第12話
練習を終えて帰宅し、夕食を取って勉強をした後、家族が寝静まってから風呂に入るのが
期待と不安を両手いっぱいに抱えて迎えた中学校生活は、戸惑いとがむしゃらのうちに終わった。バンドへの憧れを胸にスタートした高校生活はまだ始まって半年しか経たないというのに、あと半年でもう二年生がやってくる。容赦なく走り続ける時間という列車が空楽を否応なく運んでいく。空楽は月明りを見上げながら目を閉じた。思えば半年前には、家族が寝静まった後に一人で起きているなんてこともなかった。任せてもらえることが増え、同時にその責任も背中に積まれて行く。一歩ずつ大人に向かっていく。高校三年生の誕生日が来れば成人することになる。いつまでも来ないような気がしていたその日は、もう見えるところまで近づいている。きっとあっという間にやってくるだろう。そうしたら大人の仲間入りだ。空楽は今、家族よりも近い存在になっているメンバーたちを思い浮かべた。永遠に続くような気がする、続いてほしいこの時間は決して永遠ではなく、高校生活はたった三年で終わる。その六分の一がもう、終わろうとしていた。卒業しても今みたいにバンドを続けることはできるのだろうか。瞼の裏に描こうとしてみても、今の空楽にはまだ、高校を卒業した自分たちを想像するのは難しかった。
想像するのも難しいほどの未来はでも、すぐそこまで来ている。どんなに抗おうと、そう遠くない未来に卒業を迎えることになる。空楽は目を開いた。空楽の両親も、そのまた両親も、そのまた両親もきっと見上げたであろう月は太古の昔から変わらず、静かな光を放っている。この同じ空の下にみんないる。同じ月明かりに包まれながら、空楽の知っている人たちが息をしている。瑠海、琴那、六弦、雫、友成くん、ロシアンルーレットの喜多楽、鼓道さん、実菜さん、敏志さん、あざとくかわいい芽里ちゃん、大人っぽく妖艶な年下の璃安ちゃん、島沼の陽気なみっちーさん、珈琲屋の頼れる澤木さん、練習場を作ってくれた瑠海のお父さんと島中さん、タイヴァスのライコさんと灰谷店長、琴那を許してくれなかった瞳、もう東京に戻ってライブをしているだろう国士夢想の人たち。みんな同じ空の下で生きている。たくさんの道があって、それぞれがみんな違う道を進んでいる。家族より濃密な時間を過ごしているバンドのメンバーたちは、束の間並んで歩いているに過ぎないのかもしれない。
「永遠なんて残酷なほど短いんだなあ」
空楽は開いた右手を空に掲げて月を隠し、深く息を吸った。
「空楽、きみの夢はなんだい?」
空楽は掲げた右手を見ながら声に出した。ゆっくり右手を握るとはみ出した月明りが空楽の拳を包んだ。
「きみの、夢は?」
空楽には夢というのが見つけるものなのか、それとも生み出すものなのかもわからなかった。
*
ライブの当日、六バンド中三番目に出演するSTUNNUTSは逆リハの四番目、午後三時からリハーサルであった。三十分前には会場入りしようと話し合った空楽たちだったけれど、手伝ってくれる雫も含めて五人、タイヴァスのある商店街で待ち合わせてお昼ご飯を食べて、そのままお茶しながら入り時間まで過ごすことにした。
今日は琴那もスネアドラムとバスドラム用のペダルを持参しているので大掛かりな荷物を持っていたので、五人はかさばる楽器を持っていても入れそうな、ビルの地下にある古風な雰囲気の喫茶店に入った。重そうな分厚いテーブルをベンチ型の椅子が挟んでいた。空楽たちは楽器を壁際に立てかけてベンチに腰を下ろした。座面のクッションは想像よりも深く沈み込み、同じぐらいやわらかい背もたれと一緒に身体を包み込んだ。
「ふああ。すごい椅子だね。立ち上がれなくなりそう」
「ちゃんと時間見て遅れないようにしないとだね」
「一人だったら寝ちゃって遅刻するところだったよ」
「その前に一人だったらこのお店に入らないんじゃない?」
「たしかに」
空楽と瑠海は笑いあった。五人はそれぞれコーヒーゼリーやパフェなどのデザートを注文した。
「なんかこの辺がさ」
