閑話四:傾奇者、退屈と黒幕の密談
天下が泰平になって、数年。
この前田慶次、はっきり言って、死ぬほど退屈していた。
場所は
縁側でご自慢の虎皮の陣羽織を虫干ししながら、俺は、濁った池の鯉よりも生気のない目で、雲一つない青空を眺めていた。
「……つまらん。あまりにつまらんわ」
戦がない。
血湧き肉躍る駆け引きもなければ、命のやり取りもない。
城内で交わされる会話といえば、検地がどうの、年貢がどうの、あるいは茶器の目利きがどうのと、聞いただけであくびが出るような話ばかりだ。
「
地図を逆さまに読んで敵の本陣を奇襲しただの、風向きを読み違えて武田騎馬隊を壊滅させただの、聞くだけで酒が三杯は飲める。
だが、それも過去の話。泰平の世では、あの「歩く天災」も、今や真面目な宰相様として内政に忙しいという。
ああ、退屈だ。退屈が俺を殺す。
そんな生殺しの拷問に耐えていた、ある日の昼下がりだった。
叔父御の広間の方から、やけに張り詰めた声が聞こえてきた。
その声の主が、俺の退屈を一瞬で吹き飛ばす、かの男のものだと気づくのに、そう時間はかからなかった。
俺は音もなく縁側を滑り、柱の陰に身を潜めた。
◇
「学人、ちと安土まで行ってきてくれんか」
広間では、叔父御がすました顔で、一人の男に命じていた。
またの名を「誤先生」。俺の知る限り、天下で最も面白い生き物である。
対する学人は、顔面蒼白どころか、もはや土気色。緊張で全身が小刻みに震えている。
「北陸街道の整備状況について、信長様に直接ご報告とご裁可をいただきたいのだ」
「(ゴクリ)……は、ははっ!承知いたしました!こ、この呉学人、拝命つかまつります!」
学人は、まるで切腹でも命じられたかのようにガバッと畳に平伏した。
まあ、無理もない。この男にとって「使い走り」は、「戦」よりも遥かに生存率の低い任務であろうからな。
だが、今日の学人は、いつもと少し違った。
彼はスッと立ち上がると(そのせいで膝がカクンと鳴ったが)、ギリッ、と奥歯を噛みしめ、尋常ならざる覚悟を宿した目で叔父御を真っ直ぐに見つめた。
「利家様!ご安心ください!」
ビシッと音が鳴りそうなほど、震える指先で前方を指さす。
「今度こそ、今度こそは! この呉学人、安土まで一歩も! 一瞬たりとも! 道に迷わず、まっすぐ! 光の速さで!(※個人の感想です) 行ってまいります!」
おお、言った。言ったぞ、こいつ。
完璧だ。これ以上ないほどの完璧な「前フリ(フラグ)」を、今、彼は建築し終えた。
俺は柱の陰で、こみ上げてくる笑いを殺すのに必死だった。
対する叔父御は、ピクリとも表情を変えず、ただ「うむ、頼んだぞ」とだけ答えている……あの男、さては楽しんでやがるな。
学人が、生まれたての小鹿のように震える足で広間を退出していくのを見送った後、俺は悠々と柱の陰から姿を現した。
「叔父御。本気ですかい?」
「……(ピクリと眉を動かし)何がだ、慶次」
「とぼけるな。あの『歩く天災』『人間版・神隠し』こと誤先生を、たった一人で安土へ?
叔父御、あんたさては……」
俺がニヤリと笑うと、叔父御はそれまで保っていた真面目な顔を崩し、口の端を意地悪く吊り上げた。
「……(ニヤリ)」
「(カッと目を見開き)その顔! さては楽しんでますな!? あの男が今度はどんな奇跡(トラブル)を起こすか、期待してますな!?」
「人聞きの悪い。わしはただ、親友の成長を信じておるだけだ(棒読み)」
「はっはっは! 面白い! 乗った! その護衛(という名の人間観察)、この慶次がやりましょう!
もちろん、あの先生には内緒でな!」
「ほう、お前が? 退屈しのぎか」
「退屈しのぎに、あれほど極上の見世物はありませんぜ! 神の悪戯の最前列特等席、いただきだ!」
俺の魂は、久方ぶりに歓喜に打ち震えていた。
◇
数日後。俺と叔父御は、安土城の信長様の執務室にいた。
もちろん、学人より先に馬を飛ばし、この「隠密護衛(という名の人間観察)計画」を、総大将にブチ上げに来たのである。
案の定、信長様は、俺たちの計画を聞くなり、扇子で顔を隠し、肩をブルブルと震わせ始めた。
「……く、くくっ。慶次が学人の護衛か。猿(慶次)に猿(学人)の監視をさせるようなものよ」
「上様、笑いが隠しきれておりませんぜ」
信長様は、こほんと咳払いを一つして真顔に戻った。……ように見せかけて、目が完全に笑っている。
「……だが利家。なぜ、道案内を付けん?」
信長様が、核心を突いた。
そう、普通なら、あの男には優秀な道案内を二人、いや三人、前後左右に付けるのが常識だ。
「上様、それこそが肝要。 道案内を付ければ、あの男は『ただの使い』でございましょう」
「(ニヤリ)……付けねば『天の使い』になる、か。違いない」
信長様は楽しそうに頷くと、俺たち二人を見た。
「して、本音は?」
俺と利家は、顔を見合わせ、声を揃えた。
「『その方が、おもしろそうだから!』」
「ぶはっ!」
信長様が、ついに堪えきれずに噴き出した。
ああ、やはりだ。この城の主こそが、日の本で一番の傾奇者よ。
「うむ、良かろう!」
信長様は、涙を拭いながら満足げに頷いた。
「……まあ、表向きの理由としては、だ。最近、関東の家康がちと臭う。
何か、わしに隠れてコソコソやっておるやもしれん。
学人の天運が、わしの知らぬ何かを炙り出すやもしれん。……そういうことにしておけ」
おお、なるほど。
つまり、万が一、学人が道を間違えて関東(家康の領地)まで行ってしまったら、それはそれで面白い、というわけか。
俺は、この悪魔的な黒幕たちに、心からの敬意を表した。
◇
そして、運命の出立の日。
加賀の城門前で、俺は物陰からその瞬間を待っていた。
現れた呉学人は、尋常ならざる「完璧な準備」を整えていた。
馬の鞍には、地図が五冊(予備の予備の予備まである)、水筒が三つ、そして方角確認用の日時計(なぜか二つ)がぶら下がっている。
極めつけは、学人が背中に背負った、謎の細長い棒だった。
よく見ると、それは自作の看板だった。
そこには、震える文字で、こう書かれていた。
『← 安土はこっち(のはず)』
……だめだこいつ、すでに自信がねえ。
「よし、完璧な準備だ!」
学人は、なぜか自信満々に頷くと、高らかに叫んだ。
「いざ、安土へ! 西へ!」
馬が、軽快に走り出す。
泰平の世の街道を、一人の男が、悲壮な決意を胸に駆けていく。
俺は、物陰で腹を抱えた。
「……あいつ、西と北西の区別もつかんのか」
そう。 彼が「西だ」と信じて疑わずに進むその方角は、完璧に、微妙に、北西にズレていた。
「さて、どこまで行くか。面白くなってきたわ!」
俺は、神の悪戯の開幕を祝い、隠し持った酒を呷った。
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