、黒瀬結衣。冷ややかな視線で遼を睨みつけ、怜奈を値踏みするように眺める。「あなたがどれだけ遊んでも、父の遺産は渡さないわ」「へぇ、強気なお嬢さんだな」二人の間に漂う火花を、館の空気が重く受け止めた。

夕食の席では、さらに二人の女性が加わった。

長年仕える佐伯志乃(さえきしの)と、若いメイドの森川菜摘(もりかわなつみ)。志乃は穏やかな笑みを絶やさないが、その瞳の奥には何か秘めたものがある。菜摘は緊張で手を震わせつつも、必死に給仕をこなしていた。

やがて食後、館の主人黒瀬拓真(くろせたくま)が姿を現した。痩せ細り、病に蝕まれた身体。だがその眼差しだけは鋭い。

「……よく来てくれた、天城先生。私は……命を狙われているのだ」

その言葉に、食堂の空気が凍りついた。そして雷鳴が轟く。嵐の夜、最初の不吉な鐘が鳴らされた。


第二章 密室

その夜、嵐はいっそう激しさを増していた。

窓ガラスを叩く雨音、途切れ途切れの雷光。館は外界から完全にも隔絶されている。夜半、廊下を巡回していた女刑事真壁美沙(まかべみさ)は、ふと主人の寝室前で足を止めた。中から微かな物音何かが倒れるような音が聞こえた気がしたのだ。扉を叩く

「黒瀬さん?大丈夫ですか?」返事はない。扉は内側から鍵が掛けられている。異変を察した美沙は急ぎ人を呼び、秘書の慎一、娘の結衣、そして探偵の天城透が駆けつけた。扉はびくともしない。中から重厚な錠前がかかっている。窓は分厚い鉄格子と雨戸で覆われており、外から侵入できるはずもない。仕方なく、みんなで力を合わせて扉を破った。

そして、部屋の中央に倒れていたのは、主人黒瀬拓真の無残な姿だった。胸を鋭利な刃物で一突き。ベッド脇にも血溜まりが広がっている。苦悶の表情を浮かべ、まだ温もりを残した遺体。だが、部屋には他の誰もいない。完全な密室。

「…殺された?」結衣が呟き、震える。「自殺の線は?」と怜奈が怯えた声を上げるが、すぐに天城が否定した。「狂気も見当たらない。もし自ら刺したのなら、刃物が残っているはずだ」メイドの菜摘が泣きそうな声で叫ぶ。「でも…でも、誰も入れなかったはずです!」その言葉通り、扉も窓も施錠され、破られた痕跡はない。部屋の主人とともに完全に閉ざされていた。天城透は静かに眼鏡を押し上げ、遺体を見下ろした。「密室……か。なるほど、犯人は随分と趣向を凝らしたようだ」


第三章 疑惑

死体発見後、館の空気は一変した。

動揺する者、怒る者、黙り込む者、それぞれが不安と疑念気囚われていた。真壁美沙が毅然と声を上げる。「これは殺人事件よ。外は嵐で誰も出入りできない。つまり犯人は、この館にいる誰か」視線が九人の間を巡る。疑いの眼差し、恐怖の吐息。館そのものが一つの牢獄となり、全員が囚人に変わった。

そんな中、甥の黒瀬遼が苛立ったように声を荒らげた。「ふざけるな!俺に何の得がある!確かに金は欲しいが、こんな真似はしねぇ!」「逆に動機があるのはあなたでしょう」黒瀬結衣が鋭く切り返す。

「財産を狙って父を殺した。それ以外に考えられないわ」「待ってください」天城透が2人の間に割って入る。「感情的に犯人を決めつけても意味はない。大事なのはどうやって殺したかだ。…この密室をどう作り上げたのか」皆が息を呑む。密室の謎が解けなければ、真犯人を見つけることはできない。そして天城はゆっくりと部屋を見渡した。時計、机、倒れた椅子、そして…濡れた足跡。それは窓際からベッドへと続いていた。「…面白い」天城の目が鋭く光った。「どうやら、犯人は痕跡を消し切れなかったようだ」