空楽は右手で胸を押さえながら言った。
「じんわりあったまってる感じがするんだよ。緊張してるのに近いんだけど少し違う」
「なんかわかる。うちも緊張してるんだけど、ただの緊張じゃなくてワクワクする緊張だよね。そこへ行くと二人はいつも平常運転だよね」
琴那は六弦と瑠海を交互に眺めた。
「おれも一応緊張はするよ」
六弦が言うと雫も含めた全員が「ほんとに?」と同時に言った。
「いや、するよ、緊張。音出しちゃえばそっちに集中するから演奏は普段と変わらないけどさ。最初の音を出す直前までけっこうドキドキしてるよ」
「そうなのか。顔にも音にもまったく出ないのすごいね」
「顔はね。けっこう意識的にスカした顔してる。おれ余裕だし、みたいな」
六弦はそう言って笑った。
「瑠海は? 緊張とかする?」
空楽は瑠海の方を向いた。
「緊張はたぶんあんましないと思う」
「すごいね。何やるときでも緊張しないの? 例えばなんか大勢の前で話すとか」
「うん。緊張はあまりしないかな。やりたくないなと思うことはあるけど」
「見られてると緊張するとかもないんだ」
「うん。だって見せるためにやってるんだもん」
瑠海の言葉に空楽ははっとした。
「それか」
空楽は大きな声を出して慌てて口元を押さえた。
「ごめん。声出すぎた。でも、それだ。わたしに足りなかったもの」
突然の大声で呆気に取られていた瑠海がほほ笑んだ。
空楽はこれまでに競演した人たちを思い出していた。圧倒的に見せる意識の高かった芽里。自分の音楽に合った衣装を着て周囲を魅了した璃安。ヘビーなサウンドのロシアンルーレットやわかりやすいロックの国士夢想なども皆、その場に集まった人を楽しませようとしていた。
「わたし、自分だけ楽しんでたよ」
「自分が楽しむことは悪くないと思うよ。楽しそうに歌う空楽を見ることで見てる人も楽しくなるからね」
六弦が言った。
「うん。でも、それだけじゃ足りないよね。わたしたちを見に来る人も、他のバンドを見に来た人も、みんなに楽しんでもらいたい」
「本番数時間前にすごい大発見をするうちのリーダー」
琴那はパフェをつついた。
「緊張がじわーっと溶けてく感じがする」
空楽はまた胸に手を当てた。
「そうか。見られてるんじゃないんだ。見せてるんだ。見せてるんだよ」
空楽はほとんど自分自身に向けて言った。
「よし、じゃ会場に行く前にここで記念撮影しよう」
雫が携帯端末を小型の三脚に乗せてテーブルに置いた。
「機材がアップグレードされてる」
瑠海が笑った。五人は肩を寄せ合って写真を撮った。五人が生まれる前からこの場所にある調度品たちが、彼らのかけがえのないひとときを見守っていた。
*
空楽たちがタイヴァスに到着すると、ちょうどロシアンルーレットがリハーサルをやっていた。入っていくとライコに呼び止められ、メンバーは出演者の、雫はスタッフとしてのバックステージパスをもらった。空楽たちはシール状になっているそれをそれぞれの服の上に貼り付けた。
ステージで音を出しているロシアンルーレットを横目に見ながら空楽たちは楽屋に入った。楽屋には質素な丸椅子とテーブルがあり、壁際に他のバンドの荷物がバンドごとにまとめて置かれていた。バックステージパスや雑多なステッカーが貼られ、サインなども数多く書かれているにぎやかな壁に、サインペンで今日の出演順が書かれたコピー用紙が貼ってあった。出演は順に
空楽たちはリハーサルを終えたロシアンルーレットと軽く挨拶を交わし、自分たちのリハーサルのためステージに上った。知らないバンドがたくさん出てくる対バンイベントだと、ライバルのはずのロシアンルーレットは仲間という感覚になって、ともに新たなライバルを迎え撃つ同志のような親しみを覚えた。空楽たちは自分たちのリハーサルの後も会場に残り、客席から他のバンドのリハーサルを眺めた。最後に会場入りした芽里のバンドがリハーサルを終えるとライコが客席に残っている出演者に声をかけた。
