第2話 地図を描けるか、ピザを焼けるか

 あたしはガタゴト揺れる馬車の中。膝の上にはスケッチブック。荷台にはピザ屋のバイク。向かい側にはルディオ侯爵。そしてあたしの脳内はフル回転中。


 どうしよう、これ、異世界ってやつだよね?ちゃんと帰れる?バイト代は?いや、そんなことは今はどうでもいい。まずは生き延びること!


「リンよ。そなたは“地図”というものを……何のために描く?」


 ルディオ侯爵が声をかけてきた。

 何のため?ってなんだろ。なんでそんなに真顔で聞くの?


「えっと……ただ好きで……。風景を覚えるのが得意なので……」


「ほう。“覚える”、と?」


「はい。子供のころから一度見た場所は忘れないんです」


「それは珍しい。――リン、そなた、その技で王都を描いてみよ」


「え?」


「もしそれを描けるならば……その価値は計り知れない。我らの領地の外には、未だ知らぬ土地が広がっておる。街と街をつなぐ道はあるが、この世の全てを描いた者は誰もおらぬのだ。――ゆえに、もし成し遂げられるのならば、間違いなく歴史に名を残す偉業となるだろう。」


 地図ってそんなレアアイテム?そりゃそうか…どこに何があるか、どんな人がいるかがわかったら情勢が変わるよね。例えば…国交とか、旅行とか、資源の供給に貿易…あとは…まさか侵略…とかはないよね?


 あたしはドキドキしながら外を見た。街道、遠くの丘、そびえ立つ木々、電線がひかれていないどこまでも続く青空……全部、脳に焼き付いていく。


……でも本当に、あたしにしかできないことなのかな。


「……あの、ただの趣味ですけど……」


「趣味で世界を変えられる者もいる」


…と言われて沈黙……。そしてもう一度ルディオ侯爵のターン。


「そう言えば先ほど、“ピザ”と申していたな。あれはどうやって作ったのだ?」


「あっ、えっと……ピザは……生地の上に具材を乗せて、焼きました。」


「あれは明らかに高火力の火をあてがったものだな。リンが自らやったものなのか?」


「えっまぁ…はい。」


 生地をオーブンに突っ込んだだけなんだけど。


「ほう、面白い。」


「……実家がパン屋なので、少し作れる…と言いますか……。」


「そうか。ならば、それも王都で作ってみるがよい。」


「えぇぇぇ!?」


「材料と費用は、こちらで用意しよう。」


「そんな簡単に!?」


 異世界で地図を作れ、ピザを作れ、と侯爵に頼まれる女子高生。あたしの脳は処理落ちしそうだ。


――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


 30分後。視界の先に――巨大な城壁が見えた。


「ここが我がフローラリア王国だ。歓迎しよう。」


 視線の先には、灰色の石壁に囲まれた小さな城下町が広がってる。その奥には大きな城。まるでファンタジーの風景。いや、現実なんだけどさ。


「ここが……」


 馬車からでも街の賑わいが伝わってきた。

 

 目の前の通りには屋台の列がずらりと並んでいて人の流れが絶えない。干し肉や野菜、山盛りの果物を買う人の姿も見える。通りのあちこちでは呼び込みの声が飛び交い、その合間を縫うように子どもたちが走り回っている。笑い声が風に混じって、まるで祭りの日みたいな華やかさがあたしを迎えてくれた。———いいなぁ、こういうの。


 それを見てたらなんだか急に子供の頃を思い出しちゃった。朝4時に起きて、お父さんとお母さんが捏ねていたパン生地。焼き立てを一口食べるとサクッと音がして、口の中で湯気がふわっと立ち上る。――あたしはあの香りで育ったんだ。


 ピザもそうだよね。焼き立てこそ命。でも異世界でピザなんて作れるのかな…。


――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


 城の前で馬車から降りる。王都の空気を肌で感じると、その力強い活気に圧倒された。絵本の世界に迷い込んだみたい。


「すごく広い街…」


思わずスケッチブックを開く。……この街を、地図に描いてみたい。


「リンよ。しばらく滞在する場所が必要だろう。あと服も。」


「まぁ…そうですね…」


「こちらで手配する。代金の心配はいらない。」


「え、え、本当に良いんですか?あ、ありがとう……ございます!」


 なんか異世界優しい。だけど、とんとん拍子に話が進んでちょっと怖い。


 ルディオ侯爵に案内されたのは街の中心近くにある宿屋だった。木の扉を開けると、パンとスープの香りが広がっている。食堂も兼ねてるのかな?カウンターの奥から、ふくよかな女将さんが顔を出した。


「いらっしゃい!……あっ、侯爵様!? こ、これはこれは!」


「忙しいところ失礼する。この娘に部屋を頼む。代金はこちらで支払う。あと女物の服はないか?なんでも良い。このままだと王都を歩くにはちょっと奇妙な服装でな。」


「かしこまりました。ご用意いたします。」


 さすが侯爵様。顔が知れてるんだね。女将さんがビックリしてた。


 鍵をもらって、ルディオ侯爵とはここでさよならした。明日の朝にまた来るって。あたしは二階の部屋に入ってベッドに腰を下ろすと、どっと疲れが押し寄せてきた。

街の喧騒が遠くに聞こえる。……ここ、本当に異世界なんだ。


 バイト中に異世界。スマホは使えない。バイクのガソリンは残り半分。帰れる保証はゼロ。


 そんなことを考えてると自然と涙が流れた。色んなことが急にありすぎて…しつこいくらい不安が前に出てくる。明日起きたら元の世界に戻ってないかな。


 「あたし…これからどーなるんだろ…お父さんもお母さんも心配してるだろうな。」


――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


 …久しぶりに大泣きしたら少しスッキリ。そしたら不安いっぱいの胸の奥の奥で、小さな、すごく小さな炎が灯っているのを見つけられた。それが消えないように不安を払ってあげる。


 地図か…世界中の空白を自分の手で埋める―――ここでなら、その夢が叶うかもしれない。それにピザも…


「よし……異世界ここで、生きてみるか!」


 そうつぶやいた瞬間、心臓がドクンと高鳴った。

———ピザの香りと一緒に、この世界の地図も広がっていくんだ。

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