第2話 紅き花蜜のポーション~うっとりローズベリーフロート~

月香喫茶げっこうきっさルナリウム。

深い緑の壁と窓の外に広がる夜の森が、都会の喧騒から隔絶された静謐せいひつな空間を作り出していた。

天井に吊るされた星型のランプが柔らかな光を投げかけ、客の顔を優しく照らしている。


その夜扉を開けて入ってきたのは、明かりをぱっと灯したような洗練された笑顔の持ち主だった。


美琴みこと


ピンクのダブルジャケットと黒のロングスカートという、ビジネスライクでありながら華やかな装い。

ショートボブの髪型とはっきりとした顔立ちが、一見男女どちらとも特定しがたい中性的な魅力を放っていた。

彼女の人懐っこい瞳は好奇心に満ちている。


「こんばんは、店主アイリスさん!いつもの窓際のソファー席、空いてますか?」


快活な声が、静かな店内に響く。

彼女はライターだ。ファッションから経済、ときには旅のエッセイまで、ジャンルを問わず大量の仕事をこなし、その社交性とフットワークの軽さで業界を駆け抜けている。


しかし、その弾けるような笑顔の奥に、店主は微かな疲労の色を見た。

最近の美琴は、まるで高性能なモーターのように休みなく動き続けているようだ。


「いらっしゃいませ、美琴さん。もちろん、空いていますよ。今夜は少し、お疲れのようですね」


「わかりますか、やっぱり。参っちゃいますよ。朝から晩までキーボードと格闘して、人との打ち合わせも山盛りで。マルチタスクにも限界が…」


美琴は、窓の外の深い森を遠くに見つめながら、深緑のソファーに体を沈めた。

黒いスカートの裾を整える仕草も颯爽としている。


「それでね、店主さん。今日はちょっと特別なものを頼みたいんです。エネルギーをチャージしたくて。見た目が美しくて、でも味もちゃんと美味しいものをお願いします。私の枯渇したクリエイティブ欲を満たしてくれるような、そんな逸品を!」


そのリクエストに、店主は静かに微笑んだ。

美琴の疲労を吹き飛ばし、彼女の感性に響くような一杯。

すでに心に決めていた。


「承知いたしました。最高のポーションをご用意しましょう。」


店主が運んできたのは、まるで宝石を閉じ込めたかのような、グラスのデザートだった。


「…わあ、綺麗!」


美琴の瞳が、星型のランプの光を反射して輝く。

グラスの底には濃いワインレッドの色合いのベリーが沈み、その上にバニラアイスがふわりと乗せられ、ピンクの薔薇が一輪、そして艶やかなブラックベリーが飾られている。


「ローズベリーフロートです」と店主は説明した。

「ベースは特製のベリーティー。その中には、薔薇のジャムに漬け込んだフレッシュなベリーをたっぷり沈めています。薔薇とベリーの風味が、優しく甘やかに広がる一杯です。」


「いただきます!」


美琴はまず、スプーンでアイスクリームとドリンクをすくって口に運んだ。


冷たいバニラアイスのクリーミーな甘さが、疲れた舌をそっと包む。

その後に甘酸っぱいベリーティーを流し込むと、喉の奥で薔薇の華やかな香りがふわりと咲いた。

薔薇のジャム漬けのベリーはただ甘いだけでなく、奥深い複雑な風味があり、大人のデザートとして成立している。


「…うん、美味しい!この薔薇の香り、すごく優雅で、幸せに満たされる感じ。」


美琴はそう言うと、目を閉じて、その複雑な味の層を味わった。


バニラアイスの甘さ、ベリーの酸味、そして薔薇の香りが順に押し寄せ、美琴の頭の中で張り詰めていた緊張を解きほぐしていく。

それは、彼女が求め続けていた「美しさと美味しさ」を完璧に兼ね備えた、感覚を刺激する一杯だった。


「見た目の美しさに、心に染みる美味しさ。さすがです、店主さん。これで私のエネルギー、フルチャージできそう!」


グラスの底に沈む薔薇色のベリーまで飲み干し、美琴は満足そうに微笑んだ。

その顔には、先ほどまであった影は消え、いつもの快活な光が戻っている。


「最高のインスピレーションも得られた気がします。これでまた、新しい企画書がどんどん生まれそう!」


彼女は椅子から立ち上がり、ジャケットのボタンを留め直した。

柔らかさと凛々しさが同居する雰囲気に、さらなる輝きが加わったようだ。


「さあ、帰って仕事の続き!プライベートだって目一杯楽しんでやるぞ、って気持ちになってきました!」


美琴は力強く拳を握り、去り際に店主に手を振った。


「ごちそうさまでした!また来ます!」


「またのお越しを、お待ちしております。」


夜の森の静けさとは対照的な美琴のパワフルなオーラをその場に残し、扉は閉ざされた。

店主は空になったグラスを静かに片付けながら、彼女の次のエッセイが楽しみだと、静かに目を細める。

彼女の活躍は、この「月香喫茶ルナリウム」の灯りと同じく、消えることのない輝きを放つだろう。


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