第四章 容疑の連鎖

黒瀬拓真の死体が運び出されると、館の大広間には重苦しい沈黙が満ちた。外は依然として嵐。電話も通じず、助けを呼ぶこともできない。つまり、解決しなければならないのは彼ら自身だった。「まず確認しておきたい」天城の低い声が、静まり返った空間を切り裂いた。黒瀬氏が亡くなったのは午後十一時前後とみられる。密室に見えるが、窓際に残された濡れた足跡…犯人は嵐の最中、一旦外に出て、また戻ってきた可能性がある」その言葉に皆がざわつく。「外に出た…?この豪雨の中で…?」怜奈が青ざめ、肩を抱く。「不可能ではない。雨戸の内側に付着した泥、そして部屋に持ち込まれた水滴……証拠はある」天城は断言した。すると、結衣が立ち上がった「じゃあ…!犯人は、外に出られるだけの体力がある人間、父のような病弱じゃない誰か!」その視線は真っ直ぐに甥の遼に注がれた、「あなたしかいない!」「馬鹿な!」遼はテーブルを叩き、顔を真っ赤にする「この嵐の中を出歩くなんて命がけだぞ!そんなこと俺にできるか!」「でもあなたは金に困っている。父がいなくなれば遺産が…」

「黙れ!」激しい口論に、場が荒れ始める。だがその時、秘書の橘が冷静な口で割って入った。「お嬢様、落ち着いてください。…遼様を疑うなら私だって容疑者になります。私は鍵を管理していました。主人の部屋の合鍵を持ってるのは、私ただ一人ですから」その言葉に、一同の表情が凍りついた。

「つまり…」女刑事真壁美沙が低く言った。「あなたなら、簡単に主人を殺せた…」橘は微動だにせず答える。「えぇ、しかし私は、午後十一時の時刻には書斎にいました。証人もいます」「証人?」

橘は一瞬視線を逸らし、年若いメイド森川菜摘を見やった、菜摘はびくりと肩を震わせ、言葉に詰まる

「わ、私は…確かに、十一時頃、橘様が書斎にいるのを見ました…」その証言に美沙は眉をひそめる。「だが、それが本当かどうか、誰も確かめようがない」そして、さらに重苦しい空気が流れた。誰もが誰かを疑い、誰もが自分の潔白を証明できない。そのとき、大広間の灯りがふっと瞬き、全員の心臓を掴むような音を立てて停電した「きゃぁぁっ!!」怜奈の悲鳴が闇を切り裂く。館を包むような暗闇。雷鳴が一度、館を白く照らした。そして次の瞬間、闇の中で不気味な悲鳴が響いた。


第五章 第二の事件

闇の中、誰かの悲鳴が館を震わせた。次の瞬間、発電機がうなる音と共に非常灯が点き、淡い橙色の光が大広間を照らす。そこに倒れていたのは…小早川怜奈だった。華やかなドレスの胸元が赤く染まり、呼吸はすでに途絶えている。「怜奈…!」甥の黒瀬遼が駆け寄り、絶叫した。「誰だ…!誰がやったんだ…!」だが彼女の身体の下には、一本の短剣が突き立っていた。しかも、驚くべきことに、その短剣は、最初の被害者である黒瀬拓真の部屋から持ち出されたはずの凶器だった。

「凶器が…戻ってきた?」女刑事真壁美沙が目を見開く。「どういうこと……?あのとき、部屋には凶器はなかったはず」探偵の天城透は短剣の柄を覗き込み、低く呟いた。「犯人は、凶器を最初の現場から持ち去っていた。そして今、再びそれを使った。つまり、この二つの殺人は明確に繋がっている」広間にざわめきが広がる。そして誰もが気づいた、停電は偶然ではない。犯人はこの闇を狙って、怜奈を殺害したのだと。


第六章 追い詰められる者たち

怜奈の死で、館の空気は決定的に壊れた。泣き崩れる遼、怯える菜摘、冷静を装う橘、唇を噛みしめる結衣…そして、みんなの視線は再びお互いへと突き刺さる。「二度も殺人が起きた。もう誰も信用できない」美沙の声は鋭く、張り詰めていた。「犯人はこの中にいる。それは疑いようがない」「じゃあ俺を疑えって言うのか!」遼が叫ぶ。「俺はずっと広間にいた。なのにどうして怜奈を殺せる!」「確かに」天城が静かに頷く。「停電の数分間、税金が混乱していた。つまり、誰にでも犯行は可能だった。…だが」天城は視線を巡らせやがて一人に視線を止める。「怜奈さんが殺されるた位置を見てほしい。大広間の中央、つまり彼女は暗闇の中でもそこに立っていると分かっていた者に狙われたんだ」その指摘に、全員が息を呑む。犯人は、怜奈の立ち位置を正確に把握していた人物、彼女と会話をしていたか、あるいは直前まで傍にいた人物。不意に若いメイド森川菜摘が小さく叫んだ。「わ、私…見たんです…!停電する直前、橘様が…!!」「黙れ!」