「開場五分前です。楽屋は次の出演者に優先的に使わせてください。それ以外の出演者はここに残る場合は客席の後方とか、チケット買って入ってるお客さんの邪魔にならないところにいてください。あと終演後にお客さんとがやがやするのは店内のロビーか、どっか近隣の店に入ってやってください。くれぐれも店の前の道路にたむろしないようにお願いします。マジで苦情来ちゃうんでよろしく。本番のステージ転換は十分間なんで、終わったらなるはやで撤収。準備もなるはや。全部なるはやでよろしく頼みます。じゃ本番よろしく。盛り上げていきましょう」
開場時間になるとぽつぽつとお客さんが入り始めた。一番目が芽里のバンドということもあって芽里のファンや東高の生徒が目立っていた。開演五分前にはかなりの人数が入っていて、空楽が想像していたよりもはるかに密集した状態になっていた。
「どうだい、調子は」
客席の一番後ろに立っていた空楽に声をかけたのは澤木だった。
「澤木さん、来てくれたんですね」
「もちろん」
「最初から見るんですか?」
「うん。最後までね。僕はほら、こういうの好きだから」
澤木は「頑張ってね」と言いおいて人で埋め尽くされたフロアを縫うように移動していった。
照明の落ちたステージに一番目の出演者、Merry-Go-Roundのメンバーが現れて準備を始める。フロアの客はまだそれぞれに歓談していてざわついている。客席の照明が落ちると客席からはヒューという掛け声や拍手が沸き起こった。ドラマーがスティックでカウントを取り最初の音が鳴ると完璧なタイミングでステージの照明が灯った。ライブハウスの照明は設備もテクニックも夏祭りや学祭とは比較にならず、照明効果がもたらす力に空楽は圧倒された。客席の後方に埋め込まれるようにしてあるPAブースを見ると、音響は灰谷店長、照明はライコが担当しているようだった。
ライブハウスのステージは夏祭りよりも学祭よりも客席に近く、芽里はそう広くないステージを端から端まで移動しながら満遍なく愛嬌を振りまいた。フロアの前の方は大変な盛り上がりを見せ、芽里のしぐさの一つ一つに歓声が上がった。照明効果が芽里のかわいさを引き立て、これまでよりも一層、芽里は大きく見えた。Merry-Go-Roundはギターボーカルにドラムとベースという三人だけの、いわゆるスリーピースバンドになっていた。リードギターがいなくなった分芽里はしっかりコードを埋める弾き方に変え、さらにギターソロも入れてきていた。空楽は芽里が普通のアイドルシンガーではないことを改めて感じた。
二バンド目の
楽屋には他に誰もおらず、空楽たちだけだった。メンバはーそれぞれ椅子に腰かけ、琴那はスティックを素振りしてウォーミングアップをし、空楽、瑠海、六弦はそれぞれ楽器をチューニングした。雫はその様子を撮影していた。
「いよいよだね」
空楽が言う。楽屋の扉は防音されておらず、ステージの音が幾分ぐぐもった音になって届いていた。
「どのバンドもみんなすごい。ちゃんとそれぞれの個性を持ってるし、かっこいい音楽をやってる」
空楽はギターを抱えて座ったままで仲間を見回した。
「わたしたちは夏とはまったく違うぐらい進化したと思う。でもまだそこまで固まってないし、なによりライブの経験が少ない。今回、賞を取るのは難しいと思う」
空楽はまっすぐメンバーの顔を見ながら続けた。
「でも少しもがっかりじゃない。今回、わたしは自分たちの力が周りのバンドと比べてどの程度なのか、ちゃんとわかってきてる気がする。すごい人たちを見ても変に凹んだりしないんだよね。自分たちの良さも、足りてないところも、前よりわかってる気がする」
瑠海が空楽の目を見ながら頷いた。
「わたしたちを見に来てくれた人がたくさんいて、他のバンドを見に来たお客さんもいて。特にどのバンドのファンでもないけど音楽が好きで来た人もきっといる。その人たちに届けよう。ここにこんないいバンドがあるんだっていうのをさ」
