第16話 並んだ机に宿る温もり
夏休み直前の蒸し暑さの中、隣にいる安心だけが支えだった。
消しゴムのかすが、二人の机のあいだに小さな山を作っていた。
期末テストが近づき、部屋の空気は自然と重くなる。
シャーペンの芯が紙を擦る音。
ページをめくるたびに生まれる小さな風。
その単調なリズムが、かえって緊張を高めていく。
もう扇風機だけでは暑さを凌げない季節。
エアコンが低い唸りを立て、冷気はゆるやかに流れているはずなのに、肌には汗が張りつき、背中がじっとりと濡れていた。
「ここ、違ってるよ」
沙耶が私のノートを指で軽く叩いた。
赤ペンで直されるより、その何気ない仕草のほうが胸に残る。
「……あ、本当だ」
「ここの公式はこう置き換えるの。ほら」
彼女の手がノートの上をすべり、さらさらと線を引いていく。
ノートを指でなぞる仕草が重なりそうになり、私の手が止まった。
鉛筆の先で紙を押しすぎ、音がひっそりと響いた。
そのとき、定規を引き寄せた彼女の指先と、私の指先がふいに触れ合った。
ほんの一瞬。
けれど、静電気のような感触が手のひらに広がり、心臓が跳ね上がる。
鉛筆を握る指が止まり、呼吸まで浅くなる。
顔を上げると、沙耶は平然としている……ように見えた。
けれど、ランプの光に照らされた頬は、かすかに赤く見えた。
光の加減か、それとも。
「ありがと」
私がそう言うと、沙耶は小さくうなずいた。
その横顔は、勉強を見てくれる“姉”のようであり、どこか“母”のようにも見える。
「無理しすぎないでね。分からないところは、ちゃんと聞けばいいんだから」
「……うん」
小さな言葉なのに、不思議と大きな安心感を運んでくる。
今まで一人で抱えてきた孤独が、少しずつ埋まっていくような気がした。
この家に引っ越してから——こうして沙耶と二人、同じ部屋で机を並べている時間が、一番居心地がいい。
家族という言葉にはまだ距離があるのに、この瞬間だけは心が休まるのを感じていた。
鉛筆を握る手が軽くなり、数字がいつもより鮮明に頭へ入っていく。
沙耶と机を並べるだけで、こんなにも呼吸が楽になるのだと気づいた。
だが同時に、その安心にすがりたい気持ちが強くなる。
彼女の隣にいなければ、自分はまた孤独に戻ってしまうのではないか——。
そんな予感が、心の奥でひそやかに膨らんでいった。
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