氷晶雨
しろん
氷晶雨
小説の書き出しには、いつも困る。
手紙を書く手が、何度も書いては消してを繰り返すように
段々と紙が擦れて折れて、汚れて毛羽立っていく。
窓のすぐ外では、冬晴れのくすんだ青空の奥から来た旅客機が
これでもかと音を轟かせながら滑走路に降り立っていく。
接地帯のすぐ近くにメインギアをどすんと下ろし、
フェンス越しに白い煙が上がるのが見える。
ナイス・ランドと呟くが甲高いエンジン音にかき消される。
1時間後にはまた乗客をいっぱいに乗せて、
その丸っこいエンジンを唸らせて空に上がっていくんだろうか。
子供の頃は飽きもせずにフェンスのすぐ近くまで歩いて行き、
誕生日に買ってもらった安いデジタルカメラで
暇さえあれば飛行機の写真を撮っていた。
近所の家には、「空港反対、騒音反対」のと書かれた
黄色くてナンセンスな横断幕をベランダにかける家がある。
あそこに一人で住んでるじいさんは、もう耳も遠いだろうに
寂しいから補填や謝罪に訪れる空港の関係者と喋りたいのだろうか。
みんな、それぞれの事情があるんだなぁと思いながら、
やっぱり空白の原稿用紙に向き合っても、言葉は紡げない。
時々、ブーンという音が聞こえるのはセスナ機の音だ。
航空学校の生徒なのか、それとも育成中のエアラインパイロットなのか、
はたまた個人所有の趣味の機体なのか、さっぱりわからないが、
白い機体に赤いラインが引かれた目立つ機体が
プロペラの音を響かせてゆったりと空に上がり、
窓のずっと遠くの海岸線沿いを何回か旋回してまた戻ってくる。
風や雨がひどい日は飛ばないから、晴れた日だけの特別な飛行機だ。
あの旅客機の中には、きっと100人くらいの人間が乗っていて、
高給取りのパイロットと、その下でへこへこしている副操縦士がいて、
綺麗なキャビン・アテンダントは毎日空に上がっているんだろうか。
毎日同じ「安全ビデオ」を見て、毎日同じ景色を見て、
時々ひどく揺れて、時々お客さんから理不尽に怒鳴られるのだろうか。
何年かぶりに帰省しにきた親子が、窓の外を眺めていて、
親が子供に窓側の席を譲ってあげたりしているのだろうか。
それとも、その親子はもしかして遠い親戚の葬儀にでも来ているのだろうか。
悲しんで来ているのか、嫌ながらも仕方なしにきているのか、
乗っている人の人生を考えると時間が過ぎていく。
友達の家からは、空港は見えない。
何十年も経っているボロボロの家の一室でゲームをしている。
時々、頭上をキーンという爆音と共に飛行機が飛んで行くが
もう慣れているから何も言わないし、何も思わない。
そして何度もやっているゲームに、何度目かわからない
「飽きた」というセリフを呟き、何度目かわからないイオンに行き、
何度目かわからないマクドナルドに行き、
愛想悪い店員を睨みながら一番安いマックチキンセットを買うんだろう。
サイドメニューはサラダで、飲み物はゼロコーラだ。
予定調和と妥協の人生なのに、友人は愚痴ひとつこぼさない。
夕暮れが来て、そして去っていくと何もない静寂だけが残る。
飛行場から最終便が羽田空港に向けて飛び立っていく19時に、
「じゃあ、そろそろ帰るわ」とか言って、家に帰る。
自分の家まではたいして遠くないのに、遠く感じるし
なぜかすごく悲しくて寂しくなってしまうのは暗さのせいだろうか。
家に帰って、電気をたくさんつけてラップトップを開き、
この感傷的な気持ちを小説にしようと思っても書けないし、
やっぱり寂しいのは消えないし、疲れてしまう。
とっくに飽きたゲームをするか、何周もした漫画を読むか、
それだけの関係なのにどうしてこうも疲れるし寂しいのだろうか。
部屋の電気を消して窓の外を望むと星が見える。
手前には色とりどりの誘導灯が空港中に煌々と光っていて
闇に隠されて見えなくなった滑走路を浮かび上がらせている。
窓を少し開けても、もう飛行機のエンジン音はせず、
ずっと遠くで車が走り去る音が低く響いているが、
もしかしたら、港に帰ってきた船の音なのかもしれない。
風が通り過ぎていくとき、ひょー、ぴゅーという音が
潮の香りを連れてきて、鼻に生臭さが残る。
食べるものがなかったことを思い出して窓を乱雑に閉め、
床に脱ぎ捨てられたまま洗われていない
いつかのパーカーを羽織って玄関に向かう。
鍵を閉めないままに自転車を家の裏から引っ張り出して、
一番近いコンビニまでどれくらいかかるかと考える。
鼻の頭に冷たい感触がある。
少し離れた街灯を見上げると、空から雨が降ってきている。
街灯に照らされて短い線を引きながら、
地面に向かって一直線に落ちてきているその姿は
自分に向けて矢が飛んできているようで居心地が悪く、
玄関のドアを開けて立てかけておいた傘を掴むと
ビニール傘を左手で持って自転車にまたがり漕ぎ出した。
買うものなんて決めてなかった。
自転車を濡れないようにコンビニのウィンドウに横付けして
暖かい店内に入ったけど、この時間の品揃えは悪いし
店内にいる人は外国人の店員だけだった。
肌が浅黒い彼は、拙い日本語で頑張って接客しているから
いつも少し遅くても怒らずに気にしないふりをするようにしていた。
適当にカップラーメンコーナーと冷凍食品コーナーを見て回って
袋入りのチャーハンとパック詰めされたカットキャベツを手に持ち、
最後にコーラを買おうと思い出したが持てないので、
仕方なしにカゴを取りに行って、コーラを乱暴に投げ入れた。
グエンと名札に書かれている店員は数ヶ月前に入った時より
よほどスムーズに手順を滞りなく済ませた。
彼が心の中で何を思っているのかは表情からはわからない。
出稼ぎに来ているのか、留学しに来ているのか、
さっぱり事情はわからないが、頑張っていることは確かだった。
外に出ると家を出た時よりも雨が強くなっていて、
グレーのパーカーはあっという間に水玉模様になってしまった。
パーカーの袖でサドルに降った水滴をぬぐい取ってまたがり、
早く家に帰って夕食を食べたいとばかり思ったが
どうせそんな遠くないのだからと、フードをかぶってゆっくりと漕ぎ出した。
氷晶雨 しろん @kokoyoshi
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