「ん。前回ので一回ぶっ壊してやり直したって考えれば、今日が最初のステージみたいなもんだしね。賞がどうこうじゃないし、誰に勝ったとか負けたとかでもないよ。うちらが夏以降やってきたことを見せる。それが今日の目標だ」
琴那は二本のスティックを右手で握りしめた。
「おれはさ。このバンドが好きだよ。ここでおまえらと音出すのが最高だって思う。今日その最高のやつらとライブできる。このライブがどういうものかなんてどうでもいい。おまえらとライブする。おれにはそれが一番大事だ」
六弦は眼鏡をかけなおした。
「いいね。六弦におまえらって言われたの、ちょっと嬉しいね」
空楽が笑いながら言った。ひときわ大きな拍手が聞こえ、ドアの外がざわつき始めた。
「前のバンド終わったね。いよいよだ」
空楽が立ち上がるとメンバーたちも次々に立ち上がった。全員立ったのを見回して瑠海が中央に手を出した。皆当然のようにその上に手を重ねる。
「空楽。あたしは空楽についてくことを決めた自分が誇らしいよ。今日もすごいバンドばっかりで震えるほど興奮するけど、あたしには空楽が一番かっこいい」
空楽は驚いて瑠海の顔を見つめた。
「思いっきりかき鳴らせ、空楽!」
瑠海がこれまで聞いたことがないような声量で叫び、空楽は自分の内側に感じたことのない力が満ちるのを感じた。
「オーケー。いくぞSTUNNUTS」
「おー」
*
STUNNUTSはまず、夏にも披露した曲のリアレンジ版を演奏した。客席には前回もいた顔ぶれが目立ったものの、芽里を目当てに来ていたと思しき東高の生徒たちも残ってくれていた。空楽は客席を見回しながら一曲目を歌った。以前は自分が歌うだけで精一杯だったけれど、今回は自分の歌でお客さんがどんな顔をしているのか見る余裕があった。何を見せても楽しそうにしてくれるおじさんたちは今回もお酒を飲んで上機嫌で体を揺らしていた。真剣に音楽を楽しみに来ている澤木は穏やかな表情でステージを見つめていた。メンバーの親たちも来ていて、いつの間にか一緒に集まって見ていた。夏よりもはるかにハードな音になった楽曲はおおむね良い反応で受け入れられているようだった。
一曲目の終わりから畳みかけるように二曲目に入る。これも夏祭りに出した曲のリメイクだった。一曲目と二曲目を続けて演奏するかどうかは最後までメンバーでも話し合ったのだけれど、
二曲目が終わり、空楽は
「ここからの二曲は割と最近作った曲です。まずはそのうちの一つを聴いてください。
ステージが暗転して空楽のギターが鳴る。アコギのストロークみたいにエレキギターをかき鳴らしながら歌う。
> にじんだ水彩みたいに あいまいな色が広がるよ
> きみのなんてことない仕草が 僕に絵具を落とす
スネアドラムのコツコツというクローズドリムショットと、高音部で長い音を弾くベースが入ってくる。少しラフさを増してワイルドになる空楽のギター。
> かき鳴らすギターに乗せて 流行りの歌を歌ってみる
> 安っぽい言葉なぞっても 愛なんてわからない
空楽が目を閉じると右手のスティックを持ち替えながら細かい音の詰まったフィルインを叩く琴那の姿が瞼の裏に浮かんだ。ベースが低音に降りていき、ドラムと合流する。広がりのある音で瑠海のギターがライブハウスを包み込む。空楽は目を開く。
> 投げ出しても 諦めても
> あとで悔やむのは僕だ
> つまづいた先にあるもの きみと見つけに行こう
キメフレーズでブレイクしてバンド全体が休符になる。一瞬時が止まったかのような静寂が訪れる。サビの頭で四人が一点に交わる。
> 明日のドアを叩け 叩け 僕はここにいるから
> 夢のドアを開け 開け 僕もそこにいるなら
空楽のギターはハイポジションに移動し、コードに関係なく同じフレーズを弾き続ける。瑠海のギターはその周りを飛び回りながら彩を変化させていく。
> 胸の弦を鳴らせ 鳴らせ 誰か聞いているから
> 君の声で歌え 歌え 溢れる想いがあるなら
全力で歌っている空楽の耳に、バンドの出すすべての音が聞こえていた。各々が自分の色を全開で発揮していた。四つの色が中央で混ざり合い、隣同士とも混ざり合い、それぞれなだらかなグラデーションでつながっていた。どの一つも濁らず、無限の色が満ちている気がした。