橘が鋭く遮った。その迫力に菜摘は震え上がり、言葉を失った。その様子をみて、真壁美沙が橘に詰め寄る。「やっぱりあんたが…!密室の鍵を持っていて、二度目の殺人でも一番怪しい…!」「お待ち下さい」天城の眼光が一層鋭さを増す。「ここまで堂々と宇陀会を集められているのなら、逆に真犯人は別にいると考えるべきだろう」


第七章 探偵の推理

嵐の夜は終わっていなかった。大広間に再び灯りが戻ると、天城透はゆっくりと歩き、全員の前に立った「さてここで整理しよう」天城の声には緊張感が漂い、全員の視線が一点に集まった。「黒瀬拓真さんが殺されたのは密室。しかし、部屋に凶器は残されていなかった。凶器は誰かによって持ち去られた。次に怜奈さんの死。凶器は再び使われた。つまり犯人はこの二つの現場を把握し、操作できる人物だ」天城は指で部屋の位置関係をなぞる。「拓真さんの寝室は二階。怜奈さんが殺されたのは一階の大広間。どちらも犯行時には目撃者がいない。では、どうやって犯人は密室を作ったのか」天城は濡れた足跡を示す。「この足跡。二階寝室から大広間へ、直接はつながらない。しかし階段の手すりは形状を考えると、犯人は移動経路を偽装している」結衣が眉を寄せる。「どういうことですか?」「つまり、最初の殺人現場寝室の密室は、実際には死体を別の場所から運び込んだことによって作られた偽の密室だ。拓真さんは、別室で殺され、その後寝室に運ばれた。凶器も同様に操作され、見せかけの証拠が配置されたのだ」美沙の目が大きく見開かれる。

「じゃあ…最初の密室は全部フェイク?」「そうだ」天城は頷く。「では誰がそんなことをできるか。鍵を持っており、館の構造を熟知している人物…橘慎一だと思われるだろう。しかし、彼にはアリバイがある。証言も存在する。だから、彼を疑わせるのは犯人の狙いでもある」館内に沈黙が流れる。天城はさらに付け加えた。「犯人は皆の疑心暗鬼を利用した。停電、豪雨、混乱……すべて計算されている」


第八章 真相

天城はゆっくり歩き、大広間の中央に立つ。

「では、真犯人を明かそう」全員の視線が天城に注がれる。「犯人は……黒瀬結衣、あなただ」一瞬、誰も声を出せない。結衣の顔が青ざめる。「な、なんで…?」「理由は明白だ」天城は冷静に説明する。「結衣さんは父親の財産を独占したい、しかし目立つことはできない。そこでまず、拓真さんを別室で殺害し、寝室を密室に見せかけた。凶器は運び出し、次に停電を利用して怜奈さんを殺害。これはあなたが拓真さんの殺害計画を知っていた可能性を消すため」天城は部屋の間取り図を床に広げ、指で示した。「寝室の窓から続く雨で濡れた足跡、移動のタイミング、短剣の運搬……全てあなたの動線に沿っている」結衣は崩れ落ちた。「でも……橘さんが怪しいと思わせるために、私は演技した……」天城は頷き、最後に言った。「犯行は見事だった。しかし、完全な密室など存在しない。些細な痕跡、濡れた足跡や家具の位置、電気時計の動き…それが全て解決の鍵だった」美沙が手錠を掛ける。「黒瀬結衣さん、あなたを二人の殺人の罪で逮捕する」嵐が徐々に遠ざかり、夜明けの光が窓から差し込む。館の中は静まり返り、犯人は捕らえられた。しかし、誰もが心の奥底で知っていた。この夜の恐怖は、決して忘れられはしないだろう…と。

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嵐の館の密室 天久 @ameku0902

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