第14話 前髪星人
湯気の立つラーメンが並ぶ。
いろはとつづりは黙々と箸を取り、前髪が顔を覆ったまま麺をすすっていた。
「なにそれ!」
玄関から帰ってきたねいろが、思わず吹き出す。
「前髪星人たち! 絶対食べにくいでしょ!」
そう言うと、ねいろは部屋に駆け込み、しばらくしてカチューシャを二本手に戻ってきた。
おどけて差し出すと、いろはは「やだよ!」と顔を赤くし、つづりは「……」と首を振る。
でもねいろは、いたずらっぽくつづりの手にカチューシャを押しつけた。
「いろはの顔、ちゃんとみたくなーい?」
その一言に、つづりの頬がかすかに赤く染まった。
仕方なくぎこちない手つきで頭に乗せる。前髪がすっと持ち上がり、隠れていた目が現れる。
いろはは思わず息をのんだ。
——こんな顔してたんだ。
胸がきゅっと鳴る。見られていることに気づいたつづりも、耳まで赤くなり視線をそらした。
ねいろは満足そうに「ほら、いろはも!」ともう一本を差し出す。
渋々受け取り、いろはも前髪を押し上げた。
二人の視線が、初めて真正面からぶつかる。
「……」
「……」
言葉にならない沈黙。湯気が二人の間を渡り、目線だけが絡んだ。
空気はどこか甘かった。
ねいろは「よし!」と声を弾ませ、ピアノの前に座る。
指先が軽やかに鍵盤を押す。
——ぽろん。
小さな音が空気を震わせ、部屋の静けさを溶かしていく。
旋律に合わせて、ふたりのページの縁が薄く灯る——音が、絵と言葉のあいだに橋を架けたみたいに。
いろはは目を閉じ、つづりはノートを開いた。
「……続き、描ける」
いろはが小さくつぶやく。鉛筆の線がリズムを得て、物語はまた前へ進み始めた。
そのとき、刻印の内側にもう一本の乳白の糸が、音に合わせてすっと張られた。
つづりはふと手の甲に目を落とし、静かに息を吸った。
けれど、いろはもねいろも気づいていない。
ただ音と湯気だけが、夜の空気をやわらかく包み込んでいた。
窓のカーテンが風で少しだけふくらみ、街灯の光が斜めに差し込む。
つづりは拳をゆっくりと握りしめ、手の甲をそっと下ろした。
その目の奥には、言葉にならない確信のような光が宿っていた。
ピアノの旋律は、何も気づかないふりをして、やさしく続いていく。
——その夜、ラーメンの湯気とピアノの音と、初めて素直に見えた顔が、物語をもう一度進めた。
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