三曲目を終え、空楽は客席がしっかり楽しんでくれているのを実感した。バンドメンバーとの時間の中から生まれた曲を、そのメンバーと一緒に演奏する。ライブハウスの照明と音響でそれがお客さんのところへ届けられ、みんな楽しんでくれている。バンドをやることが空楽の中で目的から手段へと変わりつつあった。
「最高に楽しくてあっという間でしたが、次が最後の曲です。またみんなの前で演奏したい。このステージに立ちたい。心からそう思いました。ありがとう。最後は一番新しい曲です。モーニングスター」
MCを終えて半歩下がる。照明が暗転し、瑠海に細めのスポットライトが当たる。瑠海の澄んだギターの音が会場を包み込む。空楽がマイクスタンドに近づくとそこにもスポットライトが届く。ライトを浴びると客席が見えなくなる。よく見えない客席に、でも確かに多くの人がいる。それぞれがそれぞれの道を進んでいる、同じ空の下で生きている人たち。空楽を知っている人。知らない人。空楽の知っている人。知らない人。どの人もみんな、空楽を見ている。
空楽は歌い始める。
> 夜更けの月を見上げて 僕は未来を思うんだ
> まだ見ぬ君のことを 月はきっと知ってる
静かな瑠海のギターの上で、弱めに歌い上げる空楽の声はひときわ澄んで響いた。空楽は鳥肌が立った。自分の声が、これまで聞いたことがないほど美しく響いた気がした。空楽は歌いながらスポットライトに向かって手を伸ばした。
> 明日の空を思って 僕は光を掴んだ
> まだ見えない未来は 月だってきっと知らない
伸ばした手を握る。空楽の前にはあらゆる可能性が広がっている。空楽は手を下ろしてギターを弾く。同時にステージ照明が動き出し、琴那と六弦がミディアムテンポのリズムを出す。
> つないで離した手と つながったままの気持ち
> 交わったそれぞれの道が 束の間重なっている
今同じステージに立つ仲間たち。彼らと並んで歩くのはわずかな時間かもしれない。でも、もしかしたらこれから先の長い時間を、ともに歩いていくことになるのかもしれない。
> 並んで歩く今がどれほど得がたいものか
> ほんとに僕はわかっているかな
わかるって、なんだろう。わかったら、どうしたらいいんだろう。もどかしさがこみあげてくる。友達よりも、家族よりも大切になった仲間たち。どうしたって有限な彼らとの時間。自分がどうしたいのか。胸の奥からやり場のない想いが押し寄せる。空楽はギターをかき鳴らしながら声を振り絞った。
> 君がどうあれ 僕は歌うんだ
> 届けたい思いを乗せて ただ身体を鳴らすんだ
想いが溢れ出て、自分でも聴いたことがないほどせつなさを帯びたハイトーンが響き渡った。自由に歌う空楽の旋律に、寄り添うように瑠海の声がハモった。空楽はなにかが脳からにじみ出て全身を包むのを感じた。
> 君に幸あれ 僕は願うんだ
> 届かないものもあるさ それでも願うんだ
紡いだ言葉をメロディに乗せて歌う。一人で作ったとき、大した力を持っていなかったその歌が、バンドで仲間と一緒に演奏し、瑠海とハモることで巨大な力を持つ。歌いたい。瑠海と。琴那と。六弦と。ずっと一緒に歌いたい。空楽はギターを弾いていた右手を上げて握りしめた。
> いつか必ず終わりが訪れる
> この束の間の永遠を めいっぱい燃やすんだ
> 燃やし尽くすんだ
ステージの照明が全開で焚かれ、空楽は自分の心の炎が燃え盛るのを感じた。今この時を何よりも全力で燃やす。二度と訪れない今日という日にかけがえのない仲間たちと音楽を奏でている。最後の日が来るまで歌い続けたい。最期の日が来るまで、奏で続けたい。
演奏を終えて空楽は深く頭を下げた。客席からは想像を超える拍手が届いた。顔を上げると多くの笑顔が空楽に向けられていた。瞳は涙をぬぐいながら拍手をしていた。空楽は今日のことを、きっと自分がこの世を去る日まで忘れないだろうと思った。
*
