十月十六日 セーヌ川のほとりで

中里朔

錯誤

 私は大学の図書館に籠り、市民革命と近代化の始まりについて調べていた。そこで当時のフランスについて書かれた論文を見つけ、時間を忘れて粛々と読み耽った。


 マリア・アントーニア。これまでの私は、彼女の惨憺さんたんたる最期を見る限り、浪費癖のある悪名高い人物だと認識していた。その理由は、ごく最近まで多くの間違った見解が世に広まっていたからだと思われる。驚いたことに、私が知っていた知識はことごとく否定される事柄ばかりだった。この国の歴史を深く知ろうとしなければ気付けないことかもしれない。とはいえ、自身の不勉強さを思い知らされた。


 マリアは若くして異国から嫁いできた。その目的は、どうやら外交のために仕組まれた結婚であった。末っ子で甘やかされて育ったマリアは、言葉の違う国で、窮屈なしきたりや、複雑な人間関係に悩みながら、ひとりで困難に立ち向かわなければならなかった。

 後に王妃となった彼女に、今度は外部からの圧力が降りかかる。王政に対する民衆の不満。折りからの凶作で食糧が不足したこと。政治の腐敗や国の財政危機。

 国民が苦しんでいるさなか、王室の貴族たちだけが贅沢に暮らしているように見られた。その最たる存在として、王妃が矢面に立たされていた。

 民衆は暴動を起こすようになり、ついに革命が勃発する。


 どれだけ居心地の悪い世界だったのだろうか。もしも現代のように穏やかな時代であったなら、きっと彼女の生き様も違っていたのだろう。

 いや、いつの時代にも間違いは起きる。彼女は時代に翻弄ほんろうされた悲運の象徴。苦悩や孤独を胸の内に秘めたまま、抗うこともなく、最後まで気高く生き抜いた。

 見えていた景色が、私たちとはほんの少し違っていただけなのだ。


「パンがなければブリオッシュを食べればいいじゃない」

 慣用句のように使われる有名な言葉も、本人が言ったものではないと、現代の研究では明らかにされている。これは思想家のルソーが書いた『告白』の一文であり、著書が世に出たのはマリアが九歳の時点である。


 フランス王室に嫁ぎ、フランス風に名を改めたマリー・アントワネット。

 十月十六日。あなたが見上げたパリの空には、どんな未来が見えていたのだろう。

 私があなたを想い、祈ることは許されるだろうか。凄惨な死を遂げ、忌まわしい謀略が語られてきた。多くの誤りから解き放たれた今、せめてあなたの魂が正しく受け継がれていくことを願いたい。



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十月十六日 セーヌ川のほとりで 中里朔 @nakazato339

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