第4話 三人の食卓に走る沈黙

母と義姉が向かい合う食卓に、私の居場所はなかった。


初めての登校を終え、沙耶と二人で並んで帰宅した。

同じクラスで一日を過ごしたけれど、

家の前に立つと互いの足取りは少し重くなる。

無言のまま沙耶が鍵を差し込み、ドアを開けた。

私はその背中に続いて玄関へ足を踏み入れる。


靴を脱ぐと、台所から漂ってきた匂いに一瞬、足が止まった。

カレーのスパイスの香りだった。

けれど、この家にはまだ似合わない気がした。


「……おかえり」

振り返った母は、菜箸を手に小さく笑顔を作った。

そして、ためらうように口を開く。


「学校……どうだった?」

声はほんの少し震えていて、探るような響きが混じっていた。


私は靴を揃えながら、かろうじて「……疲れた」とだけ答えた。

本当に疲れていたし、それ以上を話す気にはなれなかった。


……考えてみれば、母とこうして会話を交わすのは久しぶりだ。

二人暮らしの頃、母は夜の仕事でほとんど家にいなかった。

すれ違いばかりで、「おかえり」と迎えられることもなく、

食卓で向かい合う時間もほとんどなかった。


母は娘を育てるために必死だったのだろう。

けれど、私はいつの間にかその背中に距離を置くことを覚えてしまった。

だからこそ、今こうして沙耶も交えて三人で夕食を取ることが、妙に不思議だった。


“これが家族の形なのだろうか”。

まるで知らない誰かの生活を覗き込んでいるような感覚だった。

ほどなく食卓に料理が並ぶ。

カレーライスの皿、サラダ、そして小さなスープの器。


母は皿を置きながら「どうぞ」とだけ言った。

どこか他人行儀で、声が小さい。

“母親らしさ”というより、よそよそしい食事のようだった。


そのとき、母の手が一瞬止まった。

皿を並べたあと、ふと空いた席に視線を落とし、小さく息を吐く。

まるで「本当に家族になれるのか」と問いかけているように見えて、

私はスプーンを取る手をためらった。


母は空いた席を見つめ、沙耶は俯いた。

二人の視線は交わらず、その間に私は居場所を探すしかなかった。

私と沙耶は同時に手を合わせる。


「いただきます」

それきり、三人の間に言葉は生まれなかった。

スプーンが皿に当たる音、

スープをすする音、

サラダを噛む音。

それだけが、やけに大きく響いた。


母は視線を落とし、沙耶は黙々と食べ進める。

私は食卓の真ん中に置かれたサラダを見つめながら、心の中で問いかけていた。

……沙耶は、母のことをどう思っているのだろうか。

新しい母親を受け入れているのか、それとも拒絶しているのか。

答えはわからない。


ただ、その横顔の沈黙がすべてを物語っているように見えた。

食事を終えると、母は静かに皿を片づけ始めた。


「ごちそうさまでした」

私も沙耶も、それだけを言って席を立った。


背中に残ったのは、誰の声でも埋められない沈黙だった。

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