自分たちの出演を終え、空楽は琴那に瞳が来ていることを伝えると、急いで楽器を片付けて客席に出た。ステージから見えたあたりを中心に探して、帰ろうとしている瞳を見つけた。空楽はそれを指さして琴那の背中を押した。
「瞳」
琴那は呼びかけながら駆け寄った。空楽は少し間をあけてついていった。
「来てくれたんだ。ありがとう」
琴那が言うと瞳は口元に笑みを浮かべた。
「許したわけじゃない。許したわけじゃないけど、吹奏楽を辞めた琴那が真剣に音楽しているのはわかった。吹奏楽部は大丈夫。琴那がいなくても銀、取ったよ」
「そっか。おめでとう」
「そんなもんで満足なんかしてない。わたしが在籍してる間に金取ってみせるよ。琴那も、てっぺん目指して頑張れ」
瞳はそう言うと身を翻した。
「ありがとう、瞳」
琴那は声を震わせた。瞳は顔だけ振り向いた。
「らしくないぞ。琴那。わたしは吹奏楽を辞めた琴那を許さない。でも、バンドやってる琴那のことは認める。だから絶交は撤回する。次のライブ、直接チケット買うから呼んでよ」
瞳は琴那に人差し指を向けながら言った。
「わかった。また見に来て」
「そう。それでいい。またね。良かったよ、ほんとに。泣くほどよかった」
瞳はそのまま背を向けてタイヴァスを後にした。空楽は瞳の背中を見えなくなるまで見つめている琴那に寄り添った。
客席に戻った空楽たちはロシアンルーレットの演奏を堪能し、STUNNUTSと同じギターボーカル、ギター、ベース、ドラムという編成で全員男性の
LostDigitはまっすぐなロックだったけれど際立った個性は感じなかった。あらゆる要素がそこそこで、まとまりは良いのに惹きつけられる感じはなかった。空楽はこのバンドを見ていて、またバンドの良さというのが簡単には定義できないことを実感した。このバンドと国士夢想のなにが違うのかよくわからないのに、国士夢想のライブはまた見に行きたいと思うのだ。この不思議な魅力がどこからくるのか、空楽にはまだ言語化できそうになかった。
最後に登場したPireDriver は年上の女性がハードな演奏をしていて空楽は大きな刺激を受けた。高校を卒業した後もバンド活動をしていく実例として、自分の未来を重ねて想像しやすかった。PireDriverの音楽は三人しかいないのに濃密で、歌はいわゆるうまい歌という感じではないのに、湿度を帯びて絡まりついてくるような濃さがあった。空楽はここでもまた、理由のわからない引力のような力を持った音楽を体感した。
すべての演奏が終わり、灰谷店長がステージに上がった。
「あーあー、皆さん。まだ帰らないでください。あ、急いでる方はどうぞ。お帰りくださって大丈夫です。これから、今日出演した六組の中の一組に、タイヴァス店長賞を授与したいと思います。この賞は、今年から始まった全国ライブハウスアマチュアバンドコンテストにおいて、ここ旭川のタイヴァスから推すバンドに送られます。これは全国各地のライブハウスから推されてくるバンドがオンライン投票で戦い、最終的に上位のバンドを集めて対バンライブをやるという、バンドとバンドファンのためのコンテストイベントです。上位に上って行けば当然メジャーデビューのチャンスも出てくるでしょう。未来のスーパースターを地元から出そうってことで、全国のライブハウスがこぞって参加してるわけです」
「そういう話だったんだね」
空楽は隣に立っていた六弦に耳打ちした。
「おれも知らなかった」
「さあ、みなさん。どのバンドが一番良かったですか。もうね、僕は嬉しい悲鳴ですよ。全部推したいぐらい粒ぞろいでした。とても一つに絞れないんですが、絞らなきゃならないわけですね。大いに悩みました。では、発表します」
客席にはまだ残っている一部のお客さんと、出演した各バンドがなんとなくバンドごとに固まって立っていた。空楽はその出演者たちを見回した。ロシアンルーレットの喜多楽は両手を合わせて祈っていた。芽里は腕組みをしてステージの灰谷を見つめていた。
