娘の小さな心の扉

つむぎ

娘の小さな心の扉

娘のリナが、ある朝を境に学校に行かなくなった。


無邪気で明るい性格の彼女が、だ。毎朝、友達と笑いながら登校していた彼女が、今や階段の踊り場で「今日はやめとく」と言い、靴をきちんと揃えて座り込む。


話を聞こうとしても、返事はいつも「別に……」か、眉間に小さなシワを寄せたため息だけ。


母である私は、途方に暮れる。どうして話さないのだろう。


夫に相談すると、彼は例によってあっさり言った。


「ほっとけ」


ほっとけって……そんな簡単に言われても。

まるでリナの心の鍵を、ポンと押し付けられた感じがした。


リナは普段、悩みを何でも話してくれる子だった。

些細なことでも笑い話に変えてくれるから、私はつい油断していたのだ。


「今日、学校で先生が○○したんだよー」とか

「ねえ、ママ、見て見て!」と服の裾を引っ張ってきたりする日常が、もう戻らないのかもしれない――そんな思いが胸に沈む。





何度話しかけても答えが返ってこない。


そこで私は考えた。


直接聞いてもダメなら、彼女の世界を知る人に頼ろう、と。


リナの親友、ミカに電話をかけることにした。


留守番電話に切り替わり、思わず私は自分の声で練習してしまう。


「……もしもし、ミカちゃん?リナのこと、ちょっとだけ教えてくれない?」


電話の向こうで、ミカは最初に「えー、何それ! 怖い話?」と笑った。


しかし次第に真剣になり、こう言った。


「リナ、学校では元気だけど、家ではちょっと……悩んでるみたい。誰にも言えないことあるのかな」


その言葉を聞いた瞬間、胸がぎゅっと締め付けられた。


でも同時に、希望も生まれた。まだ、娘は誰かに気持ちを話す余裕が残っている――。






電話を切った後、ドアの外側からリナに声をかけた。


私は、少しでも笑ってくれるよう、冗談めいた口調にしてみる。


「ねえリナ、もし今日学校行かなくても、宇宙人が侵略に来ない限りはママが守るから大丈夫よ」


ドアを静かに開けたリナが顔をのぞかせる。目を丸くして私を見た。


「ママ、ちょっと大げさすぎ……」と言いながらも、ほほ笑む。


その瞬間、私は思った。無理に話させようとするより、笑顔を引き出すほうがずっと大事なのかもしれない、と。






夕方、リビングのテーブルでリナと向き合った。


私は深呼吸して、優しい声で言った。


「リナ、無理に話さなくていいよ。でも、ママは聞きたいな」


リナは手に持っていたぬいぐるみをぎゅっと抱きしめたまま、ぽつりと呟いた。


「……学校、行くの怖い」


その言葉だけで、私は理解した。


原因や理由は複雑でも、今は受け止めてあげることが大事だと。


そして、彼女の無邪気さと明るさは消えていない。だから、焦らず少しずつ、寄り添うことにした。


その夜、リナは「ママ、明日もお風呂入る?」と聞いてきた。


――ただの一言。でも、胸がじんわり温かくなる。


学校のことを話さなくてもいい。ただこうして、日常の会話をしてくれる。まだ私とつながっていてくれる。


そのことが、何よりも救いだった。


思わず笑ってしまった私は、「もちろんよ、宇宙人もびっくりするくらい熱くするからね」と返す。


リナも小さく笑った。小さな会話が、距離をぐっと縮める。






次の日、リナは少しだけ早く起き、制服に袖を通した。


まだ完全に元通りではないけれど、少しずつ前に進む姿が見えた。


私は心の中でそっと拍手した。


夫も何も言わず笑って見守ってくれた。


――最初は簡単に「ほっとけ」と言っていたけれど、今、その意味を私は少しだけ理解できた気がした。


リナの手を握ると、彼女はふと笑った。

あの、無邪気な笑顔だ。


私は知っている。この小さな一歩が、やがて大きな扉を開くのだと。


そして今日も、家の中には小さな奇跡のような、温かい光が差し込んでいる。

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娘の小さな心の扉 つむぎ @tsumugi_story09

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