空楽は不思議と、緊張も高揚もなく、穏やかな気分だった。ステージで妙に盛り上がっている灰谷のことを、どこか醒めた目で見ていた。
「タイヴァス店長賞は、
客席がどよめいた。空楽はなんの動揺も感じずに拍手をした。どこかで期待していた自分ががっかりしたりするかもしれないと思っていたけれど、そういうことも一切なかった。思った以上にまったく期待していなかったのだということに自分で驚いた。
SoulBrigadeのメンバーがステージに上がり、灰谷から思いのほか立派なガラスのトロフィと賞状を受け取っていた。
空楽はメンバーを見回した。どの顔もすがすがしいほどさっぱりしていて、賞に届かなかったことを悔しがっている顔はなかった。雫がそんなメンバーの様子を撮影していたけれど、これでは使える絵にはなりそうになかった。他の出演者たちは悲喜こもごもで、悔し泣きをしている人もいれば、もう帰ろうとしている人もいた。
空楽たちは自分たちを見に来てくれたお客さんに挨拶をして見送ったあと、清算をしてから外に出た。
「思いのほか儲かってしまった」
空楽が言った。
「ノルマ分を超えて売った分は五十パーセントバックだったから、なんとノルマ超えた分一枚につき千円もらえるっていう仕組みなんだって。で、わたしたちはノルマ二十枚のところ、当日の受付売りも含めて四十七枚も売れてた。だからなんと、本日の収益、二万七千円」
「すごい。ノルマは達成できると思ったけどまさか利益が出るとは」
「今後もだけど、そういうお金はバンド費として貯めておこうよ。それで練習場の設備とかで必要になったものを買おう。早速、二万七千円もあればコーラス用のマイク買えるよ」
「そうだね。わたしバンド用の財布作るよ」
空楽は受け取った収益を封筒に入れてギターケースにしまった。
「あとね」
空楽はいたずらな顔で言葉を切ってメンバーを見回した。
「やってやったよ。灰谷店長に、バンドすごくよくなったねって言われた。君はソロで行く感じなのかなと思ってたけどこう来るのかって驚いたよ、って言われたよ」
空楽はわざとらしく灰谷の口調を真似て言った。
「やった。目標達成だ」
瑠海が笑い、追いかけるようにみんな笑った。
「さて、とりあえず今日のところはさすがに疲れたし、帰りますか」
瑠海が言うと琴那と六弦が「そうだね」と応じた。
「ちょっと待って」
空楽が手を上げながら言った。
「帰る前に、もう一つわたしみんなに話したいことがある」
メンバーたちは黙ったまま空楽を見て続きを待った。
「わたし、見つけたよ、わたしの夢」
空楽はゆっくりと、瑠海、琴那、六弦の目を見回した。
「わたし、一日でも長く、みんなとバンドしたい。それがわたしの夢。ずっと、なるべく長く、このメンバーでバンドをやり続ける」
空楽は深呼吸をした。
「そのために一番いい方法は、このバンドでデビューすることだと思う。だから目指す。わたしはこのバンドで、オマエラとてっぺんを目指すぞ」
空楽の口調にみんな笑った。
「よし。じゃうちも目指す。うちは最初から、空楽が行くところへついてくつもりだからね」
琴那は微笑んだ。
「ということは全員一致で、STUNNUTSでデビューを目指して活動していく。決まりだね」
六弦が拳を差し出し、そこに他の三人も拳をぶつけ合った。
「みんなありがとう。みんなのおかげでわたし、夢が見つかったよ」
「よく言うよ。この夢を持ってきてくれたのは空楽だぜ」
六弦が笑った。
「ところで、さすがにずっと練習し通しだったから、明日は休みにしようかなと思ってたんだけど、休んでゆっくりできそうな人」
空楽は右手を上げながら言った。
誰も手を上げない様子を見て瑠海が口を開いた。
「うちなら、明日も来ていいよ」
四人の笑い声が夜の商店街に響いた。少し肌寒い風が吹き抜けた。空の高いところから月が見降ろしていた。
《了》
かきならせ、空! 涼雨 零音 @rain_suzusame
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